耐えられず、僕は毎日、ラムを一本あけてました。毎日毎日、ラムの瓶が部屋に並んでいくわけです。絶望という井戸は、どんなに覗き込んでも底が見えません。そして、身を乗り出せば、いつか落ちてしまう。
2013-04-17 06:59:40ただ、部数が、つまり読者が減っていくだけならば、まだ耐えられたでしょう。小説を書く喜びによって。天秤を思い浮かべてください。右側の皿に喜び、左側の皿に絶望。釣り合って、なんとか続けられたと思います。
2013-04-17 07:02:21けれど、左側の皿に、別のものが乗りました。ふう。この先を書くのは、気が重いです。今、この時間に、この文章を読んでくれている人の中にも、傷つく人がいるでしょう。僕はこんなことを書くべきではありません。
2013-04-17 07:03:40先に書いたように、僕は家人を得て、子供も得ました。一男一女。喧嘩しながらも、苛々しながらも、まあ悪くない日々です。チョコレートをたっぷり味わっています。けれど、世の中の大勢は、そうではありません。
2013-04-17 07:07:04学生時代の友人たちの多くは、結婚していません。もちろん子供もいません。さまざまな統計によると、日本の二十代、三十代の三割くらいは、結婚することも、子供を持つこともありません。仕事柄、作家や、書店員さんとの付きあいが多いですが、彼らに絞ってみると、その割合はさらに高くなるでしょう。
2013-04-17 07:10:15傾向は鮮明です。男女の関係を描いた小説は今、まったく売れなくなりました。家族を描いた小説は今、まったく売れなくなりました。大人を描いた小説は今、まったく売れなくなりました。
2013-04-17 07:11:37僕は家族の小説を書きたい。大人の小説を書きたい。男女の小説を書きたい。けれど今、それらは求められていません。先日、よつばとのことをとりあげましたが、もし書くとしたら、ああいう形にするしかないわけです。あずまさんは見事にやっているけれど、僕はできないでしょう。
2013-04-17 07:15:49僕は痛みも書きたい。得ることは失うことでもあるのだと。男女の関係を、たとえばラブコメとして書いてしまえば、部数を伸ばせるでしょう。わかっています。書こうと思えば書けるでしょう。しかし、夫であり、父である僕は、意味を見いだせません。そこまで悟ることはできません。
2013-04-17 07:19:49こういう形は、想像していませんでした。丸太橋を渡り続けているうち、いつか落ちるだろうなとは思っていた。才能が涸れるだろうとも思っていた。表現者には必ず、そういう時が来ます。終わりがあることを知りつつ、走り続けるわけです。
2013-04-17 07:26:07問題なのは、丸太橋を渡ったその先、土地が、さして魅力的に思えないことです。パートナーを持たず、子供を持たず、ただ自分だけを見ている人たちがいる土地。僕はそこに住みたいとは思いません。僕は他人を求めたい。傷つきたい。子供と喧嘩をしたい。
2013-04-17 07:33:10前にも書きましたが、子供との喧嘩は、本当に苛々します。家人との喧嘩もそうです。どうにも腹がおさまらなくて、僕は家出したことが三回くらいあります。家人も二回くらいあるかな。僕たちはいい年をした大人ですが、悟れるかといえば、そんなの無理です。
2013-04-17 07:37:36ちょうど今、家人と娘が出かけました。「いってらっしゃい」「いってきます」と言葉を交わしました。僕たちが住んでいる部屋は、長い内廊下の突き当たりにあります。彼らが去っていくのを見ていると、廊下の角で娘が立ち止まりました。そして、両手を大きく振りました。笑っていました。
2013-04-17 07:44:26もう二年くらい前に書きましたが、ポップカルチャーは消費されていくものです。僕たちはそれを恐れるべきではない。時代についていけなくなった表現者は、ただ消えればいい。
2013-04-17 08:07:24社会を恨んでも仕方ありません。その社会がたとえ、行き詰まりに向かっていたとしても。恨むべきは、社会を変えられなかった自分です。至らなかった自分です。誰かのせいにはできません。
2013-04-17 08:10:37以上です。まあ、先のことは決めていません。小説を書くこと自体は好きなので、だらだらと書き続けるかもしれないし、あっさりやめちゃうかもしれません。わからない。そしてね、わからないというのは、すばらしいことだと思います。
2013-04-17 08:13:05