【シューニャリアーナ哲学】アメーバ的思考の論理について
- L_O_Nihilum
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インプットとアウトプットと言ってもいいかもしれません ようめさんならきっとそう言います
2013-08-13 00:16:42すると表現というコミュニケーションにおいて層は少なくとも、この分析から合計4つあることになります 話す言葉の弾道を計算する、またはそのために整理するっちゅうことは この4層の整理・計算をするってことなのでしょう、と思ったことがあります(自分自身は少しこの説に懐疑的です)
2013-08-13 00:17:47OUTer【X】/【Y】 ↓ INner【X’】/【Y’】 という図式のそれぞれを整理して書き込んでいって、言葉を選ぶみたいなことをしてるという事になるんですよね
2013-08-13 00:19:29Innerの【Y’】(表現層)はないんじゃないの、とは思えないです 何故なら享受者も感想や批評、評価を言いますから つまり印象の自己翻訳、アウトプットを すると印象層のみならず表現層もインプッター、Innerにあることになりざるをえない その翻訳があるんだから
2013-08-13 00:20:39内容の話者とはOuterですからO【X】/【Y】です Yを話すと言う事はXをYに変換することですね 印象→表現ですね
2013-08-13 00:21:43印象を整理し、命題にして表現します 命題がYに入ります O:【X(印象)】⇒【命題】
2013-08-13 00:22:19印象はそのまま印象のまま言うんでしょうか まあ言ってもいいでしょうね ただしその場合印象のそのままの記述なので、現象学的(ポルナレフ的でまあいいですw)なモノに近く、所謂「直観(直感でもまあおk)」的です
2013-08-13 00:23:19命題は論理によって構成されます 「である」を使い、文法規則に従って構成されていくからです したがって論理⇒命題となります こうなります O:【印象⇒直観】/【論理⇒命題】 つまり印象を直観し、論理によって命題づけることで表現するのですね
2013-08-13 00:24:58文章で命題作るでしょw。
「である」とか「~になる」とか何か主張になるような文章のまとまりによってできた論点のようなものを「命題」ていうのです。
ソクラテスは人間である、とか
ネコは人間ではない、とか。
馬は早く走る(ものである)とかね。
それは文法の規則によって構成されてるよね。
じゃなきゃ命題はつくれない。ばらばらになってたら、ただの単語の羅列じゃないですか。
カントのアレ思い出します まあ僕カント一応大の苦手なんですが 「概念なき直観は盲目であり、直観なき概念は空虚である。」 直観は概念と命題にしないと錯覚だし 命題や概念はあってもそこに直観による発見なしには中身がない 何か、僕の気質のせいなのか盲目と空虚逆じゃね?と思いますがw
2013-08-13 00:26:47だって「概念なき直観」は観てるだけで言葉がないので虚妄と言うべきだし、「直観なき概念」て、観ても無いモノに概念をつけてるわけだから「何も見えてない」=盲目じゃねえのかと まあどうでもいいです
2013-08-13 00:27:45じゃあ本題戻す(いつのまにか我流哲学して御免) 次、受け取る側の【X】/【Y】はどうなってんのって話なんですよ 勿論、印象→直観、論理⇒命題の構図は一緒です ですからすでに答えは出てます、が、問題はそのそれぞれの内容の性質であるわけです
2013-08-13 00:30:15O:【印象⇒直観】/【論理⇒命題】 I:【印象⇒直観】/【論理⇒命題】 ではOの【印象⇒直観】/【論理⇒命題】とIの【印象⇒直観】/【論理⇒命題】のそれぞれはどう違っちゃってるのか
2013-08-13 00:31:12ここでは劇場ではなく話や言葉に関しての件だ、って事言い忘れた それつけとかないとコレ成り立たない 劇場の場合中途半端になるやん 絵画とかでも O:【印象→直観】/【論理?(⇒概念、思考、論理)→描写、動作】 I:【印象→直観】/【論理⇒命題、感想、概念】
2013-08-13 00:33:28【印象⇒直観】/【論理⇒命題(With概念)】ていうこの構図だけど、それは飽く迄論理的に自己のなかで命題を扱った場合にのみ有りえる話。/の前後のとこで、翻訳作業を自分で行ってる場合なんですよね つまりこれの一番の問題点となるのは【】の部分ではなく「/」の内部構造でして
2013-08-13 00:35:06多分ね、「/」のなかにそれがあると思うんですよ 日本人⇒(だから)論理的思考力がない、というのは明らかに嘘だと思います 練習すりゃ誰だってできますから でもその「論理」そのものの生成過程がどうも違う気がするんですよ
2013-08-13 00:36:13生成というのは要するに【印象⇒直観】/【論理⇒命題】構造のなかで【印象⇒直観】⇒【論理⇒命題】をすることでしょ その「⇒」が妙に西洋的な、伝統的な論理構造と違う言うとる話ですもん
2013-08-13 00:36:49えーっと
印象/表現
印象→表現
のプロセスを利用してますが
今回、論理的な「話」、言語伝達、会話におけるソレに限定しているようです
さらにざっくり言えば
理解⇒理解の反芻(自分で説明できるようになる)
という関係そのものでもあるようです
どうやら
んで、例えば実例持ってきます 現象学説明するとなります 相手の人は哲学とかその思考法にあまり詳しくなく、日本人的なひと、であるとします(日本人であるかどうかは置いとくけど日本人にこれが多いと言う説明のために行う仮説。本来性は求めない)
2013-08-13 00:37:40現象学とは何でしょうか、とりあえず「ちゃんとした」説明だけぱっとしときます 『疑い方に対して答えを出す』やり方ではなく、その逆で『答えの出方を疑う』方法論のことです
2013-08-13 00:38:30例えば目の前にリンゴありまして、こいつが「リンゴだ」って言うのを【印象⇒直観】/【論理⇒命題】で求めますよね。つまり目の前ん赤い丸っこい、美味しそうな対象がありまして、これが今までに見てきたものと一応似てて、絵ではないと分かり、両親から教わったのか何故かリンゴと呼ばれてると
2013-08-13 00:39:35