「イデアは意志の客体である」…イメージ・表象にリアリティはあるのか?
- LitoSnowfield
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たとえば狩猟人が、ある日はじめて海岸に迷いでて、ひろびろと青い海をみたとする。人間の意識が現実的反射の段階にあったとしたら、海が視覚に反映したときある叫びを〈う〉なら〈う〉と発するはずだ。(続く)
2013-01-17 02:34:12(承前)また、さわりの段階にあるとすれば、海が視覚に映ったとき意識はあるさわりをおぼえ〈う〉なら〈う〉という有節音を発するだろう。このとき〈う〉という有節音は海を器官が視覚的に反映したことにたいする反映的な指示音声だが、この指示音声のなかに意識のさわりがこめられることになる。…
2013-01-17 02:36:03(承前)また狩猟人が自己表出のできる意識を獲取しているとすれば〈海〉という有節音は自己表出として発せられて、眼前の海を直接的にではなく象徴的(記号的)に指示することとなる。このとき、〈海〉という有節音は言語としての条件を完全にそなえることになる。
2013-01-17 02:37:23言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりをふくむようになり、それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき、はじめて言語とよばれる条件をもった。
2013-01-17 02:38:06言語が現実的な反射であった時、人類はどんな人間的意識ももつことがなかった。やや高度になった段階でこの現実的反射において、人間はさわりのようなものを感じやがて意識的にこの現実的反射が自己表出されるようになってはじめて言語はそれを発した人間のためにありまた他のためにあるようになった。
2013-01-17 02:40:18こういう言語としての最小の条件をもったとぎ、有節音はそれを発したものにとって、じぶんをふくみながらじぶんにたいする音声になる。またそのことによって他にたいする音声になる。反対に、他のためにあることでじぶんにたいする音声になり、それはじぶん自身をはらむといってもよい。
2013-01-17 02:41:14「この意味は、たとえばランガーが『ランポルの哲学』でかんがえたものからも、スターリンやマルクス主義言語学者がかんがえたものからも、このふたつの大別される傾向やその混こうとして言語をかんがえることからも、とおくへだたっている」(吉本隆明)。
2013-01-17 02:45:18「音声が現実にたいして反射的音声という視覚的反映との一義的な結びつきをすこしずつながい時間をかけてはなれてゆく過程で、手にいれた特性」
2013-01-17 02:47:54「アインシュタインとプランクの世紀はヒトラーの世紀になった。ゲシュタポと科学のルネサンスは同じ時代によって生み出されたのである。・・・ファシズムの思想と現代物理学の思想には恐ろしい類似性がある。」(『人生と運命』)
2013-01-17 10:36:58「ファシズムは独立した個人という概念、《人間》という概念を拒否して、すべてを巨大な総体としてあつかっている。現代物理学は、一つひとつの個体が大きく集った総体の中でもろもろの現象がどんな確率で起きるのか、その確率の大小について語っている。」(『人生と運命』)
2013-01-17 10:37:11「意識」――表象された表象、表象された意志、表象された感情(これだけが私たちに熟知のものである)は、なんと全く表面的なものであることか!私たちの内的世界もまた「現象」である!
2013-01-16 01:36:36つまり形式的に言えば、さまざまなグラフィティレタリングのアーカイブのなかから、「クイックターン」と呼ばれるもっともグラフィティらしい固有性の高い造形要素(線)を分析的に取り出し、反復することで新しい造形言語に仕立て直すというものですね。
2013-01-16 01:38:15seq1 シニフィアンとは、記号とともに繰り返す記号である。任意の記号が記号となる。ある記号が何を意味するか知ることはまだ問題ではなく、それが他のどんな記号とかかわり、他のどんな記号がそれに加わって、。――(上)p234
2013-01-17 17:33:37