デルタの伝説 ~ イスラエル空軍のミラージュIII/ネシェルに関するメモツイート(2)
他にも、コマンド部隊に短時間だけ空港を制圧させてMiGを強奪しよう…(ってお前どこのエンテベ奇襲作戦だよ)だの、MiG-21入手計画にはブッ飛んだ代物がいくつかあるようです(亡命してなかったらホントにやらかしてた可能性がある
2013-05-08 20:43:56ちなみに、MiG-21F-13がやってきた時。 ダニー・シャピラ「射出座席の使用期限切れてない?乗りたくないよ…(´・ω・`) 」 ↓ モサド「承りました!( `・ω・´) 」 ↓ _人人人人人人人人人人人_ > 突然の新品射出座席 <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
2013-05-08 20:53:41めも:六日戦争で最初に敵機を落としたパイロット、Dan Severさんの痛恨の極み。「おいら爆撃終えて3機編隊のリーダーで北に飛んでたらよ、Bir Gafgafa基地のとこにIl-14が見えたんだわ。2番機と3番機がそいつ落としに行って、東見たらMiG-21がいたんだ」(続
2013-05-08 11:00:45めも続「んで距離600mで機関砲ぶっ放してMiG-21落としたんだ。」ここまでは超めでたいおはなしである。だがしかしwww 「ところがよ、仲間が追ってたIl-14は見失っちまったんだよ…んで基地に帰ったら、空軍諜報部の人が来てさ…」(続
2013-05-08 11:02:51めも続:諜報部の人「Severくん、あのIl-14には誰が載ってたか知ってるかい?エジプト陸軍最高司令部のお偉方が前線視察のために乗ってたんだよねー、なんで落とさなかったのかなー?」 …なんという(;´Д`)(以後、数年間は仕留め損なってしまったことを悩んだそうな)
2013-05-08 11:05:02その落とし損ねたIl-14に乗っていたのはこのお方、エジプト陸軍参謀総長である(ちなみに六日戦争敗北後に逮捕されて謎の死):アブドルハキーム・アーメル - Wikipedia... http://t.co/ook5TnOHKQ
2013-05-08 11:21:26めも:1967/6/6にはイラク空軍所属のTu-16がラマトダビッド基地を単機で空襲に来て、対空砲とシャハクの共同撃墜で落とされている(ただし、墜落した機体はメギド基地の兵舎を直撃し、14人の犠牲が出た)
2013-05-08 12:48:35めも:IAF初のエースについて。独立戦争前に2機を撃墜→独立戦争で4機を落としたルディ・アウガルテン( http://t.co/o4JYJg2PH2 )という方がいるが、IAF単独キャリアで初のエースになったのはギオラ・ロム( http://t.co/4Ns5JMNT15 )。
2013-05-08 13:34:00(英語版Wikipediaに、Wooden Leg(PLO本部空爆)にギオラ・ロムが参加してたとあるけどマジバナなのかね…
2013-05-08 13:40:10(MiG-19に関しては圧倒的にチョロい、という評価なのか…(MiG-17ほどの小回りもなければMiG-21ほど速くもない)
2013-05-08 13:44:06(例の弱点で容易に爆発するMiG-21のことを"pyrotechnic display"(花火大会)と表現していたりする(;´Д`)
2013-05-08 13:50:12めも:「いわく付きの機体」というのは往々にしてあるものだが、シャハクでは55号機がそれに相当する。事故を2回起こしてパイロット2人を病院送りにし、戦闘中にサイトのど真ん中にMiGをとらえながらも機関砲がジャムることが最低でも3回あったという…(;´Д`)
2013-05-08 14:12:22めも:シャフリル1の初撃墜は1967/6/15に、MiG-21を相手にようやく達成された(六日戦争でさんざっぱらぶっ放しておいて、先のツイートのTu-16共同撃墜以外のキルが無かったんだぜ…)
2013-05-08 14:37:54めも:六日戦争で占領したシナイ半島のレフィデム(エジプト側名称=ビル・ガフガファ)基地は、シャハク3個飛行隊が2週間ごと持ち回り常駐(クルーは負担を平等に課すため数日で入れ変える)。そんなレフィデム基地は「(エジプトとの小競り合いで)スコアが稼げる」とあって、案外大人気だったとw
2013-05-08 14:50:06めも:ド・ゴールの「武器禁輸」宣言は1967/6/2(六日戦争直前)、この禁輸は一時的な輸出差し止めという部分的禁輸。完全禁輸は1968/12/29~(ベイルート空港をIDFコマンド部隊が襲撃した際に、エールフランス傘下のミドルイースト航空の機体を破壊した事に完全にキレて発動)
2013-05-08 15:13:12めも続:フランスからイスラエルにデリバリーされた最後のシャハク(ちなみに4機めの複座型、89号機)が渡った日付けは1968/1/17~18となっているのだが、日付はこれで間違いないという事を検証してみました。(ミラージュ5は代金全額踏み倒したんだっけw
2013-05-08 15:16:18めも続:ちなみにこの最後のシャハクこと複座型89号機は単座型と同様に実戦に投入され、ヨムキプール戦争では2機の撃墜を記録している。
2013-05-08 15:22:45めも:スカイホークが入ってきてくれた1968年以後、シャハクはほぼ空対空ミッション専門のお仕事に就くことになる。(無理やり作ったマルチロール機であったミラージュIIICJが、やっと元の仕事に戻った感じ)
2013-05-08 15:27:12めも:ついに「使えるミサイル」を手に入れたシャハク。IAFにおけるサイドワインダーの初陣は消耗戦争、最初のクルナス(F-4)購入時にAIM-9B×60発も一緒にゲットしている。シャハク+サイドワインダーの初勝利は1969/4/15。
2013-05-08 15:41:20めも続:シャハクの「使えるミサイル」その2。六日戦争中にビル・ガフガファ基地ごといただいたAA-2アトールは数ダース、ランチャーは9個。1967/12月には第119飛行隊にて使用開始となっている。 http://t.co/f8JoWD69SI
2013-05-08 15:44:38めも続:IAFのアトールに対する評価は「AIM-9Bと同等だな!ついでに言うならAIM-9Bもアトールも、シャフリル1よりはずっと使えるな!」であった…w なお本命の「使えるミサイル」はシャフリル2(69年中頃~)とAIM-9D(クルナス追加購入時にサンプル250発ゲット)。
2013-05-08 15:48:38(んで、熟読してるとシャハク乗りが『アトールを撃った』と記述しているので、やはり消耗戦争中に実戦投入してるのは間違いなさそう<鹵獲アトール
2013-05-08 20:16:27