広島教採塾さん「体罰」についてのツイート。

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レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

@yuoita 体罰についてのご質問がありました。特定の事件に対する意見ではなく、体罰について私がどう思うかをお話ししましょう。

2013-01-11 00:18:21
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

体罰は、恐怖と暴力で相手を教育する方法です。多くの場合、体罰は即効性があると言えるでしょう。でも、それは非常に危険な「麻薬」なのです。なぜ、「麻薬」だと思うのかをお話ししましょう。

2013-01-11 00:19:59
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

人にあることをさせるのに、それが望ましいことであったとしても、望ましくないことであったとしても、暴力と恐怖で相手にそれをすることを命じるのは簡単です。例えば、拳銃を突きつけてお金を出せと言えば相手はお金を出すでしょう。暴力と恐怖は簡単な「説得手段」なのです。

2013-01-11 00:22:19
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

しかし、相手にお金を出して欲しい場合、それが借金の形であっても、投資の形であっても、相手を納得させて、相手に自らの意思で積極的にお金を出してもらうように説得するには技術とコミュニケーション能力が必要です。

2013-01-11 00:23:56
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

教師が子どもに対する時も同じです。宿題をやってこないとぶん殴ると言えば、恐怖のために宿題を忘れてくる子どもは減るかもしれません。でも、それは比較的、簡単な動機付けです。

2013-01-11 00:25:00
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

宿題をやる意義を適切に伝え、子どもが自発的にやりたくなるような興味深い宿題を考案し、宿題をやってきたことが自分の成長につながると実感させるような指導ができれば、また、宿題を忘れてくる子どもは減るでしょう。でも、この動機付けは、教師の側にかなりの熟練と努力が必要です。

2013-01-11 00:26:31
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

確かに時として、「殴ってでも子どもに教える必要がある」と思いたくなる場合もあるかもしれません。でも、それは、殴る以外に子どもを変容させる、成長させる手段を知らない、思いつかない、その努力ができないという証拠に他なりません。それは大人の甘えであり、指導責任の放棄だと思うのです。

2013-01-11 00:27:52
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

恐怖と暴力による指導は、少なくとも短期的には効果が上がります。これは様々な実験でも確かめられています。ただ、ここで問題としなければならないのは、私たちは効果があるからと言って、暴力と恐怖による教育を選択するのかどうかということです。

2013-01-11 00:29:54
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

私は体罰は「麻薬」のようなものだと思っています。体罰を行えば子どもは言うことを聞きます。短期的なら成果も上がります。でもそれは、教師の指導力や動機付けをする力をむしばみます。教師が日々、努力をし、思考錯誤をし、悩み、それでも前進する気概を弱めます。体罰は甘美な逃げ道だからです。

2013-01-11 00:32:28
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

どうしても殴りたいときこそ、体罰以外の指導法を考えるのが、教師です。私はそう信じています。教育は効果的なものだけを求めるものではありません。教育の本質は人格の完成です。人間としての行き方、在り方を追い求めることです。

2013-01-11 00:34:06
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

体罰が効果的でも、体罰を選択してしまえば、効果的であるが故に、教師としての苦しみ、葛藤、悩みが消えてしまいます。教師にとっては、子どもを大人にしていく時の、苦しみや葛藤、悩みこそが、教師を突き動かす原動力のひとつなのだと私は思っています。

2013-01-11 00:36:12
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

教師が教える苦しみや困難さから逃げて、安易な指導で効果を上げるために、体罰を行うことは、麻薬に手を出すことと同じだと思います。私は、どんなに苦しくても麻薬に手を出し、麻薬中毒になり、自らの生きる価値を消し去りたくはありません。

2013-01-11 00:37:51
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

体罰を行った特定の教師について、私が避難することはできませんし、したくありません。私には、その教師がその体罰を行った時の状況も想いも分かりません。でも、私は自分自身には次のように言い続けたいと思っています。「苦悩から逃げるな。人間の理想を忘れるな。そして、教え、指導し続けろ。」

2013-01-11 00:40:45
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

二つ前のツイートで「避難する」は「非難する」の変換ミスでした。ごめんなさい。

2013-01-11 00:42:31