中東戦争におけるアラブ側MiG-19/21に関するメモツイート(1)
めも:MiG-21が輸出される時は、総合支援システムが購入されることはまれであった(元々カバーエリアが狭く、エジプトやイラクのように国土が広い国では全域をカバーできない)。MiGはしばしばGCIコントロールエリアの遥か外で作戦に従事していた。
2013-04-24 10:36:15めも:イラク人亡命パイロット、Maj Samirさんの回想。「R-13レーダーは、冷却システムの不具合のためマッハ1.2を超えると使えなかった。レドームの後ろに開けられた環状のスロットから空気を取り入れるのだが、マッハ1.2を超えるとショックコーンが前進するので機能しなくなる。」
2013-04-24 10:49:13めも続「当然、レーダーはオーバーヒートするかスイッチを切ってしまうかの2択になる。パイロットはR-13レーダーを嫌っていて、積極的に使わなかった。"Mark 1 eyeball"の方が信頼性があったよ」
2013-04-24 10:51:09めも:六日戦争前に「恐るべき脅威」とされていたエジプト空軍の実態。MiG-21×144機、MiG-19×40機を保有していたが、前者の稼働率は60~65%どまり、後者はもっと低かった。空軍基地はスエズ運河沿い・カイロ・ナイルデルタに集中し、(続
2013-04-24 11:08:40めも続:その基地も近代的なジェット戦闘機に適合しているのは少なく、そのため重大な混雑を来していた(実は、エジプト側の算段としてはイスラエルとの開戦準備が整うのは1972年だったんだよな…
2013-04-24 11:11:14めも続:Abu Sweir空軍基地はMiG-21飛行隊×2、Su-7飛行隊×1に加え、六日戦争直前にはIl-28部隊まで詰め込まれた。要員用のアコモデーションも、ブリーフィング用のオフィスも足りない有様であった。
2013-04-24 11:15:14めも続:六日戦争開戦前日、エジプト空軍要員は20000名ほどであったが、近代的ジェット戦闘機を飛ばせるのはわずか125人にすぎなかった…(;´Д`) しかし、イエメンでの実戦経験もあるため、パイロットの士気そのものは高かった。
2013-04-24 11:19:12めも続:エジプト空軍パイロット、Ahmed Atefさんの回想。「プロパガンダの通り中東最強の軍隊だと皆信じ込んでいた、米海軍第6艦隊をも脅かし、イスラエルが仕掛けてきたら24時間でテルアビブまで突っ込んでやると考えられていた」
2013-04-24 11:23:26めも:ナセルは6/2には「イスラエルが仕掛けてくる」と確信していたのだが、シナイ半島のMiGをスエズ西岸に逃がせば安全というレベルでの警戒にとどまった。日中のパトロールは6/3には終わり、6/4には明け方のパトロールだけになっていた…→デデドン!(全基地完全奇襲
2013-04-24 11:33:59「ヤメロー!ヤメロー!」頭を抱えるナセル=サンの前で無慈悲な爆撃が続く!だがイスラエル空軍の爆撃は実際苛烈!ナムアミダブツ!地上に並んだミグは次々に破壊されていくではないか!瞬く間にエジプト空軍のミグはシナイのマグロと化した。ワザマエ! 12
2013-04-24 12:03:25めも:六日戦争で奇襲を食らった後のエジプト軍司令官「8人の最良のパイロットを選べ、そして民間機でイラクに送り込め!(これできっと彼らはイラクからMiG-21に乗って帰ってくるはず…!)」イラク「だが断る」
2013-04-24 11:46:34めも:初日の奇襲で離陸を試みたエジプト空軍戦闘機パイロットは27人、うち7人が接敵できたが、17人が戦死している(その多くは大地から離れる前に…)。非公式のエジプト側ソースではその日エジプト軍が熟したソーティは60、飛行機の退避や対地攻撃など。
2013-04-24 12:08:26めも:エジプト側証言。「イスラエル空軍は滑走路貫通爆弾(デュランダールや…)を滑走路の交叉部に落としてきた。(かなり中略)空襲の合間に、地上クルーは生き残った機体とダメージの残った機体を木の下やシェルターに引き込んだ。その合間にも遅延信管付の爆弾が爆発し続けていた」(続
2013-04-24 12:20:28めも続:「日没後になって、整備兵がダメージを受けてない機体・尾翼などなどを寄せ集めて機体の組立に入った。」
2013-04-24 12:23:00めも:イエメンの基地にある機体を除けば、六日戦争初日を無傷で生き延びた戦闘機は20~30機ほどである。ダメージを負った残りの機体は夜通し、エジプト人技術者が修理して可能な限り作戦可能にした
2013-04-24 12:46:40めも:生き残ったMiG-21(と、アルジェリアが出してくれたMiG-21予備機もかな…)は西カイロ空軍基地に集められた。2個スコードロン分の飛行機があったが、これを"big squadron"として運用した。
2013-04-24 12:56:58(ん、いや、アルジェリアが出してくれた予備機のMiG-17は戦闘に間に合ったけどMiG-21は間に合ってないのか
2013-04-24 13:15:12めも:イスラエルの撃墜主張は当初過大傾向にあり、後からどんどん絞られている(六日戦争の時)初日の空戦撃墜は26機主張だが、現在ではMiG-17×1、MiG-19×5、MiG-21×6、Il-14×1になっている(ただしこのIl-14は撃墜されず、ファイド基地への強行着陸に成功)
2013-04-24 13:21:46(撃墜されてシナイ半島に降下し、自分の尿を飲みながら命からがら逃げおおせたパイロットがいたり、ベイルアウト時に背中を痛めつつもシナイの炭鉱に降下して、そのせいで休息を強いられていたら捕虜になったパイロットがいたり…<六日戦争時のエジプト空軍
2013-04-24 13:31:02めも:六日戦争中、エジプトが残存機で飛んだミッションは133。六日戦争を通じての全航空機損失は地上・空中ひっくるめて65%(戦闘機・戦闘爆撃機250、爆撃機55、支援航空機については不明)。パイロット34人、乗員6人が戦死。
2013-04-24 15:17:02めも:シリア人パイロットはソ連・エジプトの教官によって訓練され、イラクのパイロットはインド人・英国人によって訓練されていた(インド空軍の教官はエジプト・アフガンでも訓練を施している)。
2013-04-24 16:30:12