「科学について問うことは科学のやり方の内部では不可能である」こと
@kikumaco @okisayaka まあ菊池先生を始め物理の人は科学論がやるようなことにすごく興味があるんですよね。そのへんはたとえば「工学の人の科学哲学無用論」みたいなのとはずいぶん違う。
2013-08-04 14:49:24@okisayaka @ynabe39 ぼくは、科学論論業界が成立しないかぎり、科学論は特権的地位にあると思う。科学論論は、科学が作るべきだよね。つまり、科学論業界は科学業界に対して、科学論論を積極的にもちかけるべき
2013-08-04 14:49:54@kikumaco @ynabe39 私自身は「御用学者」の問題は自身の研究内容が語る以上のことを行政に進言したモラルハザードにあると考えてるので、研究内容を曲げないことを前提とした上で「専門家」として行政と関わること自体は「研究者の社会的責任」を果たす行為と考えております。
2013-08-04 14:51:18@okisayaka @ynabe39 それ自身、観察というものに対する単純すぎる見方だとも言えるわけです。観察が対象を変えることを科学者はずっと以前から知っていますから
2013-08-04 14:51:42@okisayaka @ynabe39 そうであった自然科学者や工学者が御用学者扱いされたときに、その論理できちんと擁護した科学論学者がどれほどいたのか、ですね。きちんと擁護していれば、そういう対立はないわけ
2013-08-04 14:53:34@kikumaco @ynabe39 菊池先生は物理がご専門でしたね。ならば、逆に「科学論の特権性」をここまで主張されるのは不思議です。社会は相互作用の系なので、菊池先生のような方が特権的と主張することで我々の振る舞いに影響を与えるかも知れません。観察のためにはマイナスでは。
2013-08-04 14:55:25@kikumaco @ynabe39 なるほど、対立の根はそこでしたか。 >自然科学者や工学者が御用学者扱いされたときに、その論理できちんと擁護した科学論学者がどれほどいたのか
2013-08-04 14:57:09@okisayaka @ynabe39 それはかまわないです。もし、僕らが「科学論は特権的地位を捨てるべきである」と主張したことによって、特権的地位を捨てるなら、つまりは捨てることができるものだったわけです。自然科学とちがい、目指すものが普遍性ではないので、変化は当然前提だと思う
2013-08-04 14:58:42それはね、大きい。ほんとに大きい。すごく大きい。それはまじめに考えるべき “@okisayaka: @kikumaco @ynabe39 なるほど、対立の根はそこでしたか。 >自然科学者や工学者が御用学者扱いされたときに、その論理できちんと擁護した科学論学者がどれほどいたのか”
2013-08-04 14:59:31@kikumaco …菊池先生はそれでよろしいかもしれませんが、私は社会科学の方法論について話してたつもりだったので、何だ、政治闘争により科学論を排除したいだけか、と思いました…。 >僕らが「科学論は特権的地位を捨てるべきである」と主張したことによって、特権的地位を捨てるなら、
2013-08-04 15:03:19@kikumaco @ynabe39 こういう言い方で恐縮ですが、科学史家としては、名誉回復の問題は数十年スパンでは起こりうると思います。自然科学者も水俣病の原因究明に数十年かけてしまったように>「自然科学者や工学者が御用学者扱いされたときに、その論理できちんと擁護」
2013-08-04 15:05:47@okisayaka @ynabe39 科学論の特権性の問題はサイエンス・ウォーズの頃から考えていて、科学論が科学者の思い通りの結論を出すなら存在価値はないし、科学者にとって無意味な結論しかでないなら役に立たないだろうと。金森修の著書が業界内部しか向いてなかったのが大きいかな
2013-08-04 15:08:52@kikumaco @okisayaka 現実的には科学論が科学研究の方法や方向づけ,研究テーマなどに具体的な影響を与えない限りはどうでもいいように(そして現に与えていないように)思うんですが,菊池先生はどうも「具体的な影響を与えている」と考えているふしがある。
2013-08-04 15:11:29@nk12 @okisayaka @ynabe39 僕の斜めからの見かたは、昔の日本の科学論はマルクス主義でやってればよかったから簡単(今読むと、ばかみたい)だったけど、今はそうはいかんよなあという感じかな
2013-08-04 15:12:43@kikumaco @ynabe39 そうですか。ううむ、事物の見え方に可視光の範囲が違う生物同士くらいの隔たりがありますね…。私はサイエンス・ウォーズの論争を楽しみ、そこに言語表現の豊穣さを見いだした人間で、金森氏すらそこは見落としていたのでは、くらいに思ってるので。
2013-08-04 15:15:38@kikumaco @okisayaka 世の中の「科学への無理解」は科学論のせいではないですよ。(また「無理解のおかげで科学が優遇されていること」もあると思います。)
2013-08-04 15:16:48@nk12 印象論で話すとすれ違うことしか出来ないかもしれませんね。たとえば私は年配の自然科学者に「特権的地位から無責任な立場で語る」人が多い、という印象を持ちながら成長してしまった人間なので… >私が見た範囲の中で特権的地位から無責任な立場で語ってる人は多いなぁという印象
2013-08-04 15:18:02