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日本熊森協会 本部 @KumaMoriNews
これでは国民洗脳番組です   2月14日  NHKクローズアップ現代「ハンターが絶滅する!?!?どう守る狩猟文化」: 気の毒にも、NHKは、国策の代弁報道をする義務を背負わされているのでしょうか。   残念ながら、こと [...] http://t.co/fqWtfcQmih
リンク くまもりNews - Just another WordPress site これでは国民洗脳番組です 2月14日 NHKクローズアップ現代「ハンターが絶滅する!?見直される狩猟文化」 気の毒にも、NHKは、国策の代弁報道をする義務を背負わされているのでしょうか。   残念ながら、こと自然に関しては、「クローズアップ現代」は、これまでも環境省の国策を是として、国民を洗脳し、環境省の思う方向に国民を誘導する報道を繰り返してきました。 ...

確かに、縄文時代は、狩猟採集文化であったと思いますが、基本的にはその後、稲作漁撈文化に変わっていったのではないのでしょうか。
東北の一部に、マタギと呼ばれる人たちがいましたが、全人口から見ると、パーセンテージにもあがらない、ごく例外的な少人数だったと思われます。
江戸時代、狩猟が許されていたのは、将軍や天皇家などの特権階級だけではないのでしょうか。山奥の人たちが、銃を持っていたといっても、おどし銃として持っていた場合も多く、ごく当たり前に狩猟していた割合がどれくらいあったのか、今となっては調べようがありません。

独特の狩猟文化がはぐくまれていたといわれていますが、文化というのは、日本人の多くが行っていた場合に使う言葉だと思います。 歴史を振り返ると、676年の天武天皇の「肉食禁止令」から始まって、明治になるまでの1200年間、肉食や殺生や、狩猟に対する禁令が出っぱなしに出続けています。禁令を破る人がいたからでしょうが、いつの世でも、決まりを守らない人はいます。しかし、日本人の特質として、多くの人は、決まりに従ったと思われます。
昔の記録は少なく、今となっては当協会も確かめようがないのですが、少なくとも、狩猟が日本に入ってきたのは、明治時代です。

aurora @aurora173
これでは国民洗脳番組です 2月14日  NHKクローズアップ現代「ハンターが絶滅する!?見直される狩猟文化」くまもりNews http://t.co/ttOAWT9h2q
ミミコ @purin521
これでは国民洗脳番組です 2月14日 NHKクローズアップ現代「ハンターが絶滅する!?どう守る狩猟文化」 http://t.co/DvIzFbvLbK
アサイ @poplacia
熊森協会「江戸時代、狩猟が許されていたのは、将軍や天皇家などの特権階級だけではないのでしょうか」に対して。『近世における在村鉄砲が、武器としてではなく野獣対策用の農具=生産用具として広く流布していた』 / “天保期の幕府鉄砲改めに…” http://t.co/h2YrPw1BCT
nyaraku @nyaraku
日本熊森協会 熊森の会長さんはクローズアップ現代を見て脊髄反射してないで、苦情言う前に過去はどうだったんだろう?とググれは色々事実がわかってくると思う。とにかく殺すなって言いたいんだろうな。
エキセントリックパ-リ-みお @yuzuchiro
熊森が狩猟者取り上げたクロ現に噛み付いて「かつては狩猟民族でした、というかつてとはいつなのか!」などと言っているが、そのまま言葉をお返ししたい。かつてクマがたくさんいた豊かな奥山が人工林に!っていうかつてっていつだよ。
アサイ @poplacia
NHKクロ現の狩猟番組を受けての、熊森協会の「江戸時代、狩猟が許されていたのは、将軍や天皇家などの特権階級だけ」「狩猟が日本に入ってきたのは、明治時代」などの主張。 / “これでは国民洗脳番組です 2月14日 NHKクローズアップ…” http://t.co/Z9reAI0ZQt
桔梗屋 @r_kikyoya
NHKに噛みついた熊森の主張は面白いが、私は「肉食を禁止されても日本人はこっそり食べてた」説を支持したい。→ 「日本における肉食の歴史」http://t.co/jZYxN54Jh9、「日本の獣肉食の歴史 - Wikipedia」 http://t.co/vR6VjLJr6R
頓服 @alchmistonpuku
@r_kikyoya 結構食べてたはずですよね。うさぎとかは東北ではかなり食べてたと思います
桔梗屋 @r_kikyoya
@alchmistonpuku 私も同感です。普通の日本人ならそういう認識だと思うのですが、熊森さんの歴史観は違うようですね。また江戸時代については「表面的には禁止されていた」という部分は正しいようなので余計にタチが悪いと思います。これが恣意的なものか本気なのかは判りませんが。
≡‡ぁ⊃□ぅ @mikia26
!? 「少なくとも、狩猟が日本に入ってきたのは、明治時代です」 http://t.co/4P2mXivSkl 「文化というのは、日本人の多くが行っていた場合に使う言葉」――ということは、マイノリティには文化がないということなのかしら。
桔梗屋 @r_kikyoya
この文章を書いた熊森の人は、「江戸時代に肉食をしていた日本人はいない」という発言が、この時代も肉食文化を保持し続けた国内のマイノリティへの差別意識に直結していることになんか気づいていないと思う。 http://t.co/J0unuEUTtw
飛魔人 @himadin
獣肉が日本の食文化に有ったか無かったかで言えば、私は「確実に有った」だ。ただ現代の食用肉とは異なる部分も多かっただろう。例えば現在では普通に食べられている牛・豚・鶏は滅多に食べることはできなかったろう。牛は農耕の大切な労働力だし、雌鳥は玉子という貴重な蛋白供給源。
飛魔人 @himadin
つまり、老衰してそれ以上飼っていてもメリットが無くなると、食用に回した。この手の話は、割と普通に菊し、自分でも経験してる。 夜店で買って来たひよこを育てていたら、親父が「もうちょっとで食べ頃だな」って言われてアこともある。
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
日本には古来から狩猟文化も獣肉食文化も連綿と続いていまして、「江戸時代には獣肉食タブーがあったので狩猟はごく稀にしか行われていなかった」などというのは誤りです。江戸の街に「ももんじい屋」と呼ばれる獣肉店があったことは、近世日本史に興味のある人なら誰でも知っています。(つづく)
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
(つづき)ですから、狩猟が明治に日本に入ってきた、などという珍説に触れたとき教養ある人々が「おいおい」と言いたくなるのもわかるのですが、件の主張は環境省の狩猟キャンペーンに対する批判として提示されていることに留意が必要です。(つづく)
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
(つづき)最近は農家の人々が自衛のために狩猟免許(主にわな)を取得することが増えてきましたが、少し前までは狩猟といえば裕福な趣味人のスポーツという雰囲気があり、銃猟がメインでした。私は以前猟友会の偉い人と知己を得たことがありますが、その人は元県会議員でした。(つづく)
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
(つづき)猟友会は地区ごとに独立性が強く、必ずしも一枚岩ではないのですが、昭和の中頃から平成初期くらいまでは、「狩猟は紳士のたしなみだから、罠にかけて捕獲するなどもってのほか」という意識の人が多かったようです。(つづく)
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
(つづき)もっとも当時の猟友会主流派がわな猟に反発した理由はスポーツマンシップという精神的なものほか、猟犬がわなにかかって負傷する恐れという実際的な理由もあったようです。ともあれ、往時の猟友会的狩猟文化を念頭に置いて件の記事を読めば、言わんとするところが理解できます。(つづく)
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
(つづき)ただし「理解できる」というのは「賛同する」という意味ではありません。シカが増えた理由が狩猟者数の減少だとは言い切れないとしても、では今後どうすればいいのかと考えれば、狩猟圧を高める以外の有効な策は考えにくいでしょう。(つづく)
安眠練炭 @aNmiNreNtaN
(つづき)また、私には拡大造林がシカ増加の主要因だとは思えないのですが、仮にそれが事実だとしても拡大造林は既に終わっていますし、なかったことにはできません。また、今から杉や檜を切って広葉樹林に転換しようとしても苗木がシカの餌食になってしまいます。(つづく)
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コメント

RP!5千万 @kawalle 2013年2月27日
会話の流れがランダムにまとめられています。これでは読んだ方には何を言っているのかご理解いただけないかと思います。せっかくですから、会話の繋がりを正確にまとめていただければと思います。
アサイ @poplacia 2013年2月27日
@kawalle まとめ内の話題について、順序を整理しました。
アサイ @poplacia 2013年2月27日
編集権を「誰でも編集可」としましたので、まとめに問題等がございましたら、お手数ですが修正いただければと思います。
RP!5千万 @kawalle 2013年2月27日
せっかくまとめていただいたのですが、まだ、会話の流れが、正しくありません。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年2月27日
肉食という本論からは少しずれますが、明治時代以前、いわゆる近世に狩猟があったかなかったかという話なら、「猟師鉄砲御免願書」「鉄砲請書」等々の語句で検索をかけると、市史・村史等の古文書が数多くヒットします。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年2月27日
たとえばhttp://www.hist.shimane-u.ac.jp/Nihonshi/Kobayashi/2005k/060107.htmlですが、ここには「猟師鉄砲」と「威鉄砲」の2種類が登場します。後者の威鉄砲は田畑を荒らす鳥獣を追い払うためのものですが、では「猟師鉄砲」とはなんなのか。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年2月27日
別の史料『大鹿村前島家文書目録』(http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/6616/1/maeshima-ke.pdf)には、元文元年(1736)から明治4年(1872)までの、村で所持していた鉄砲の数が記されていますが、ここにも「猟師鉄砲」と「威鉄砲」の2種類がみられます。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年2月27日
威鉄砲の所持数より、猟師鉄砲のそれが少ないのかなという印象がありますが、ともあれこの2種が厳に区別されていたということはいえそうです。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年2月27日
目を転じて、罠猟についてですが、「北総の猪垣」(http://www.echiba.org/pdf/kenrenshi/kenrenshi_051.pdf)にみられるように、小豆島、熊野、岐阜、岩手等日本のあちこちで獣害から耕作地を守るための垣や土手が築かれており、時には猪穴という罠を掘ってかかった獣をしとめることもあったようです。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年2月27日
これらを総合すると、スポーツハンティングとしての狩猟は知らず、害獣を駆除するという意味での「猟」は明治以前から広く行われており、予防対策を含めてひとつの文化を形成していたと考えるのが妥当なのではないでしょうか。
アサイ @poplacia 2013年2月27日
まとめを一旦非公開としました。発言された方のみの限定公開としてあります。
佐久間 功 @Biz_Sakuma 2013年2月28日
長野県諏訪大社の鹿食免(=仏教的には禁じられているが食べてもいいよという免許状)の存在を考えるに、江戸時代以前であっても、山間部を中心に、多少の後ろめたさを感じつつ、職業としての猟と獣肉食は行われていたと考えるべきでしょう。また諏訪大社には御頭祭という鹿を供える祭りもあります。一部の諏訪神社(全国各地の)にも獣肉を供える祭りが残っているようです。
佐久間 功 @Biz_Sakuma 2013年2月28日
また日本野鳥の会の鳥獣保護法に関するQ&A(http://www.wbsj.org/activity/conservation/law/law-summary/choju/choju_qa/choju_qa1-10/)にもありますが、明治6年という維新間もない時期に「鳥獣猟規則」が定められたということは、幕藩体制下で規制されつつも行われていた狩猟のモラルやマナーが乱れ、政府がその規制に乗り出した、という解釈でよいのではないでしょうか。
こいん @360coin 2013年2月28日
野生動物は王侯の狩猟地ではむしろ種を維持できる可能性があり、直接狩猟対象になっていなくても、農民からは絶滅の危険がある圧力を受ける。明治以降の乱獲が酷いのは確かだが、熊森の会長がその辺りをどう認識しているかが気になった
佐久間 功 @Biz_Sakuma 2013年2月28日
宮崎県銀鏡神社の猪狩りを模した神楽「シシトギリ」http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/03_shiromi.html 猪肉の雑炊が振舞われるとのこと。その後山の恵みに感謝し、イノシシの霊を慰める祭りも。神社方面から調べてもいろいろ出そうですね。
佐久間 功 @Biz_Sakuma 2013年2月28日
諏訪大社の鹿食免に関しては、これの2ページ目後半から3ページ前半をご参照ください。http://www.ee-suwa.jp/culture/pdf/kaido02.pdf
salmo(ポリコレめんどくさい @invasivespeacie 2013年2月28日
一つ具体例を上げると広島県の草戸千軒遺跡(鎌倉~戦国)からは多くの哺乳類の骨が見つかりその多くは犬の骨かつ骨に肉を削ぎ取った痕が見られます。タンパク質を得るのは必ずしも豆や魚介だけでなかったという証左ですよね。武家などの上流階級だけが肉食をしていたかは疑問ですね。
salmo(ポリコレめんどくさい @invasivespeacie 2013年2月28日
とりあえずネットで拾えるところから拾った数字を述べますと、草戸千軒遺跡から発掘された骨の内訳は犬:48.4%、鹿:5.8%、馬:5.7%、牛:4.1%、その他:36%です。出典元はこちら(http://www.eonet.ne.jp/~society/inunikusyoku.htm)
salmo(ポリコレめんどくさい @invasivespeacie 2013年2月28日
あとは中世って戦いが多かったわけですが、当然武具が必要になりますよね。それにウシやシカの革を用いていたので結果として肉が出る。現代でも剣道や弓道で鹿皮や鹿の毛を使いますしね。大量に出るであろう肉を当時の人はただ見過ごすだけだったんですかね?
クロイヨシツネ @YoshitsuneK 2013年2月28日
くまもりNewsに関して言えば「少なくとも、狩猟が日本に入ってきたのは、明治時代です。」は明らかな間違いでしょう。 贔屓目に見れば、熊森協会さんの言われる「狩猟」は一般的な狩猟とは定義が違うのかもしれません。
クロイヨシツネ @YoshitsuneK 2013年2月28日
くまもりNews「明治になるまでの1200年間、肉食や殺生や、狩猟に対する禁令が出っぱなしに出続けています。禁令を破る人がいたからでしょうが、いつの世でも、決まりを守らない人はいます。しかし、日本人の特質として、多くの人は、決まりに従ったと思われます。」 あくまで推測ですが、多くの人が決まりに従ったのが事実であれば禁令が出っぱなしに出続けていたと考えるのは難しいです。 守らない人が少なからずいたので禁令が出っぱなしに出たと考えた方が筋が通るかと。 重ねて書きますがあくまで推測。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年3月1日
寛永年間に書かれた『料理物語』には、鹿・狸・川獺・猪・兎・熊・いぬの7種類の獣の料理が載ってますね。こちらは現代語訳もされているので、探して読んでみたいと思います。
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年3月1日
未読なのですが、『神代余波』(斎藤彦麿著 〈燕石十種 第3巻/中央公論社 所収〉)にも江戸時代の肉食に関する記述があるようです。孫引きで恐縮ですが、引用していらっしゃるサイトさんがあったのでそちらからコピペ→
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年3月1日
「明和、安永の頃は、猪鹿の類を喰ふ人稀也、下ざまのいやしき人も、ひそかに喰ひて、人にいはず、かたみに耻あへりき、天明、寛政の頃より、やゝよろしき人も、かつかつくふ事となりて、今は、自慢としてほこれり」
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年3月1日
『本朝食鑑』(人見必大/平凡社東洋文庫 所収)にも獣肉の項がありました。こちらは国立国会図書館デジタル化資料で見ることができます(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2569423?tocOpened=1)が、猪・熊・鹿・兎をはじめ、山犬や猿、鼠なども載っていますね(味が「未詳」のものもあるので、全部が全部食べられていたかはわかりませんが)
2nd_Stain @2nd_Stain 2013年3月1日
江戸時代に書かれた日記や随筆、あるいは読本等を追っていけば、肉食が庶民にどうとらえられていたのかあたりをつけることはできそうですね。
medalist @medalist12 2013年3月1日
後半のどんぐり撒きについて、地元に詳細な場所を説明しているかはやはり怪しいと思う。地元の人に「どんぐりを撒いて餌が増えれば熊も里に降りて来にくくなる」程度の説明をすれば、熊への恐怖を感じている人ならば、手ばなしに信じてしまうのではないか、と考えている。
アサイ @poplacia 2013年3月2日
まとめを更新しました。 @complex_cat さんの発言を削除したほか、 @aNmiNreNtaN さん、 @t1akira さんの発言を追加させていただきました。問題あればご連絡いただけると嬉しいです。
RP!5千万 @kawalle 2013年3月2日
いずれにしても、675年以降も狩猟が続くことは事実ですが、武士階級、降雪地帯、お上からの借り上げによる農民による害獣駆除など、非常に限定的であったことは、史実から間違いないと思います。狩猟による乱獲と種の絶滅が問題になってくるのは、明治以降で間違いないかと思います。
RP!5千万 @kawalle 2013年3月2日
「料理物語」は私も読みましたが、庶民が日々口にするような料理ではなく、今で言うと一流の料理人による料理。一部の特権階級向けの特別食や神事には、獣肉が供されていたことは多くの文献がありますね。
RP!5千万 @kawalle 2013年3月2日
江戸中期〜後期に入ると、人々の生活は多様化したことは史実です。わずかな量ながら、獣肉は「商売」として流通したことも記録が残っています。件の「ももんじい屋」の創業は、1718年です。しかし、銃の管理はやはり厳密で、鑑札をつけて管理したのは、江戸の銃管理の最大の特徴。出所不明の銃が農村に存在したかどうかに関しては、疑問に感じます。
RP!5千万 @kawalle 2013年3月2日
いわゆる趣味としての狩猟「ハンター」による乱獲が、生態系に影響を与えるようになったのは、やはり、明治に入ってからで、間違いないと思います。
RP!5千万 @kawalle 2013年3月3日
2nd_Stain 害獣駆除の猟も限定的。決して「広く」行われてはいないと考えます。根拠は「猪狩鉄砲拝借願」という当時の書類は現存しており、お上から銃を借りたのは、期限付き、しかも1つの村あたり、たったの2挺。広く猟を行うのは物理的に不可能。「広く」ではなく「限定的に」のほうが妥当だと思います。
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