渡邊芳之先生ynabe39の「「他人に迷惑をかけていない」ということだけが「自由の根拠」だとすれば自由のために他人の迷惑を無視するようになる。実際そうなっていて「誰にも迷惑かけていないだろう」と叫ぶ若者の多くは他人に多大な迷惑をかけている。」

「自由はすばらしいものだから制限されてはいけない」と考えるから自由の範囲を狭く考えたくなるんで,「自由はすばらしいがそのいっぽうで恐ろしいものだ」「自由の恐ろしい面はそれなりに制御すべきだ」と考えることが大事だと思います。 だから「自由」と呼ぶのをやめて「自分勝手」と呼ぼう,というのが私の意見。それならプラス面マイナス面がちゃんとイメージできる。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之

渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html

 

渡邊芳之 @ynabe39

反対者を執拗に追い詰めたり吊るし上げたりしている場合にはなんらかの「イデオロギー」が動機になっている。本人は公正で科学的な立場から発言しているつもりであってもそうだ。

2013-07-28 20:11:36
渡邊芳之 @ynabe39

もともと動機なんて結果から推測するしかないものだ。

2013-07-28 21:05:54
渡邊芳之 @ynabe39

相手の話を聞いて議論する意志のあるほうが必ず負けるんだから。

2013-07-28 21:14:44
渡邊芳之 @ynabe39

議論の目的は勝ち負けじゃないなんて言ったところで現に毎回負けちゃうんだから。

2013-07-28 21:15:19
渡邊芳之 @ynabe39

「本人に悪いところがあってもいじめてはいけない」ということにはまったくといっていいほど社会的同意がない。ほとんどの人が「悪いやつならいじめてもいい」と思っている。

2013-07-28 23:30:08
渡邊芳之 @ynabe39

だからいじめの被害を訴えるためには「自分は悪くない」ということを証明しないといけなくなるし,そんなこと誰も証明できないのでいじめられているとも言えなくなる。

2013-07-28 23:35:58
渡邊芳之 @ynabe39

「みんなが望ましいと認めるものだけが言論である」と考えるならば,この世に言論弾圧など存在しないことになる。

2013-07-28 23:39:54
渡邊芳之 @ynabe39

この「悪い言論は言論ではない」という論理はむしろ言論の自由を大切にする立場からもよく聞かれる。「言論の自由とはよいものだ,すばらしいものだ」と言いたいから「悪い言論が自由であることがもたらすリスク」を無視しようとする。

2013-07-28 23:57:18
渡邊芳之 @ynabe39

私は「ヘイトスピーチだろうがデマだろうがスパムだろうが言論である」と思うし,言論はよいものも悪いものも原則自由だと思う。しかし言論の自由がもたらす弊害やリスクについては「社会的同意に基づいて最低限の対策はしてもよい」と考える。

2013-07-28 23:59:56
渡邊芳之 @ynabe39

言論の自由を神格化し過ぎて「言論の自由は常に100%保証されなければならない」と考えると,かえって「100%の自由を保障できるものだけを言論と考える」という倒錯に陥る。そういう倒錯はネットでもリアルでも「良識的な人」によく見る。

2013-07-29 00:02:18
渡邊芳之 @ynabe39

言論の問題については私が繰り返し書いていることは憲法の知識がある人には当たり前すぎて言うまでもないことだと思うが,社会的同意はほとんどないことでもあると思う。そういうことは実にたくさんある。

2013-07-29 00:07:46
渡邊芳之 @ynabe39

私が考えているのはそれです。その時代その時代の「常識」や社会通念に応じて法的な対応をしないと,「社会的制裁」という名の私刑がはびこります。RT @eimon46: @ynabe39 社会的同意とは、法律による規制ですか?

2013-07-29 00:10:40
渡邊芳之 @ynabe39

法律というものには「私刑でどんどん殺されてしまわないために制裁を社会的にコントロールする」という意味も大きいのだと思う。

2013-07-29 00:12:01
渡邊芳之 @ynabe39

そこで「他者の自由を侵害するものは自由でない」のではなくて「他者の自由を侵害するものも自由だが侵害の程度に応じて自由が制限される」のです。 RT @kuroitumi: 他者の自由を侵害しない限りにおいて、言論の自由は100%認められるべきだと思います。

2013-07-29 00:22:35
渡邊芳之 @ynabe39

「自由だけれど制限される」というのと「そもそも自由でない」というのは結果はほとんど同じかもしれないけれどまったく別のことだ。

2013-07-29 00:36:08
渡邊芳之 @ynabe39

そもそも自分の自由はすべて他者の自由を侵害しうると思います。他者の自由を侵害しない自由だけが自由であれば,自由などほとんどありません。 RT @kuroitumi: 他者の自由の侵害する自由を自由として認める場合、無限に自由を敷衍できることになり、自由という理念自体が空洞化…

2013-07-29 00:38:23
渡邊芳之 @ynabe39

もともと「他者の自由をいっさい侵害しないような自由」は中世でも封建時代でも何の問題もなく享受されていたと思いますし,わざわざ守る必要もないと思います。 @kuroitumi

2013-07-29 00:40:51
渡邊芳之 @ynabe39

「自由はすばらしいものだから制限されてはいけない」と考えるから自由の範囲を狭く考えたくなるんで,「自由はすばらしいがそのいっぽうで恐ろしいものだ」「自由の恐ろしい面はそれなりに制御すべきだ」と考えることが大事だと思います。

2013-07-29 00:47:29
渡邊芳之 @ynabe39

だから「自由」と呼ぶのをやめて「自分勝手」と呼ぼう,というのが私の意見。それならプラス面マイナス面がちゃんとイメージできる。

2013-07-29 00:50:28
坂本聡 @hilitespecial

@ynabe39 ヘイトスピーチが嫌なら手続きとって違法行為にすればいいだけじゃないですか。

2013-07-29 00:58:25
モトケン @motoken_tw

虐めは100%虐める側が悪い、ということ、いじめられる側に原因がある場合がある、ということは全く矛盾しないんですが、因果関係論と責任論を峻別する勉強をしたことの無い人にとってはそれが理解しにくいようです。勉強した人でも理解してない人がいるようですので無理もないと思いますが。

2013-07-29 00:59:42
渡邊芳之 @ynabe39

こういう「自分が興味をもっていることだけへのこだわりと,興味のないことへのひどく単純な思考」というのも見慣れたものだ。

2013-07-29 01:01:25
渡邊芳之 @ynabe39

もともと違う話をしているのに「○○についてわかっていない」と言ってきて,こっちが「××の話をしている」と説明すれば「そんなの△△すればいい,簡単な話だ」という。もともと「○○」についてしか考える気がないのだ。

2013-07-29 01:04:13