渡邊芳之先生@ynabe39の「「親だって聖人君子じゃない」ことは明らかに当たり前なのだが,それが当たり前だから言う必要のないことでなく「わざわざ言わなきゃならないこと」に思える,ということが問題の所在を示しているのだろうと思う。」
よく嫁さんと喧嘩になるのが、ボクは「親にしてもらったこと無い」から「子供にやってあげよう」と、嫁さんは「だから子供にもしてあげない」だったり。不思議だ……。 RT @kogemotti: @ynabe39 愛情一杯だからこそ~心がほんわかするような体験してる人が少ないのかしら。
2013-04-17 20:03:04"渡邊芳之先生@ynabe39の「大人は「訳の分からない怒り方」するほうがいいんだ。理詰めじゃ子どもも辛いよ。」" http://t.co/JqHs9389Ru 色々思うところはあるけど、親だって聖人君子じゃないですからね
2013-04-19 23:01:12「親だって聖人君子じゃない」ことは明らかに当たり前なのだが,それが当たり前だから言う必要のないことでなく「わざわざ言わなきゃならないこと」に思える,ということが問題の所在を示しているのだろうと思う。
2013-04-19 23:04:17@ynabe39 親のイデア、と言う物があると思うんでしょうね、というかそのような物があると思うように教育され続けているとした方が良いのでしょうか。学校の道徳などでしたら反発も警戒もしそうですが、イデアの刷り込みだけは無意識に浸透してるのかもしれませんね。神や祟りのように
2013-04-19 23:12:01@ynabe39 TLを遡ってこの件を読みました。本件とは確かに関係ありませんがこの件に隣接するフロイトの構図(理不尽に怒っている様に見えるが理由=原因がある)に一切の言及が無いのは何を表しているのだろうと思いました。
2013-04-19 23:12:41@ynabe39 発達相談でもこの当たり前のことがいけないことみたいな雰囲気を感じることが。真面目な親御さんほど「いい親」のイメージに苦しんでいる印象があります。
2013-04-19 23:14:33@ynabe39 推察でしかありませんが、「同じ神を信じる人であるのならば話が通じる」という、共同体の中にその人物をいれるかどうかの判断基準としてのイデアなのかもしれないと思ってしまいます。
2013-04-19 23:15:17@syoiti フロイト的な「原因」は私の話し相手だった人々の考えるような意味での「原因」ではないし,「感情にはフロイト的な意味では原因があるが,その原因は意識や思考や論理にはないし,意識されない,意識できないことの方が多い」ことは最初から前提だからですね。
2013-04-19 23:16:32@coachmurakami 「親も聖人君子ではない」といわれると責められたように思う人が多いと思います。もともと「聖人君子ではない」という言い方は「だから悪いことをしている」という悪い意味で使われることの方が多いですしね。
2013-04-19 23:17:56@ynabe39 昔より田舎よりいまの情報化社会の方が時間を金銭的価値で量り万事ガイドという攻略本を用意しないと事さえ構えない時代ですからこんごはもっと赦さない神が増えイデア信奉が違える人物と付き合う余地は無い、という感じになりそうな気も幾ばくかします。
2013-04-19 23:21:03@ynabe39 その前提の中で議論を終えるのが可能か否かは「子供にとって救いになる」というフレーズが出て来た段階で非自明になった様に見えたのですが誰もそこに気づかなかったのを不思議に思ったということでした。
2013-04-20 00:00:08@syoiti もともと「議論」はしていないんです。私がある一定の知識に基づいてなにかのビジョンを示すときにそれを読む人全員にその一定の知識の共有を求めることはできないし,そのビジョンがそれぞれの人にどのような理由で受け容れられるか,あるいは受け容れられないかはわかりません。
2013-04-20 06:59:57@syoiti むしろ私がツイッターやネットで何かを言うときには(こちらは学問的専門的知識に基づいて言っている場合でも)「直感的にわかる人が直感的に受け容れる」ことのほうを意図していることが多いだろうと思いますし,実際そうなっています。
2013-04-20 07:01:51