名乗りの変遷ー公家訓みとかキラキラネームとか
- murapyon71
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【女性名についての大きな流れ】
奈良平安頃には、名乗りについては貴賤の差はみられなかった。
後、貴族は漢字一字二音節で訓読みの「×子型」が大半を占める。
一方、庶民は「子型」は減衰し、ウシ、カメ、ウメなどの「動植物名型」へ。
この様に女性の名乗りについて貴賤の差が生じてくる。
明治に入り、女学校の名簿で女性の名に子の字が付くのが多いのは、華族を気取ったのだということがわかる。
トラ、クマ、シカ、ウシ、イシ などと言う名前の女性が珍しくない時代に、於菟(長男)茉莉(長女)杏奴(次女)不律(二男)類(三男)というかなりのキラキラネームをつけた親(森鴎外)がいましたけど、なにか http://t.co/UpF7Jl8t8H
2013-07-19 19:19:10@aizujin_k @Marx_hakase @Polyhedrondiary 鴎外がドイツ留学した際に、向こうの人がリンタローという名をちっとも覚えてくれなかったので、自分の子に西洋人の名をつけたとありますので、読みは西洋風であるとすれば納得いきます。
2013-07-21 13:16:24@Polyhedrondiary @aizujin_k @Marx_hakase ああ、ありましたありました。典拠としては『鴎外箚記』”鴎外漱石と欧羅巴と”に「鴎外はまた子達孫達に於菟、不律、茉莉、杏奴、類、眞章、富、𣝣
2013-07-21 14:08:23@Polyhedrondiary @aizujin_k @Marx_hakase (Otto,Fritz,Marie,Anne,Louis,Max,Tom,Jacque)等の名を附ける」とあり、動機として「洋行した時にといふ顧慮が含まれてゐたに違ひない」とありますね。
2013-07-21 14:08:29鴎外関連のキラキラネームについて、ちょこっと詳しく載っていたのでここに記します。 鴎外は、長男を於菟(Otto[独])、次男を不律(Fritz[独])、三男を類(Louis[独])、長女を茉莉(Marie[独、仏])、次女を杏奴(Anne[仏])と名づけている、とある。
2013-08-10 08:45:27於菟は、次男を富(Tom[英、米])、三男を礼於(Leo[独])、四男を樊須(Hans[独])、五男を常治(George)と名づけているとある。ジョージに注釈が無いですね。僕はここら辺詳しく無いので、書いてある以上のことはわかりません。
2013-08-10 08:52:51“あぐり”はキラキラネームの最古参格
百済王系の餘氏は『続日本紀』の古写本で“アグリ”の訓がある。律令時代の日本には餘戸郷が散在している。餘賣とは、そこで女ばかり生まれると、これが最後の女児であるようにという願望から名付けられたと推定されるとあり、訓みは“あまりめ”では無く、百済風に“あぐりめ”と訓んだのだとか。
2013-08-20 00:50:08僕なんかは“あぐり”と聞くと、“鈴木亜久里”の濃い顔を思いだしちゃって、とても女性名という感じで受けとめられ無い…。僕は鈴木亜久里に日本人としての感性を壊されたらしい。
2013-08-20 00:52:32読みの難しい名まえについて
@aizujin_k 「漢字の組み合わせによる名前の由来や意味」←もともと名の場合は漢字と読みとの間に厳密な規制は存在しませんでしたからね。江戸時代以前は、名は嘉祥二文字を訓で読むも、漢字の訓では無く倭語ならなんでもいいという感じで、戸部良煕なんて「ながひろ」ですからね^^;
2013-07-19 21:01:03@murapyon71 そういえば香淳皇后も良子(ながこ)様でしたね。何処から始まったんでしょう、良(なが)と言う読み方は。
2013-07-19 21:08:12@aizujin_k これは難しいですが、名前に於いて「良」という字と「なか」「なが」という訓とが非常に多用されてますので、たまたま一致しただけという気がしないでも無いですね。名前を「ながよし」としたけど「永」「長」「延」は、ありきたりなので「良」を用いたとか。
2013-07-19 21:32:27@murapyon71 お早うございます。改めて考えてみると面白いですよね。誰か研究した人いないんでしょうか。女性名だと昭憲皇太后の美子(はるこ)なんかも、納得できるような、出来ないような読みですが。
2013-07-20 07:24:37@aizujin_k これがかなり良い本らしいですね。角田文衞『日本の女性名』上中下(教育者)。高島先生が関連の話しを挙げていて、式子内親王を(しきし)、中宮定子を(ていし)と読むのは誤り、何と読むのかわからない人は仮に音で読む習慣。
2013-07-21 18:29:22@aizujin_k わかっているのは、明子(あきらけいこ)、普子(あまねいこ)など。漢字一字+子の場合、平安頃は全て訓読み+子(こ)、音読み+子(こ)は近代のこと、どちらにしても子を(し)とは読まない、平徳子を「トクコは狂気の沙汰に近い」とおっしゃっていますね。
2013-07-21 18:31:29@murapyon71 訓読みがあるはずなのに分らない場合が多いですよね。そもそも女性の本名が分っているのが極上級の僅かな人のみだし。ややこしいのが、その仮の音読みでさえ式子内親王など「しきし」→「しょくし」(理由は忘れましたが)だったりして、まあ、ややこしいこと^^;
2013-07-21 18:40:20@aizujin_k 式子を(ショクシ)と読むのは、漢音読みだと思います。平安あたりだと、漢字は漢音でというのがあったと思うのですが、こういうのは習慣なのでしょうかね。
2013-07-21 20:12:12@murapyon71「 シキシ」だったのが4~50年くらい前でしょうか「ショクシ」と読むべきである説になったんで、確か、歌人の馬場あき子が著書「式子内親王」のなかで経緯を説明していたような気がするのですが覚えていません^^;。訓読みについては「のりこ」説が有力なようです。
2013-07-21 20:28:52@aizujin_k 「シキシ」だと呉音読みになっちゃいますからね。「のりこ」説は先に挙げた角田文衞先生の『日本の女性名』が典拠のようです。名前のことについてはかなり有名な本のようですね。今は復刻でブアツイのが出ているようです。
2013-07-21 20:34:36お江の名まえ