名乗りの変遷ー公家訓みとかキラキラネームとか

参考 高島俊男『お言葉ですが…⑦』『三国志きらめく群像』 山田俊雄『ことば散策』 角田文衞『日本の女性名 上中下』 渡辺三男『日本人の名まえ』 続きを読む
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むらやまこういち💉💉 @murapyon71

秀忠の後妻おごうは字かと思ってたら通称なのね。少なくとも皇族や公家あたりでは漢学をやらない人は字を持つということはしないのが普通であったようなことが書いてある。名は達子(さとこ)であったらしい。→角田文衞『日本の女性名 中』

2013-08-14 15:18:47
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

字と通称を併用するのは武家方の風習だとかで、公家の方は武家の方がいろいろ真似するので不快、公家訓みとか教養をアピールし武家との格差をはかったのだとかそういう流れになる様だ。公家訓みの方は江戸時代になると武家の方でも真似し出して、さらにゴチャゴチャ度が増したような感じになると。

2013-08-14 15:30:01

徳川慶喜の名まえの訓みについて

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

たとえば最後の将軍慶喜なんかは、なんと読むのか誰もわからない。近親者も親しい人も敬意を込めて「ケイキ様」と呼んでいたので実名をなんと言うのか誰もわからない。山田俊雄先生は『徳川慶喜』というエッセイで、慶喜をなんと読むのか、前例をいろいろと挙げておられる。

2013-07-26 21:08:20
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

『永大日用新選明治節用無尽蔵』の「大日本神代皇諡」では「十五代慶喜ノリヨシ」、『新式いろは引節用辞典』の「将軍世系」には「慶喜ヨシヒサ」、『仮名傍訓 公布の写』には「徳川慶喜ヨシヒサ」、

2013-07-26 21:17:45
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

『YOUNG JAPAN. YOKOHAMA AND YEDO.(1880)by John Black』には「Hitotsubashi, Yoshi-nobu, Yoshihisa; and subsequently known as Keiki-Sama」

2013-07-26 21:20:23
T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k

そういえば@murapyon71 さんに、残暑お見舞い(^_^)代わりの情報が。元会津若松市立図書館長の野口信一さんが書かれた物に慶喜公の件で「確かにはじめはヨシノブと読んだ。が、将軍就任後の慶応三年二月にヨシヒサと読む旨公示されたのである。」と。出典が書いてないのが残念です。

2013-08-20 14:58:59
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

いずれも当人が健在の時の書物であるが、その読みは様々である。当人は実名を明かすなんて以ての外と思っていたのだろうか?これほど憶測が飛び交っているのに訂正を求めたようには感じられないけども。

2013-07-26 21:24:20

女性名の変遷について
 ⊢貴族の女性名

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

これは面白いことが書いてある。『日本の女性名 上』に引く、小泉八雲『Japanese Female Names』(平井呈一訳『日本の女性の名』)に於いて、「東京あたりの芸者階級の間には、上品な「子」という接尾語を本名につけたり」とある。

2013-07-24 20:39:42
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

以前、「女子」の「子」は子供扱だと言ってはばからない人達に対する反証をしましたが、これもひとつの傍証になるでしょうね。

2013-07-24 20:39:51
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

『日本の女性名』大和時代に「上・中流の女性の実名ないし字の下に接尾語としてヒメ、イラツメ、トベ、コ、キミを用い、もって尊称」とあり、コ(子、古)は「初めは男性ーとくに身分の高いーの名の下につける語」とある。これからすると「子」は当て字で、巷で言われる様な「こども」の意味は無い。

2013-07-27 18:52:45
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

奈良時代も前期頃になると、男性名の接尾語である「子」は稀と化したとある。女性名の「子」はちょびちょびの模様。

2013-07-27 18:55:02
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

転換期は嵯峨朝で「乳母の氏の名による命名法を廃し、皇女名の名に好字を択ばれ…内親王には×子、臣籍に降して源姓を賜うた皇女には×姫と命名」とあり、「嵯峨天皇によるこの命名法は、貴族社会の女性名を爆発的に変化…貞観ー元慶期には、子型の名は、貴族の女性名として固定」とある。

2013-07-27 19:06:34
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

小泉八雲や高島先生らがあたり前の様に「子」は女性の敬称という認識、一昔前なら外人講師でさえ常識の範疇であった「子」という敬称が、今では日本の習慣に詳しいとする某イギリス在住日本人女性には子供扱いの言葉という程度の認識。言葉の文化を維持するというのはなかなか難しいことなのだと思う。

2013-07-27 19:16:18
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

平安中期に名の語尾に子を付す女性名に一定の型が生じる。貞子、義子といった一字二音節の読みの名が大部分を占めるようになるとある。「×子」型の女性名は全て訓読されたのであって、「徳子」を湯桶読みで(トクこ)と読むのは甚だしい誤り、狂気の沙汰に近いと角田文衞先生はおっしゃっておられる。

2013-07-28 22:51:14
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

やっと僕が聞きかじった名前のルールが出て来た。男性は「××」型の二字四音節の訓読。女性の方が一字少ないのはやっぱり格差なのかな?今読んでる本が『日本の女性名』なので、男性名とのからみが少ないのがちょっと不便。

2013-07-28 22:54:28

 ⊢庶民の女性名

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

庶民の女性名。南北朝時代ごろになると「子型」が消滅に瀕し、鶴女、虎松女などの「生物型」が当代の主流をなすとある。「女」が脱落し、のちにトラ、ウメ、カメなどの女性名が生まれるとある。ここら辺にきて名の流れが宮廷貴族と庶民とにわかれてきた様な感じなのかな。

2013-07-31 22:34:06

 ⊢公家訓み

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

室町ごろになると、いろんな理屈をこね、変わった訓みをする「公家訓み」が登場するとある。そこには漢字をこう読まねばならないという理屈は存在せず、当人の解釈でいくようにもつけられる。角田文衞先生は、理由は明らかでないが、公家社会の地盤低下で独自性を誇示したのでは?とおっしゃっている。

2013-07-31 23:21:48
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

後土御門天皇成仁は「フサヒト」、正親町天皇方仁は「シゲヒト」、陽光院誠仁親王は「ノブヒト」、足利家源満詮の妾の誠子は「トモコ」、醫師某の女は従三位に叙されるにあたり苗子の名をもらうが訓みは「ミツコ」なのだとか。

2013-07-31 23:33:14
むらやまこういち💉💉 @murapyon71

「公家訓み」の根拠は薄弱であり、名付け親か当人が教えてくれなければ誰も推察出来無い。江戸時代には武家社会もこれを採用とあり、たとえば慶喜なんかは本人が何も言わんので慶喜を何と訓むのか誰もわからんといったことになるのだと思う。

2013-07-31 23:37:01

 ∟十二支にちなんだ名

むらやまこういち💉💉 @murapyon71

明治時代に隆盛を誇った十二支にちなんだ名まえ、とらやタツなどは大正期には衰退したとある。

2013-08-10 08:37:27