「本格」を「モードの遷移」という現象として考える。

「本格」という単語の持つ「言霊」としての強い印象は呼称しただけで本流や正統というブランドが手に入るような印象さえ与えてしまっている。「本格」を構造として俯瞰していくと、時代のトレンド・本流と考えられるものが即ち「本格」と呼称されていることに気づく。読者各々がミステリに目覚めた時点での「モード」が刷り込まれることで「多様化」しているのであり、実はそれは「モードの遷移」という現象ではないだろうか? ※関連ツイートとして「ニッポン戦後サブカルチャー史」全10回視聴後のつぶやきを追加。
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じねん @jinensai

さて、少し連投しておこう。

2013-08-25 19:51:52
じねん @jinensai

「本格ミステリ」とは何かという定義は常に紛糾している。時代性や多様性、あるいは個々人の読書経験・好む傾向が違うからしょうがないという達観に至るのは必然としても諦めるのはまだ早いと感じている。(続

2013-08-25 19:53:42
じねん @jinensai

承)これまでの定義の仕方自体は分類や要素といったテキスト中心なことで奇しくも一致している。うまくまとまらないのであれば、それは定義の仕方自体にむしろ問題があるのではないか。(続

2013-08-25 19:55:04
じねん @jinensai

承)「名探偵モンク」のモンクvsFBI回でも感じたことだが、細部への極端なこだわりより、全体像の「俯瞰」の方が大切なことはままある。「本格」もその事例の1つなのではないか。(続

2013-08-25 19:56:15
じねん @jinensai

承)構造を俯瞰していくと、現象としてその時代その時代のトレンド・本流と考えられるものが即ち「本格」と呼称されている事実に気づく。実は「多様」なのではなく「モードの遷移」という1現象ではないのか?(続

2013-08-25 19:57:25
じねん @jinensai

承)読者側からは、もっとも熱心に読んだり、ファーストコンタクトした時点での「モード」が「本格」として刷り込まれてしまっているため、「私はこう思う。奴らのいう「本格」など「本格」ではない!」という風に感じられるのもそのせいだからだ。(続

2013-08-25 19:58:42
じねん @jinensai

承)「モードの遷移」は何に裏付けられているかというと、極めて「日本的」な問題に突き当たる。「本格」という単語の持つ強力な魔力的印象だ。「本格」と呼称しただけで正義や本流や正統というブランドが手に入るかのような印象である。(続

2013-08-25 19:59:50
じねん @jinensai

承)誰しも自分の好むモノは正義や本流や正統の側でありたいと願う。その願望が働くほど、自分自身も「本格」も客観的には見れなくなる。「観測者問題」はここにも適用されるだろう。思いが純粋であるほど抜けられない「罠」だ。(続

2013-08-25 20:00:50
じねん @jinensai

承)これはいうなれば「言霊」の問題である。そこを一旦離れて「モードの遷移」として捉え直すことで、ようやく共通理解を築くことは可能になる(難しいけれど)。(続

2013-08-25 20:01:40
じねん @jinensai

承)その上でなお似通ったものは何かを考えてゆくと、作者と読者の位置関係に思い当たる。囲碁・将棋、あるいはテニス・バドミントン・卓球、相撲・柔道・レスリング、etc...すなわち「対面型ゲーム」だ。(続

2013-08-25 20:02:36
じねん @jinensai

承)作者も読者も「壁打ち」をしているわけではない。作者の対面には読者がいるし、その逆もまた然り。常に相手を意識し、同じフィールドに立ち、思惑を互いに計り合うという一つの「座」を形成している。(続

2013-08-25 20:03:25
じねん @jinensai

承)茶道の主客のようなもので、ホストのもてなしとゲストのそれを楽しもうとする心のやりとりが、「本格」を魅力あるものとして継承し続けてきた心底に意識的・無意識的にあると信じたい。「作法」も「座」の形成に必要なのであり、それで縛り付けるためのものではないだろう。(続

2013-08-25 20:04:34
じねん @jinensai

承)初見で「手際」に驚いて見逃していた「もてなし」の心を、2読目に確認しつつ堪能するのもまた「本格」の楽しみであろう。むろんミステリ全般に共通する魅力ではあるが、「本格」は「対面型ゲーム」の形がしっかりしたものと見たいのである。(続

2013-08-25 20:05:42
じねん @jinensai

承)むろん声高に主張していなくても、この形が堅牢であれば充分であると思う。その意味で『容疑者Xの献身』は充分「本格」だと思う。(続

2013-08-25 20:06:25
じねん @jinensai

承)作者と読者を納得させるためにこそ「論理」の介在が必要なのであって、「論理」をその必然性が問われることなく「本格」を特徴付ける「要素」であると規定するのは、見方として逆だったのではないだろうか?(続

2013-08-25 20:08:02
じねん @jinensai

承)まだまだ「再定義」には至らない段階であるが、従来とは違った視点が必要だと思われてならない。「当然」のことをまず疑ってこそのミステリファンである。

2013-08-25 20:14:29
じねん @jinensai

マイノリティがメジャーになっていく過程をミステリもまさにたどってきた訳で、変わらず「芯」になっているもの、回転の「軸」になっているものに思考の視点をシフトさせては如何にというのが自分の基本的なスタンスなのは再認識できた。(サブカル見おわた)

2014-10-04 23:52:02
じねん @jinensai

共通項の抽出や分類という「結果」偏重の限界は『容疑者x~』の時点であらわになってしまっている訳で、そこに拘泥し続けるのはいただけない。「結果」を導く過程を概念モデル化して行ければ良いのだが…。安打ではなく安打を生み出すバッティングの方が重要に思える。(サブカル見おわた)

2014-10-05 00:06:53
じねん @jinensai

「結果」偏重からは、「本格」とは各人の「なんとなく」な感性でしかないという残念無双な結論しか導けない。別のアプローチが必要なことだけは証明できているが。(サブカル見おわた)

2014-10-05 00:13:40
じねん @jinensai

使い勝手は良いが、それだけにそれがどういうモノかという根本的な所が抜けている。「単語」という器は一緒でもそこに載せられて出てくるモノが各々違うのであれば、それは「なんとなく」としか表現しようがない。(サブカル見おわた)

2014-10-05 00:19:31
じねん @jinensai

「なんとなく」を前提にしてまずは意見集約していくしかないだろうと思う。「なんとなく」について協議しているのだと思えば、変な力関係や揚げ足の取り合いのような不毛なことにはなるまい。象の各部位を撫で回した観察を各々持ち寄るぐらいの脱力モードの方が話も弾む。(サブカル見おわた)

2014-10-05 00:26:45
じねん @jinensai

バッティングの例だと我を見失っているのは「本格」ファン自身ではあるまいか。右打者なのか左打者なのか、身長はどのくらいか(肘膝位置=ストライクゾーン)、体重はどうか(パワー重視か技巧派か)といったパーソナリティーによって打ち方自体が変わることを棚に上げている。(サブカル見おわた)

2014-10-05 00:48:19
じねん @jinensai

自分のパーソナリティーを理解し棚から下ろして来るならば、「だから」/「ゆえに」という主張に説得力も生じよう。「客観」を前面に出してそのエプロンの陰から主張しても結局他人やCGのシミュレーションにコメントしてるだけで自分が何処にも存在しなくなってしまう。(サブカル見おわた)

2014-10-05 00:55:59
じねん @jinensai

「客観」の傘に守られることを止めれば傘の奪い合い(=『容疑者x~』論争)は起こらない。「ほう、そんな見方(読み方)があるとは」ぐらいの相互リスペクトが理想的だろう。これは各々の心構え次第で実現可能なルートとプランに思える。(サブカル見おわた)

2014-10-05 01:07:38