震災遺構に関する備忘とご意見

自分の備忘のために作成いたしました。
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震災遺構について考えたこと*

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

歴史的な遺跡としての「震災遺構」について、このところ考えている。色々な考え、意見はあると思うが、これから書くことは、そのようなものの1つとして見ていただければ幸い。→

2013-06-07 21:28:45
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→参考となる遺跡としてまず、「野蒜築港跡」を。この遺跡は皮肉な事ながら、明治初期に港湾としては「放棄」されたことで遺跡として残った物。もしも現在に至るまで港湾として生きた施設となっていたならば、明治初期の港湾遺構は残らなかったに違いない。→

2013-06-07 21:31:09
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→今現在、「震災遺構」として想定されている物のほとんどは、「津波」の恐ろしさを後世に伝えたいという動機が一番大きいように思われる。しかし、ロングスパンで「震災」を語ろうとするならば、津波が引いた後の復興、あるいは逆に、復旧すらならなかった人間の営みまでを含める必要があるだろう。→

2013-06-07 21:34:34
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→つまり「津波」被害と「津波以後」の人間の生活までをも共に含んだ震災遺構という発想に立つと、多くの場合それは「生活遺跡」あるいは「産業遺跡」の形となっていくに違いない。先に述べた「野蒜築港跡」は放棄された「産業遺跡」。さらに参考となる事例は全国各地に残る「鉱山廃村遺跡」だろう。→

2013-06-07 21:38:36
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→鉱山廃村遺跡は、鉱脈が尽きたために放棄された鉱山集落。近世から近代まで、広い時代に渡った遺跡が確認されている。今回の震災でも、残念ながら、地盤沈下や集落潰滅、住民流出等々の止むを得ない理由によって放棄される地域は少なからず出るに違いない。復旧に向けた取組のある地域はよいが、→

2013-06-07 21:44:59
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→例えば、震災から10年経過しても復旧すらならず、放棄される地域が出てしまった場合、そのエリアをそのまま「震災遺構」として保存するという考え方はどうであろうか。復旧・復興が進捗する地域は、復興へのプロセスと完成形を様々な媒体に記録してそれを新たな「震災遺構」として位置付ける。→

2013-06-07 21:48:50
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→今回の震災のような自然災害は、これも恐らく認めざるをえないだろうが、将来100年ぐらいの間に、東北地方を何度か襲うに違いない。そのたびに震災遺構のような物は増えるのか。あるいは、前の災害の遺構を忘れたり廃棄して新しい物だけを作り続けていくのか。災害の反復性との闘いになるはず。→

2013-06-07 21:55:27
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→このような「放棄エリア」を保存し、都市部や復興著しい地域の遺構は、デジタル画像等の記録で代替するという発想に立てば、少なくとも現地住民の「遺構を見ることで辛い記憶に向き合いたくない」という気持ちは、少しでも緩和できるのではないか。ということで、震災遺構についてはひとまずお終い。

2013-06-07 22:03:22

頂いたご意見*

ロクスケ(ロクデモ ナイ) @HRokusuke

(佐藤賢センセ@ke_1satoの連ツイ読んで) 日本は災害多発国なんだから“災害遺産”とか“罹災記憶公園”とかを規定して、エリアや遺構を国として指定し保存継承する政策があっていいように思えて来た。 

2013-06-07 22:09:13
ゆきみ🍙大福💉x6 @yukimibighappy

@ke_1sato 放棄された土地ほど、ふさわしいものは無いですよね。

2013-06-07 21:52:09
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

@yukimibighappy 「遺構」としてはそれが一番、誰にとっても中立的に見られると思うのですが、そのような状態になるまでの時間が必要になりますね。

2013-06-07 21:57:54
ゆきみ🍙大福💉x6 @yukimibighappy

震災レベルの災害でも私権の制限は難しいらしい。だから嵩上げする土地の強制収用なんかは出来ないそうだ。裁判費用とか考えてもその方が安くないかな。トータルで。

2013-06-07 22:08:49
abigail9821(月光蝶であるX) @abigail9821

@ke_1sato …それを言えるのは、まさしく歴史的射程の視点を持つ方ならではでしょう。ごく自然に「廃坑」と、「滅び行く街」を同列に語れるという… http://t.co/XuxK1qHHiY 例えばこんなふうに、鉱山(やま)が死ねば、その鉱山で食っていた街も死ぬ…

2013-06-07 21:58:32
abigail9821(月光蝶であるX) @abigail9821

@ke_1sato …逆も真なりです。 三陸の場合、「三宝」と呼ばれた漁業資源ある限り(乱獲すれば危ういですが)、1000年前の災害の後、何度叩かれても人間はそこに街を作った。 「食えるだけの資源がある場所には」取り付いて生き延びる人は出るでしょう。…そうでない場所には滅びが。

2013-06-07 22:02:45
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そうだと思います。生業が成り立つ限り、そこに人間は留まるでしょう。しかし、今回の震災でもしも放棄されるエリアが出てしまったとしたら、その原因(地理?政治?経済?)を明らかに示しつつ保存するという意味合いも出るのではないかと考えます。RT @abigail9801 …逆も真なりです

2013-06-07 22:17:40
蕎麦 @sobaya11

2年前発生した阿賀野川氾濫地域を去年訪れたとき、地元の方に言われて思い出したのだけれど、言われた後意識して地形を見たがどれがその傷跡だか分らなかった。特に非居住地域では。それほど自然は強い。地域として被害を伝えることは、よほど上手に管理しないと難しいのではないかと思います。

2013-06-07 22:07:47
蕎麦 @sobaya11

震災遺構はいわば負の遺産である。そして人は出来ればそれを忘れたがる。それをあえて地元の方が残すということはとてつもなく力がいることだと思う。そして、なんのために震災遺構は必要なのか、それはもう少し考える必要がある気がする。

2013-06-07 22:21:32
蕎麦 @sobaya11

佐藤先生が提唱された遺構は「震災後遺構」だと思う。それはそれで必要ではあるのだけれど、他にもさまざまな形で全国各地に存在する放棄村の中に埋没する危険性もある。

2013-06-07 22:24:38
🛡️✨𝙨𝙪𝙞𝙨𝙚𝙞_𝙨𝙚𝙣𝙨𝙚𝙞💉💉🚀🚀🚀 @shoemaker_levy

災害遺構の保存を考えるときには、小菅信子『戦後和解』(中公新書、2005)で提示された、なぜ現代世界において、未来の平和構築のためには過去の凄惨な戦争の被害や加害を決して忘却してはならないと考えられるようになったのかという問いにヒントがあるような気がしている

2013-06-07 23:24:56
🛡️✨𝙨𝙪𝙞𝙨𝙚𝙞_𝙨𝙚𝙣𝙨𝙚𝙞💉💉🚀🚀🚀 @shoemaker_levy

この価値観はもはや疑いようのないものとして国際的に共有されている。なぜなら「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」(ヴァイツゼッカー)から。

2013-06-07 23:25:44
🛡️✨𝙨𝙪𝙞𝙨𝙚𝙞_𝙨𝙚𝙣𝙨𝙚𝙞💉💉🚀🚀🚀 @shoemaker_levy

しかし、このような信念に立ち、戦後和解を追求するとき、凄惨な過去を振り返ることは、逆説的な課題であり、「後ろ向きで前に進め」と命じられているようなものである。過去の苦痛をつねに想起しながら築くことができる友情とはいかなるものか?(前掲小菅)とても難しい。

2013-06-07 23:26:23
🛡️✨𝙨𝙪𝙞𝙨𝙚𝙞_𝙨𝙚𝙣𝙨𝙚𝙞💉💉🚀🚀🚀 @shoemaker_levy

それで、災害遺構の保存について考えると、多くはその目的として主張されるのは、被災地の未来構築のためには震災の記憶を忘れてはいけない、つらい記憶と向き合わなければよりよき未来は築くことができない、という信念なのではないかと思う。

2013-06-07 23:27:06
🛡️✨𝙨𝙪𝙞𝙨𝙚𝙞_𝙨𝙚𝙣𝙨𝙚𝙞💉💉🚀🚀🚀 @shoemaker_levy

常につらい記憶を想起しないと前に進めないかというと、そうではないと思う人もいるだろう。また、忘れることで前に進める人もいるのだろう。国際関係においては一方的に「忘れる」ことが解決にならないのは、相手があることだからだろう。

2013-06-07 23:28:03