渡邊芳之先生@ynabe39の「「とにかく実行」「とにかく前進」が好きな人には「そんな簡単な話じゃない」という言い方は人気がないですが、じっさい「そんな簡単な話じゃない」んだからそう言うしかないんです。 」

「いじめや体罰が起きるのは学校が存在するせい」だとして「学校を廃止すること」は簡単にはできない。だからと言って「学校は廃止できない」という理由で「いじめや体罰の原因が学校そのものにある」という認識を抑圧するのも間違い。「学校の良い面と悪い面のトレードオフ」をどこに設定するか。by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

社会というものが「逸脱者への制裁」なしでは成り立たないからこそ、その「制裁の条件や程度や方法」については厳格に定めて濫用できないようにしてきたのがわれわれの歴史。

2013-01-12 05:00:32
渡邊芳之 @ynabe39

いっぽうで「親が子供に対して行う制裁」については親の教育権や懲戒権という枠組みで「最大限の自由」を認めてきたのもわれわれの歴史。教育ではこの「公的な制裁の厳格な制限」と「私的な制裁の自由」とがぶつかり合う。教師の行う制裁は公的なものなのか親の私的な制裁の代行なのか。

2013-01-12 05:05:16
渡邊芳之 @ynabe39

「いじめや体罰が起きるのは学校が存在するせい」だとして「学校を廃止すること」は簡単にはできない。だからと言って「学校は廃止できない」という理由で「いじめや体罰の原因が学校そのものにある」という認識を抑圧するのも間違い。「学校の良い面と悪い面のトレードオフ」をどこに設定するか。

2013-01-12 05:12:39
渡邊芳之 @ynabe39

ここでも「程度問題であることを程度問題と認識して望ましい程度を定める」ことが必要なわけで、現実を無視した「絶対ダメ論」も「何の問題もない論」も役に立たない。

2013-01-12 05:15:24
渡邊芳之 @ynabe39

私が言ってるのとまったく同じことです。

2013-01-12 05:17:18
渡邊芳之 @ynabe39

必要なのは「犯人探し」ではなく「自分たちの問題として落とし所を探ること」です。

2013-01-12 05:18:31
渡邊芳之 @ynabe39

体罰はひとつの例として挙げただけで、そういう「社会的なせめぎ合い」もやはり「学校に集めて集団教育をする」という合理的で平等な優れた教育制度の「必然的な結果」だし、教育はときにそれを利用してもいるわけです。@fjhiro3

2013-01-12 05:24:30
渡邊芳之 @ynabe39

そういう意味でも「学校教育そのものには問題はない、体罰する教師が、あるいはいじめをする生徒が異常なだけで、そういう人間を排除すれば学校は平和になる」という「いちばん人気のある考え方」には反対しないといけないと思います。その点は内藤朝雄さんと同じ考え。

2013-01-12 05:30:02
渡邊芳之 @ynabe39

「多様性を認める」というのは「良い面で多様であること」だけでなく「悪い面で多様であること」も認めることです。それはとても難しい。

2013-01-12 05:34:12
渡邊芳之 @ynabe39

そういう考えを「相対主義」と批判するような「絶対主義」には残念ながら世間の人気があります。「ならぬものはならぬ」みたいのがまた流行りそうですし。

2013-01-12 05:41:17
渡邊芳之 @ynabe39

「学校なんかなくしちゃえ」という主張にはいくら良識的で子どもの味方の教育学者でも賛成はしない。自分の生きる場所がなくなっちゃうし。

2013-01-12 05:48:55
渡邊芳之 @ynabe39

「とにかく実行」「とにかく前進」が好きな人には「そんな簡単な話じゃない」という言い方は人気がないですが、じっさい「そんな簡単な話じゃない」んだからそう言うしかないんです。

2013-01-12 05:52:12
渡邊芳之 @ynabe39

「程度問題」という言葉が「だから人それぞれ」という思考停止の意味で使われるのが問題なだけで、程度問題を程度問題として解決しようとするのは多くの場合現実的なアプローチです。

2013-01-12 05:55:38
渡邊芳之 @ynabe39

教師の体罰が公的な制裁であるなら、それは法の厳格な支配下におかれなければなりません。 RT @chinnsan: 教師のは公的! 私見ですが。

2013-01-12 05:57:21
渡邊芳之 @ynabe39

「裁量主義を受け入れられない社会になっている」という現実もみないといけない。そのこと自体にも良し悪しがある。

2013-01-12 06:02:33
渡邊芳之 @ynabe39

欺瞞の一切ない社会が今より暮らしやすくなる保証なんてないと思います。

2013-01-12 06:10:53
渡邊芳之 @ynabe39

個人的には学校の部活なんかなくしちゃえと思うほうだけど、そう言ったら必ず「自分は部活だけが楽しみで学校に行っている、居場所を奪わないで」と言われるわけです。

2013-01-12 06:14:38
渡邊芳之 @ynabe39

「どこまでやっていいかという程度がみんなわからなくなっている」というのはまさに「裁量主義の終焉」であるわけです。

2013-01-12 06:28:26
渡邊芳之 @ynabe39

社会党共産党が議会の半分近くを占めていたような時代にも体罰はいまと同様か,もっとひどい形で横行していました。 RT @kashin_ni: こういう体罰の事件が起こったのはやはり自民党や右傾化の現れではないでしょうか?心理学社として答え願いたいです

2013-01-12 07:57:48
渡邊芳之 @ynabe39

学校に行かないでどこに行ったらいいでしょう?「そんなこと自分で考えろ」って言いますか? RT @kobesportsclub: 私も部活なくしちゃえと思います。部活だけが楽しみでって人は学校に行かなければいいと思うし。 

2013-01-12 07:58:32
渡邊芳之 @ynabe39

自民党ができる前にもいまと同様かもっとひどい体罰が横行していました。 RT @kashin_ni: そんな事を聞いていない自民党の教育が悪かったからだろって聞いてるんだ

2013-01-12 08:03:34
渡邊芳之 @ynabe39

@Ichy_Numa だから殴るよりは廊下に立たせる方がいいとずっと言ってますが廊下に立たせるのは「体罰」に分類されています。

2013-01-12 09:13:42
渡邊芳之 @ynabe39

@makurazakeP その「バケツを持たせる」とか「片足立ちさせる」とかが生まれたのは先生方が廊下に立たせる「罰」(タイムアウトによる負の罰)を「体罰」(嫌悪刺激による正の罰)と混同したのだと思っています。

2013-01-12 10:32:46
渡邊芳之 @ynabe39

@Ichy_Numa @makurazakeP 「授業を妨害するものの廊下への排除」なのか「廊下に立たせることによる行動修正」なのかも重要です。心理学者は後者と考えやすいと思いますが,どちらにしてもバケツ持ちなどで苦痛を与える必要はない。

2013-01-12 10:37:38