【シューニャリアーナ哲学】アメーバ的思考の論理について
- L_O_Nihilum
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何かを人に説明するときは、インパクトがあり、かつ簡潔だと相手の興味を引く。例えば「ペルソナ4ってどんなゲーム?」と訊かれたら、「ペルソナっていう、魔法が使える自分の分身みたいなのがいて~」ではなく、「最大六股できるRPGだよ」と説明すると興味を持たれたりする。
2013-08-03 20:06:17岡田の言う「自分の気持ち中心主義」(フロムオタ死)を掲げるまでもないけれど、「分かりやすく」いうと言う事の中には「分かってもらうような言い方をする」という迎合のおべっかが混ざっている 現代よく理解されてるのは後者であって前者ではないという問題も見逃せない
2013-08-12 23:51:04岡田:岡田斗司夫。
オタクの王様と呼ばれている批評家です。
それもそのはず、オタクという生き方こそが日本の文化を担う先端だ!と大きな声でアピールした第一人者にしてその張本人だから。
僕はある意味でそれに大賛成なんですが、最近そのやり方のいろーんなところに、重大な欠陥がある気がします。
それは卒論に使うので、今秘密です。
インパクトが大事、とは言うが、それは賛同する面も部分的にある…というか、話す人当人がそのことについてちゃんとしたインパクトを持っていないとそのインパクトも表現不可能。一方、インパクトに振り回されて精確な対象の表現が出来るかというと、これはまた別の話なわけだ。
2013-08-12 23:52:15海ってどういうの?って訊かれて、海ってのは青くて大きくて、どこまでも水面が広がっているものだよ、って言ったからと言って思ったようには連想されない、っていうアレのようなレベルでは無くて。
2013-08-12 23:53:12もっと劣等…?と言っていいのか分からんけど、例えば「TOSってどんなゲームなの?」に応えるとき、 『君と響合うRPG』って言うより『世界をぶっ壊したシスコンを倒しに行くゲーム』って言った方が理解されるっていうそういう次元の話
2013-08-12 23:56:24※君と響きあうRPG
ともに交わり響く曲を交響曲と言う。
RPGとは物語を冒険する日本製のゲームによくつけられる名前だ。
交響曲はシンフォニア。
人はそのゲームを、テイルズ・オブ・シンフォニアと呼ぶ(笑)
覚えてるのだと「現存在とは何ですか」に対して、「そこにあること」って答えるより「涼宮ハルヒです。」て答えちゃう東浩紀のあの例の場合。
2013-08-12 23:57:54※現存在:
ハイデガーって人の言葉。DaSeinの訳語。
Da(其処)にSein(ある)んだから、「そこにある」って意味。そんだけ。
でも「そこにある」って、結構凄い重要。
だって、あなたが例えば、Dasein(現存在=そこにある)事を持ってなかったら、あなたはいなくなってしまう。
自分を失ってるのと一緒でしょ?
いるのにないのといっしょになってるなんてもったいない!
DaSein,「そこにあること」を大切にしたいですよね!
さもないと、いてもいなくても変わんない人…ただの人(頽落した人、Das Mann)になっちゃうぞー
…なんてね。興味があったら調べてみてください。
あと、ハルヒじゃ絶対ないと思います。彼女の能力や性能はそれどころじゃないwwww
要するにあらゆることを過剰にポップにしすぎると、本質を説明する前に理解なんかされなくてもいいから、当人の持ってそうなイメージをコピって終わり、っていうほうが好く理解される(というか解った気になってもらえる)というそういう状況に突入して、理解のデフレが始まっちゃうわけで。
2013-08-12 23:58:25特にこれは日本のアメーバ的な発想とびっちりくっついていると思うの。よく言われることとして、日本人は「人」を信じるのではなく、「場」を信じる、「空気」を信じるっていうのがあるでしょう。
2013-08-12 23:59:03つまり、どのように理解するか、っていう話の場合も、どう理解したら精確か、って言う話よりも前に、「どう理解されてるか」を知ることの方が優先されてしまう。だから、どっかかんか権威的なひとがこう理解して、それが有名になると、それコピーする事が解ってる事の証にされてしまう事がよくある訳で
2013-08-13 00:00:20それはそのまま「学校教育」のシステムに調子よく組み込まれている 言ってる事は同じでも、教科書の指定した言葉遣い以外は×になるというアレね つまりそこでは教科書が「場」の事を教えていて、教える教材の「命題」を教えているわけでは無かったりするわけね。
2013-08-13 00:01:35だから教育のスタイルが「処理力」の教育にしかならない。前どれい氏との議論にも持ち出したが、「型」のつけ・はずし、が日本人の身体性であるとは言ったものの、その型の生成が自己の中で行われてるのではなく、外によって枠づけられて初めて「型」と呼ばれてる場合が多いって言うやつである。
2013-08-13 00:03:07そういう空間に、哲学なんか持ちこんだら育つはずがなく。何故なら哲学という活動は、基本的に全部自分で考える。他人の思考も勝手に引っ張って使うけど、基本的に自分の頭で考え、寧ろ常識化している場のほうを疑って、命題とロゴス、つまり論理の方を信用する学問であるからですよ。
2013-08-13 00:04:18だから相変わらずだけど一般の世界で、「哲学=古代ギリシャOrデカルト」ってイメージ抜けてないですよね。一般誌で教えてくれる「哲学」の話題て、大抵ターレスからソクラテスまで、とかデカルトやパスカルをちょいとだけ、とかばかりですし。ヴィトゲやデリダあたりとか適当になりますよね。
2013-08-13 00:06:31勿論ここで言ってるのは「原書を読んでるやつにしかわからない」てことではないですよ。ほとんど読んでないOr少ししか読んでないのに解ってしまう例だってあります。寧ろ、ぜんぶ読んでるのに解ってない場合も多いでしょうに。
2013-08-13 00:07:41そういう状況で、歴史とか整理してしっかり言うことがパフォーマティブな威力を持つのかなあ、って言われると、これまた疑問なのです。
2013-08-13 00:08:27あとごめんね 迎合のおべっか とか同語反覆みたいなことしてますね どっちかでいいですね
2013-08-13 00:09:06場を信じる相手に対する「弾道計算」は相当ウザいですよ こいつらどうせこれ行っても解んないだろって内容を伝えるときにはどこまで略しても絶対伝わらない場合があるので で、今の批評って多分コレに対する強い諦観に満ちてるんですよ
2013-08-13 00:10:11んで、ちょいと僕が個人的に思うことを言うと、多分その原因を批評は「虚構」に帰したいのだと思います
2013-08-13 00:11:25表現の反対は何だって弟に訊かれたんですが、面白い話が合って 表現(Expression)の反対は印象(Impression)だと Express(外に押し出す)の対はImpress(押されてやってくる(使役))であると。
2013-08-13 00:14:31Ex(外に)Press(押し出す)
In(~させる)Press(押し出し)=押し出たものを入れ込ませる
Ex⇔In
だから、Expressの反対はImpressなのです。mになってるのは、pが前にあるからです。
表現者が「自分の表現したいものを表現する」と言う事は 自分のImpressをExpressに変換することで それを受け取ると言う事は 表現者のExpressをImpressに変換することであるわけだ。
2013-08-13 00:15:15