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丹生谷貴志ツイートまとめ(2013年7月)

丹生谷貴志氏の2013年7月分のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

・・・「世に棲む患者・・・奇妙な静けさとざわめきとひしめき・・・」という中井久夫さんの忘れ難い表現。僕にとって「特異場独在」の感じはここにあって・・・詩なら、永井さんの引く宗左近さんのようではなく、例えばツェランなので・・・

2013-07-23 12:22:33
nibuya @cbfn

無論、「哲学者」である以上、そして永井さんたちは珍しく「哲学研究者」ではなく「哲学者」を自認する書き手である以上、例えばソクラテスのように不意に炎天下路肩に凝固したように動かず、ダイモーンの禍々しい「奇妙な静けさとざわめきとひしめき」を聴き取る日々の中にあるのは疑い得まいが・・・

2013-07-23 12:35:59
nibuya @cbfn

どうも、「狂気」というものへのロマンティックな思い込みを表明しちゃってるようで、お恥ずかしい・・・けれど、そんなつもりはもうとうない、つもりです。。

2013-07-23 13:05:56
nibuya @cbfn

アマゾンでクリプキで探すといつも不思議な本、『愛について話そう』とか『サバト、聖金曜日について』とか『神様のお話をしませんか?』とかいう題名の本が出て来る。ドロシー・クリプキ・・・調べたらソウル・クリプキのお母さん!だそうです。2000年に88歳で亡くなっています。早速一冊注文。

2013-07-23 13:08:52
nibuya @cbfn

先に引用したウィトゲンシュタインの「狂気」を巡るメモは或いはデカルトの「意地悪な精霊」に似たものとして解することも出来るだろうか。しかし、どうもウィトゲンシュタインに於いてはこの精霊は彼の中に内在していたように思える。

2013-07-23 13:23:56
nibuya @cbfn

こんなことを調べても意味ない事ですが、ドロシーを調べていたら、ネッタ・クリプキという名が出て来て、これはクリプキの妹さん、2011年に亡くなったようです。

2013-07-23 13:44:45
nibuya @cbfn

ああ、「精神科医」に「比定」することで永井さんを批判したかのように見えるかも知れませんがそんなつもりはありません。「患者にして治療者」ということの哲学的難事について永井さんは『ウイトゲンシュタインの誤診』でいつもながら徹底的に明示しているので、批判も何もありはしない。

2013-07-24 11:26:47
nibuya @cbfn

永井さんのいう「独我論・独在論等々」を僕は”実感として”「狂気」に関わると「感じて」いますが、多分そうした「僕の」言い方は性急である以前に曖昧過ぎさらには「何も言っていない」ことになる恐れがあることは充分わかっているつもりで、どうしたらこの性急さを「緩速」出来るかが悩みどころです

2013-07-24 11:51:26
nibuya @cbfn

僕の個人的経緯なぞ全くの話どうでもいいことですが僕は”具体的な意味で”「目の前の狂気」から思考し始めたみたいなことがありって(「哲学し始めた」などとは言いません!)、どうも応急措置的に思考を繰り出してしまう癖がある。狂気の速度はその自己撞着も含めて恐ろしく「速い」場合が多く・・・

2013-07-24 11:58:42
nibuya @cbfn

実際の「狂気」は固着性、凝固性の傾向速度の強いものでしょう。仮にドゥルーズ−ガタリを「狂気の称揚の哲学者」と呼ぶとすれば、彼らは「狂気を如何にしてその固着性・凝固性」から「解き放てるか」に注視したのではないでしょうか。その意味では彼らもまた「治療者」であろうとする哲学者でしょう。

2013-07-24 12:06:16
nibuya @cbfn

・・・狂気に於ける固着性、凝固性はそれに内在するのであって、例えば監禁やら治療的包囲によって外から引き起こされるわけではない・・・どうも今更初歩的な確認・・・

2013-07-24 12:10:43
nibuya @cbfn

誤読しているのでなければ僕は永井さんの「独在論」に全く異論はない。しかしそのようなものとしてある〈私〉に「事物世界」はどのようなものとして開かれるか、このあたりのこと。まさかそれらは日常言語の文法の中に収まって「世界観」の背景−ジオラマのままであり続けるはずもないだろう・・・

2013-07-24 17:40:34
nibuya @cbfn

〈私〉は言語の「外」へ、言語の異様な超メビウスの絡まり”として”陥没するとして、そのような場において対象世界も言葉の”向こう”へと陥没する。「二つ」の陥没はもはや〈私〉対〈対象〉というかたちで対面する事はないだろう。セザンヌ的問題?或いはその他・・現象学的な’共依存”とは異質の?

2013-07-24 17:48:32
nibuya @cbfn

フランス系の哲学は、全てとは言いませんがメルロー=ポンティやバルトのように一見穏やかな(!)哲学すら本来「革命−世界変革」と結びついて生成される性格があり、それに対して英米系の流れは世界を如何に解明するかに主眼が置かれるようです。どちらがどうこうと言うのではありませんが。

2013-07-24 22:26:05
nibuya @cbfn

言い換えれば、フランス系の「現代哲学」は少なくとも大きな流れとして「破壊的」な傾向がある。破壊の「後の」構成を遠望するという傾向でしょうか。それに対して英米系は基本的に「世界認知−構成的」であるようです。繰り返しますが、だから何だというわけでは、さしあたりありません。

2013-07-24 22:34:32
nibuya @cbfn

・・・ここ二三日にここに書いたものを撤収したい気分になっているが、それはアンフェアだろうから残します。いや、どうも何か基本的なところで軌道脱落を起こしている感じがするわけで、ま、おいおい修正して行くしかないでしょう。

2013-07-25 01:40:56
nibuya @cbfn

要は僕は永井さんの「哲学」の中心は「分かった」と感ずるがそれは例えばアルトーやベケットやジャコメッティを「通して」の把握であって、永井さんの哲学の論証の筋道を通してではないということです。これはまずいでしょうし失礼なことです。

2013-07-25 02:01:08
nibuya @cbfn

・・昔、美術学部の或る男がドアノブに輪を作って縊死した。そこに自分で書いた「題名」が遺書代わりに置かれていた。「これが僕の最後の作品です」。「これが」の「これ」は何を指していたのか? (しかしまあ、あらためて思い出すとそれこそ絵に書いたようなメロドラマめいたグロテスクな自殺だ・)

2013-07-25 09:10:16
nibuya @cbfn

・・例えばブランショの「共同体」は、ウィトゲンシュタイン=永井で言えば、殆ど不可能な私的言語”場”を「共同体の場」として「実体化」しようとするそれこそ不可能な企画ということになるだろう。或いはアルトーの「残酷演劇」の構想はその炸裂的な企画ということになるだろう。

2013-07-25 09:42:07
nibuya @cbfn

独我論的〈私〉を「人間依拠型−概念依拠型」の「私」と取り違える者に対する永井さんの批判の仮借なさ。それは単に「哲学的論争」に於ける仮借なさではなく或る意味では「本質論的哲学的階級闘争」の仮借なさとして捉えることも可能。ブルトンからグリッサンに至る「詩的革命」の企画を想起すること。

2013-07-25 10:21:47
nibuya @cbfn

〈私〉が「公共生活」のおいて「人間依拠型−概念依拠型」の「私」として生きる「しか」ないこと自体は永井さんにおいて言わば「人間の条件」だが、それを「哲学者」が本質論において「取り違える」ことは本質的場に於ける「階級的簒奪」に等しい。

2013-07-25 10:32:16
nibuya @cbfn

クリステヴァの「詩的言語」論は今となってはかなり性急で粗っぽいが、例えばあれを永井さんの沈着な独我論的言語論と連結して捉え直すことは可能のはずである。

2013-07-25 10:52:10
nibuya @cbfn

全くの話どうでもいことですが、僕はどうしても「哲学する」という言い方に慣れないというか好きになれない。例えば『哲学する日本』なんて題名をみると、中身に関係なく、言葉として寒気がしてしまう。多分戦後直ぐの頃、「科学する」とかと並んで出来た新語かしら? ちがうか、まあいいですが。

2013-07-26 10:40:23
nibuya @cbfn

目の前を滋賀ナンバーの車。滋賀と言うと条件反射で次の詩を口ずさんでしまう。 「かいろう/かいろう/かいろう降り 滋賀の都は荒れにしを/昔ながらの誰か一人を求めて/冥府にくだる/不安な気持ちは/すなわち/聖」

2013-07-26 19:48:16
nibuya @cbfn

詩人の名前が思い出せません。すいません。

2013-07-26 19:48:54
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