ふたつめの矢印は論理的につながってる、というか自動的に結びついてる。ひとつめの矢印、男と女がいて、ふたりをどうして兄妹だと直感したのか、というところを考えるべきなのだ。
2013-04-17 02:27:33ウソかホントかは関係ない。私はふたりが兄妹だと直感的に認識する。直感をもたらすのは「兄妹関係のテンプレート」、本当だろうか?
2013-04-17 02:31:53「兄妹である」という事実があっても、私がそうだと納得できるだけの現実感が生まれるわけじゃない。ですね。 https://t.co/rixUvQvOyv https://t.co/Bnbt3XgDaq
2013-04-17 02:43:45@gumB46 これは「認識としてその事実があると知る事ができるか?」その時「らしさ」とは類似しない兄妹がいる。と考えるのであれば。「らしさ」に類似して兄妹を知れる。事に反する様に思う。「らしくない」その兄妹は「らしさ」を持つのか。「らしさ」とは、「テンプレート」とは何か。
2013-04-17 02:54:56少なくとも僕らは認識を担う「らしさ」を知らずに生まれたのではないか?それとも全ての「らしさ」を持って生まれるのか。それとも根源的な「らしさ」知って生まれ、そこから新たな「らしさ」を獲得するのか。
2013-04-17 02:57:45@3or7935 ここまでの自分の考え方でいくとしたら、「テンプレート」との類似性により兄妹か否かを直感する。兄妹であるという「事実」を「らしさ」から知ることはできない。「らしくない」兄妹は兄妹として直感的に認識しない。ということになるでしょうか。
2013-04-17 02:58:21@gumB46 直感ではない。認識というのはなんだろう?自分にとって事実である事ではないかと思っていたのですが。――客観的事実とは別に直感を定めて「直感によって「らしくない兄妹」を捉える事はない。」(客観的事実を直感を必要とせず知る事が出来るか。)
2013-04-17 03:05:33@3or7935 認識が事実である事とはどういった意味でしょうか。「客観的事実」は直感ではない方法で導かれると思います。兄妹は血縁や戸籍による定義があって、それは言語を用いた活動ではないでしょうか。
2013-04-17 03:15:49「自分があるものがaだと知るために客観的事実がある事を必要としない。客観的事実によって知ったあるものがAである事と、客観的事実を必要とせず知ったaである事は別の事である。」
2013-04-17 03:16:21@gumB46 すみません、だいぶ、おかしな文章になってました。客観事実がある事と主観的に事実があると思う事は別というの当然だと思いますが。「事実の認識がある事」は客観的事実を必要とせず。それが客観的事実と合致するかはともかく、事実を発見した(と思っている)状態です。
2013-04-17 03:20:17