渡邊芳之先生ynabe39の「「いじめられるほうにも原因がある」ということと「いじめられるほうも悪い」ということは「まったく別のこと」である。「いじめられるほうにも原因がある」を「間違い」として批判する人はこの2つを混同していることがある。」
Wikipediaの「自殺を予防する自殺事例報道のあり方」の項を見るとこの問題についてのWHO基準の概要を見ることができるし,リンク先で全文を読むこともできます。
2013-01-20 13:38:42@yobune それはホームドアでも同じですね。「そこで死なれたら困る」から死なれないようにする。そして「そこで死ぬのをやめた人」のうち何人かは「他の場所で死ぬ」わけですが「そこでやめたので死ぬのをやめる」人も必ずいます。そういうレベルの話ですよ。
2013-01-20 13:49:43「人の噂も七十五日」あるいは「去る者日々に疎し」。 RT @to_boesuruinu: 自殺に追い込んだ相手が社会的な制裁を受けて、その後報道されなくなった時に、自殺した子の名前を覚えてる人ってどれくらい居るのか気になります。
2013-01-20 13:50:35むしろ逆です。「原因」はあっても「非」はないんです。 RT @dsiain_etnto: 被害者にあるのはせいぜい「非」であって、「原因」ではないですね。「誘因」があるとは言えても
2013-01-20 13:51:29もともとわれわれは「自殺を評価し美化する文化」をもっていますよね。 RT @aphros67: 一方、産経新聞は自殺報道の中で「死を選んだ意味は決して小さくない」などと報道(・ω・) http://t.co/8gPXNvHe
2013-01-20 13:52:51@yobune これさっき別の人にも書いたんですが,「死んじゃいけない」というのと「働かないといけない」とか「学校に行かないといけない」というのは基本的に同じことだとおもいます。社会から個人への要求。
2013-01-20 14:02:56同じ「原因」でも反応は人によって違う。同じ「原因」を持った子を、いたわることもできれば、いじめることもできる。そこで、いじめることを「選択」することが「非」なのである。 RT @ynabe39: むしろ逆です。「原因」はあっても「非」はないんです。 @dsiain_etnto
2013-01-20 14:03:55@dsiain_etnto 朝から書いているように「被害者側に原因がある場合もある」ということも含んで「いじめの原因は加害者にも被害者にも,また学校などいじめが生じる環境にもある」と思います。しかしそのことと「被害者側にも責任がある」とか「いじめられるほうも悪い」というのは別。
2013-01-20 14:05:45@dsiain_etnto そもそもいじめについて「加害者側に原因がない」なんてことはあり得ないでしょう。たとえそれが「人間すべてが生まれつき持っている傾向」であったとしても「加害者側の原因」だと思いますよ。
2013-01-20 14:06:43古くからの日本文化の中では自殺には「悪いやつを反省させたり世の中を変化させたりする力」があったのだろうし,それがわれわれの自殺への態度と関係していると思う。しかしいまの日本で自殺にそのような力があるようにはどうしても見えない。
2013-01-20 14:09:29@proofbygoneJPN RTされてきたことだけ見てそういうコメントを投げつけることの方がよほど危険だと思います。前後のツイートでそのことについては詳しく述べています。
2013-01-20 14:11:59むしろこの人のように「元のツイートの特定の部分だけ切り出してまるでそれだけが発言されたようにしてコメントする」ほうがよほど危険だと思う。せめて「元の発言そのもの」をRTしてから意見をいうほうがいいのではないか。
2013-01-20 14:21:51人間は自動機械ではないから、「同じ原因」に自動的に「同じ反応」をすることはない。「同じ原因」を抱えた人に、同情するもできれば、怒ることもできるし、いたわることもできれば、いじめることもできる。どう反応するかは、反応する側の「選択」なのだ。だから、どの反応を選んだかが問題になる。
2013-01-20 14:23:24念のため,私はこの人の言う「あなたの発言が被害者への攻撃に利用される可能性がある」というのは「そのとおり」だと思う。文句を言っているのはそのことの「言いかた」と「私の発言の引用のしかた」だ。
2013-01-20 14:23:44@a334 「A君が崖っぷちを歩いていました,B君が押して,A君は崖から落ちました」このときA君が崖っぷちを歩いていなければB君が押してもA君は落ちなかったという意味では「A君にも原因がある」という話です。この場合も「A君に原因はあるがA君は悪くない」ですよね。
2013-01-20 14:26:34多くの場合、どの反応を選ぶかは、学習と反復によって習慣化され、自分が選んでいるという自覚はないだろう。しかし、常に「異なる選択」が可能である以上、そして、意識的に違う選択をすることもある以上、その反応を選んだ責任が、反応する側にある。
2013-01-20 14:28:08「いじめられる側に原因があると考えるのはとにかく間違いだ」という思考停止をしてしまうと,端的に言って「教師がいじめられそうな子がいじめられないように配慮する」ことが不可能になるんですよ。「この子はいじめられそうだ」と考えることは「その子に原因がある」と考えることですから。
2013-01-20 14:31:40障害があったり人種や文化が違うといじめられやすい,ということを認識してそいった特徴のある子がいじめられないように配慮することと,「障害があるのが悪い」「人種や文化が違うならいじめていい」というのはまったく別の話です。朝から言っているのはそういうことです。
2013-01-20 14:35:46