今日のお話です。テーマは、「演出力なきものは去れ!」です。ちょっと厳しめな話になります(微笑)。お覚悟を!!
2013-01-17 23:35:19教師は舞台俳優の側面も持ちます。教壇に立てば、そこは舞台。何十人かの子どもの視線を一身に集めます。もちろん、授業の主役は子どもです。教師はファシリテーターです。そうは言っても、教師が授業という舞台のセンターステージに立っている事実は変わりません。
2013-01-17 23:37:39子どもの眼は教師に注がれます。子どもの耳は教師の言葉に向けられます。教師の一挙手一投足が子どもの学習に刺激を与え、動機づけを与え、興味関心を与えます。学習の主体は子どもでも、授業の演出は教師です。授業における教師は演出監督兼舞台俳優のようなものです。
2013-01-17 23:40:10だから、教師には演出力が必要です。演出力にはいろいろあります。表現力、パフォーマンス力、発話力などなど。教師の演出がつまらなければ、授業もつまらなくなります。教師が演出をサボれば、子どもは興味関心を失います。教師の演出はそれほど重要なのです。
2013-01-17 23:41:39人物評価試験(面接や模擬授業など)は、あなたの演出力もしっかりと見極められます。演出力がなければ教師にはなれません。でも、教師は、本物の俳優ではありませんから、演技力だけが求められるわけではありません。教師には俳優の側面も必要ですが、俳優とイコールなわけではありません。
2013-01-17 23:43:45教師に必要な演出力とは、端的に言えば、次の3つです。1.相手に興味関心を抱かせる発話力。2.相手の心を見通して、相手の共感や感動を勝ち取る洞察力。3.何が重要で何が目標かを相手に伝え理解させる力。 この3つを効果的に成し遂げるための表現力が、教師に必要な演出力に他なりません。
2013-01-17 23:49:55教師の演出力は、面接や模擬授業のときに試されると述べました。皆さんも、もう、面接は平凡で無難にこなしてもダメで、みなさんの自分らしさをユニークに表現することが重要であることは理解していただいているものと思います。また、教育への想いや教職への情熱もしっかりと伝えなければなりません。
2013-01-18 00:13:22今日は、いつもとは異色のお話をさせていただきますね。今から二十数年前、私が大学院を修了して初めて教師になったときのことを例にお話しします。自画自賛の部分もありますが、演出力の具体例ということでご容赦ください。
2013-01-18 00:15:20私が初めて教師になったのはアメリカのアイオワ州です。1990年のことでした。当時、私は24歳、大学院修士課程を終えたばかりです。アイオワ州の公立高校で日本語日本文化を教える仕事でした。日本からの派遣ではなく、現地採用の職でした。定員は10名。応募者は100名を超えていました。
2013-01-18 00:17:35全て英語による面接試験をパスして、採用されました。赴任地はアイオワ州のスーシティー市の公立高校。他に日本人教師も、日本人生徒もいません。外国人講師のようなお客さん待遇ではなく、現地の臨時免許を交付されての、正採用待遇です。職員会議にも出ますし、保護者懇談もこなします。
2013-01-18 00:19:43もちろん、全て英語、周りはアメリカ人ばかりです。普通のアメリカの公立高校で、普通の教師として働きます。教える科目が日本語・日本文化と言うだけです。
2013-01-18 00:20:44スーシティ市に到着して数日後、地元新聞のインタビューを受けました。もちろん、英語です。アメリカは地元新聞が全てですから、スーシティの世帯全部がその新聞をとっています。初めての日本人教師の誕生なので、おそらく一面トップに載ることが予想されます。
2013-01-18 00:23:55アメリカの場合、新聞の表の面にテレビ欄はありませんから、片方の表の面が国内国際ニュースの一面記事、もう片方の面が、ローカルの一面記事となります。いずれにしても、新聞の表面を飾る記事になります。
2013-01-18 00:25:40時は5月。アメリカでは夏休み中です。新学年は9月から始まります。生徒に会うのは4ヶ月後。でも、私が赴任することはみんな知っています。既に、生徒たちは、受講登録の予約もしているとのこと。
2013-01-18 00:27:26この新聞記事を絶好のチャンスだと私は考えました。子どもたちに、保護者の皆さんに、同僚たちに、そして、スーシティ市民全員に、自己紹介(自己PR)をし、私がなぜこの職に応募し、なぜ日本からやってきたのかを伝える絶好のチャンスでした。私が何を目指して教育するのかも伝えたいと思いました。
2013-01-18 00:29:59インタビューを申しこまれて、インタビューまで約2時間ほどでした。新聞記者はもちろんアメリカ人。言葉は英語です。どんな質問をされるのかは分かりません。インタビューは1時間ほどだと伝えられました。
2013-01-18 00:30:53その時の新聞記事の切り抜きがあります。ご覧ください。日付は、1990年5月18日です。写真は24歳の頃の私です。大学院を出て、社会人1ヶ月目の私です。 http://t.co/anC7T1mI
2013-01-18 00:32:35私の戦略はこうでした。日本から来た初めての教師だが、日本の特殊性ばかり強調してはいけない。ありのままの日本を知ってもらおう。1990年でも、日本でもアメリカでも子どもはニンテンドーで遊んでいました。日本にはサムライはもういません。ファストフードも人気です。
2013-01-18 00:34:59日本をサムライの国、ゲイシャの国ではなく、ありのままの日本として知ってもらい、日本のティーンエージャーの姿も知ってもらおうと考えました。日本の良き文化や伝統は紹介しながらも、日本を不思議な東洋の国にしてはいけないと感じました。ありのままの日本を伝えたかったのです。
2013-01-18 00:37:01だから、私はこんな話から始めました。新聞の記事にも最初に引用されています。「日本からはるばるアイオワにやってきたのでホームシックになることはあります。でも、そんなときには、マクドナルドかケンタッキーに出かけます。メニューや味は日本と同じですから。」
2013-01-18 00:39:46これはアメリカ人にもウケたようです。日本から来た教師が、ホームシックになったらマックに行く。だって、日本でもファストフードは人気ですから。同じ味を味わえますから。というこの語りは、戦略的に大成功でした。アメリカと日本の現代社会の相似性を一発で伝えることができました。
2013-01-18 00:41:19もちろん、全くメニューが同一ではないし、味も微妙に違うかもしれません。まあ、それはそれとして、大枠の話で、ということです。
2013-01-18 00:42:00これで私は、一気に、「得体の知れない東洋人」から、アメリカン人にも通じるsense of humorを持ったひとりの教員として認知してもらえました。この記事以来、ショッピングモールを歩くと、よく、市民の皆さんに話しかけられました(笑)。
2013-01-18 00:43:18先程のエピソードを語ったのち、私は、新聞記者に、私がアイオワの高校で、生徒たちに何を教えたいのか、どんなことを子どもたちに学んで欲しいのかを熱く語りました。新聞記事にもその要約を書いてくれています。
2013-01-18 00:45:05新聞記者からアメリカでしてみたいことは?と聞かれ、私はワシントンDCに言ってリンカーン記念館でゲティスバーグの演説を読みたいと答えました。そして、私はアメリカの歴史に興味があること、言語はその国の歴史や文化に密接に結びついていることなどを語りました。
2013-01-18 00:46:45