渡邊芳之先生@ynabe39の「試験でも妙に正解率の低い問題というのは問題文の文章に問題があることが多い。」

いくら自分から見て誤読でも同じ誤読をしている人が複数いる時には自分の書き方も見直さないといけない。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

学則により「その授業を履修した」と認められる出席比率が7割であるなら7割以上出席した学生だけが試験を受けられる,受験者については試験の成績のみで評価が与えられる,というのが大学設置基準に忠実な成績評価のあり方。

2013-09-15 07:40:06
キートス @kahvikiitos

@ynabe39 実際、高校生の時に「パパがやるから見てご覧」言った先生いらっしゃいました。

2013-09-15 07:43:09
渡邊芳之 @ynabe39

息子が大学生の年になったらこれまったく冗談ではないのだ。

2013-09-15 07:43:39
渡邊芳之 @ynabe39

じっさい授業になんか来なくたってちゃんと必要なレベルに到達する学生はいるし,授業にぜんぶ出でも到達できない学生はいる。「出席することによって大多数の学生が目標を達成できるような授業」が望ましいとはいっても例外は必ずある。

2013-09-15 07:46:21
渡邊芳之 @ynabe39

教員の主観的には「1回も休まずいちばん前の席で聴いている学生は成績が悪い」というのがある。まあもちろん印象が強いからそういうケースだけが記憶に残るというバイアスはあると思うが。

2013-09-15 07:48:03
渡邊芳之 @ynabe39

ニヤついているというよりは苦笑では。 RT @shakujii_ron: 近所に住んでる若い助教も町内会の集まりでは「教授」と呼ばれてニヤついてますね。RT @ynabe39: 学生は学生で助教でも講師でも准教授でも大学の先生はぜんぶ「教授」だと思っていたりする。

2013-09-15 07:49:08
渡邊芳之 @ynabe39

「自分は馬鹿ではない」と言ってるんですね。 RT @yk_selen: いろいろだなあ...「先生とよばれるほど馬鹿にはなりたくないもんですな」と仰る教授もいた

2013-09-15 07:49:44
渡邊芳之 @ynabe39

職業的自尊心というのは複雑で厄介なものだ。

2013-09-15 07:50:06
渡邊芳之 @ynabe39

「責められている人を責めないのはその人の味方をしているからだ」というのは「運動」には便利な考え方だ。敵をどんどん見つけ出すことができるから。

2013-09-15 07:53:31
渡邊芳之 @ynabe39

「おかあさん」というあだ名の女子学生がいました。あの子ももうほんとにお母さんになっているのかな。 RT @JACKYOKO1: @ynabe39 わたしは新人の部下にお母さんって呼ばれちゃったことありますよ(。´_`)ノ、殴ってやろうかと思いました☆

2013-09-15 07:54:29
渡邊芳之 @ynabe39

俺がみのもんたの味方をしていると思っている人もいるらしい。

2013-09-15 07:55:01
T. INAGAKI (FUJII) @TsuFujii

@ynabe39 おっしゃるとおりです。特に大学の先生は職位に関わらず教授様(ギョスニム)と呼ばれます。私は日本の感覚として身の丈に合わないので,学生さんには「ごめん『先生』にして」とお願いしています。

2013-09-15 07:55:55
渡邊芳之 @ynabe39

「運動」が嫌い。じっさいスポーツも嫌いだし。

2013-09-15 07:55:58
渡邊芳之 @ynabe39

自分の訓練された大学から他の大学に行く,そこでは助手が先生と呼ばれるというのも「小規模な異文化接触」なんだよね。

2013-09-15 07:56:50
渡邊芳之 @ynabe39

「気に入らないものがあるすべての人」から「自分の嫌いなものの味方」と思われています。 RT @6_so_e_no: ナベ先生はいろんなものの味方だね。@ynabe39: 俺がみのもんたの味方をしていると思っている人もいるらしい。

2013-09-15 07:57:33
渡邊芳之 @ynabe39

同じ日本の中でも関西では大学の先生が東京より偉くて尊敬されている,あるいは大事にされている感じがする。北海道は東京と変わらない感じ。

2013-09-15 07:58:59
渡邊芳之 @ynabe39

「原発に反対しないのは御用学者だ」「放射脳を批判しないのは放射脳だ」。

2013-09-15 08:40:13
渡邊芳之 @ynabe39

「文明」っていうのは自分たちの作っているものだから(神様の作った)自然のような「感謝の対象」にはなりにくいというだけの話では。

2013-09-15 08:42:18
渡邊芳之 @ynabe39

どうも「社会」とか「文化」とか「文明」といったものを「自分とは独立にアプリオリに存在するなにか」と考える(自分をその構成要素と考えない)傾向が強まっているように感じる,というのは前に「フジテレビデモにおけるデモをする自分と社会との関係」について考えた時にも書いた。

2013-09-15 08:44:44
渡邊芳之 @ynabe39

まあそれと並行して「自分をほめたい」「自分にごほうび」的な「自分の客体化」も進んでいるわけか。「自分(や自分を明らかに含むもの)に感謝する」ということには30年前ほどの違和感はないのだろう。

2013-09-15 08:46:59
Aska Deutsch @asakawachi

@ynabe39 『出席点」なんて、ぼくはつけていません。しかし、学生から「出席点」認めろと圧力かけられているのが大学の現状です。

2013-09-15 08:51:33
渡邊芳之 @ynabe39

「出席点は国が認めていない」で終わりです。大学設置基準第27条,この「履修した学生」と認められる条件が出席という考え方。国立大学には文科省からくりかえし「出席点を成績にしてはならない」という示唆が与えられています。@asakawachi

2013-09-15 08:55:19
渡邊芳之 @ynabe39

ここであえて「示唆」と書いたのは,文科省から大学への「指導」は多くの場合文書などの明確な方法では行われないから。たいていは設置や改組で文科省に行った時やこちらが提出した書類へのコメントなどで「○○は××が望ましいんですが」などと言われる。

2013-09-15 08:57:34
渡邊芳之 @ynabe39

「履修(出席)」と「成績評価」があって初めて単位が認定できますから,出席だけで単位がもらえるのは「ダメ」です。 RT @rodomangreat: だから、出席さえしていれば単位をもらえる講義が一定数あるんですね。僕が通ってたへっぽこ私立大学の話ですが。

2013-09-15 08:58:48
渡邊芳之 @ynabe39

まあ「出席点を成績にする」ということは実質的に「出席していれば達成度が低くても単位を与える」ということなんだよね。これ「あたりまえ」と思ってやっていると,設置や改組の申請に行った時に突然文科省から「出席点はダメ,すぐにやめさせろ」とか言われて大慌てすることになります。

2013-09-15 09:00:23