- L_O_Nihilum
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もっと言えばその地点で享受者は原作の痕跡を二次創作というかたちで受け入れている。そのうえで,自分たちの作るものはその痕跡の痕跡にすぎないし,そのなかで,自分の作る空想および妄想…?つまり翻案からくる想像力が「原作とは別に」展開されているという形で自らの痕跡を理解しているわけで
2013-09-02 10:36:54つまり「原作と二次創作」を分けているものは,必然的に単純に,この点なのだということを把握しなければならない(たとえミクのように原典がないテクストにしても「N次創作」より「二次創作」のほうが表現として好まれるし,そもミクはクリプトンのボーカロイドだ,という意識は強くある)
2013-09-02 10:38:21で,もっといえばキャラクターの扱い,っていうのを考えるときにはそのレベルから出発しないと,ことに日本の享受状況から話すのであれば理解しえないのではないか,と思っている
2013-09-02 10:39:03ここにおいて,二次創作と原作の「どの点が同じか」「どの点がはっきり区別されてるのか」てポイントがきれいに提示されることになる 「どちらも自主的な手癖,痕跡による創作である」 「ただし,原作自体であるかないかの違いである」それだけ。 僕のやってる外世論はいつも,素朴なレベルを考える
2013-09-02 10:40:18※原作と二次創作を区別することはできない これもまたよく批評が間違えるが あくまでモノづくりをする、という作業の苦労云々に関するレベルのことであって,原作と二次創作の区別、判別という事とは全く無関係。
2013-09-02 10:41:09二次創作においても絵をかくレベルでは同じように自分の腕で描き,自分のPCで着色して,本にしている。本でない同人作品なんかにしても,作るときには自分の持ってる工場とかで作ってもらったりする。基本的に「自分で」精神がそこにある。DIY。
2013-09-02 10:42:03そして,ZUNが言ってたのはほんとに手垢をさらしてしまうと突っ込まれるから,自分が深く作る信念だけ言った,って点も重要 何パクってるからZUNはパクリ魔だとかいうアンチの考えはその点では「間違い」となる(創作倫理ではパラダイムを重視するがパラダイム外での事実とは必ず照応する)
2013-09-02 10:43:36追記文について 「他人の原作から派生したN次創作を元ネタにしてオリジナルを作る これを享受者がするだろうか? あるいは、そんなことした例があっただろうか? 無かったとしたら、何故それをしないのか? 法以前に、享受者の心理の問題。」
2013-09-02 10:46:02この辺は最難関の問題。自分でもはっきり言えるかわからないけど,ここには一種の「境界線の渡り」が入っていると思う
2013-09-02 10:46:31いかなる創作においても,影響があり,元ネタがあり,素材がある。これは「初音ミクの執着!」というまとめ(前篇後編2編あり)のころから,ずっと僕が言ってること。差延作用≒自性空である,というのは大前提。
2013-09-02 10:47:36創作において元ネタがあり,翻案が混ざり,そのなかでオリジナルを作る,というときに,「原典である原作を通して二次創作するあるいは一次創作する」のなら間違いなくある。これは大昔から,演劇だの文学だので何度も行われてますよね,ギリシア神話とか,聖書とか
2013-09-02 10:49:11あとパチスロでいえば「ファウスト」「メフィスト」(Bタイプ4号機,ST,山佐)は,タイトルも見ての通りゲーテさんの「ファウスト」ですけど ゲーテさんの「ファウスト」も地方にうわさで広がりまくる,メフィストフェレスの伝承をもとにしており。そもファウストさんテーマ作品は相当数ある
2013-09-02 10:50:29原作を原典した二次創作,および原典とした一次創作というのは世界中にある。もちろん日本でも限りなく存在する(例としては宮沢賢治をもとにしたますむらひろしのマンガなど)
2013-09-02 10:51:33で,そうしたものは,「文学」てかたちで,歴史には記録されるんですよ でも,同人誌(現代でいう意味の)は,歴史に保存されるか?っていうと,ちょっとあれってなりますよね 誰がどんな二次創作を出してたかなんてのを逐一記録してたらキリがないですもん
2013-09-02 10:52:28で,この辺が批評家が十把一絡げにしたくなる原因でもあるんですが,つまり構築しているアーキテクチャ(工学論的構造)の時代ごとの推移をみれば,それが歴史として記述でき,論じられるという目論見があるからですね
2013-09-02 10:53:15ですから,そのような意味でも「二次創作から文学が生まれるのか???」みたいな話になったときに,公私ともども「ノー」と思いたくなるわけだ オリジナリティがないから,というより,二次創作を歴史にして並べるにしたら疎外ばっか生まれるから
2013-09-02 10:54:41つまり相当有名どころの二次創作がせいぜい紹介できるくらいになる 東方だったらIOSYSとかボカロだったらkzさんとか ボカロは一人ひとり創作内容が違って,しかも基本が音楽だしある程度多人数記録できると信頼されてるが
2013-09-02 10:55:43いずれの場合にしても,ボカロだったらボカロだったで,同人誌のほうとかあまりよく観察されない。同人ゲームの存在とかボカロで歴史表に記載するほど大きく認知されてないものも多い そうすると「この作家が載ってない!」的状況になりかねないので歴史化がはばかられる
2013-09-02 10:56:43歴史化がはばかられる=登記ができない 登記ができてない=消費である こういう観念がある だから,批評家も,享受者も,己つまり読者を「消費者」としか呼べない と,こんな状況がある
2013-09-02 10:57:35では,「渡り」の部分を眺める 他人の原作から派生したN次創作を元ネタにしてオリジナルを作る,というのはまさにその境界線を渡ろうとすることだ しいて言ってしまえば二次創作そのものを文学として発表するような,そんなレベルの話
2013-09-02 10:58:16あるいは「これこれの二次創作をもとに作ったこのお話を世に出す」という壮大なレベルの話
2013-09-02 10:59:08一応「それに近い」例はある 凋叶棕さんの「サナエさん」のお話 これは東方の東風谷早苗さんのお話(詳しくは風神録のストーリーを)をベースに据えながら,学校によくあらわれるサナエさんという少女を描いた凋叶棕のオリジナルストーリーの楽曲だが
2013-09-02 11:00:13つまりここではひとつの「渡り」が行われている。 つまり原作を原典としての二次創作,自体をオリジナルにしている 難しいな,なんというか,原作の二次創作を,自らの原作の引用原典として用いている,と言ったらいいか
2013-09-02 11:01:12一瞬中断 そう,ぼくがキャラクターを外世の他者と定義するのはこれも含めての話 原作者が批評意識して作っちゃう 批評の言う通り「売れる」(批評は売れるための批評を書くから) するとそのキャラクターもろとも,世界観をその論評文脈でしか捉えらんない キャラへの愛とその本心が疎外される
2013-09-02 11:03:55