【シューニャリアーナ哲学】反省その②
- L_O_Nihilum
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最近思うのは、知識は別として、人間の基本的な能力は器質的障害でもないかぎり大差なく備わっており、置かれた状況がその人間にそのような行動を要求しているに過ぎないんじゃないかということ。特に優秀な人がマヌケなことをするたびにそう思う。
2013-09-07 00:51:49そして、はるにゃんが言ってくれた「就職したら許さないかんね」が数倍重くなってきてしまった。
2013-09-08 18:15:23【シューニャリアーナ哲学史】こんにちは、哲学の妖精さん http://t.co/gCWvwSzlsD 信念の使い方、信念とは何か
2013-09-08 18:20:24一部の語りが、騙りでありながらも支持を得て、場を持ち、そしてマズいタコヤキを量産してその手法で金儲けしてるにもかかわらず、意味を持っているその最大の原因は場。トートロジーだけど、ホントに場というもののウザさが原因。
2013-09-08 18:23:33【強度=場】という嬌声観念―――強制でも嬌声でも嬌声を強制されているんでどっちでもいいですね そんな強制観念を利用しているというそのことなのです そしてそれこそが僕の最大の問題 場を崩すためには場の理論を経由しざるを得ないし、 批評を超えるには批評を経由せねばならないという矛盾
2013-09-08 18:24:48批評を経由させれば経由してきた思考が批評に利用される。コピーの繰り返し、脱構築の悪用そのものを信条にすることで、非一貫性を批判すれば一貫性の部面を切りだし、一貫性を批判すれば大きな物語など非存在だなどと自らの汚点を覆いに隠す。
2013-09-08 18:26:16そのような「げんろんはむてきだ」状態に持ち込まれ現在の場が存在するなかで、『批評を経由しざるをえない』はひとつの問題点を孕みつつ反覆される。
2013-09-08 18:26:54そのたこ焼きは欺瞞に満ちた具材で出来ている。見かけは非常に美味しそうだが、それはそれまでの様々な創造的な料理としてのすき焼きやかば焼きの都合のいい部分を取ってきてごたまぜにした工場の調味料に過ぎない。しかも、良く考えたらDDT並の毒性があるのだ。
2013-09-08 18:28:31だが、その毒性は味とその流通、流行に包み隠されている(というか、その流行を狙って毒性のあるたこ焼きを量産することに成功したのだ―――まさに、場を作るという事に)。
2013-09-08 18:29:11完全に計算された、無自覚な確信犯と言うわけだ。 ここでの「確信犯」は誤用ではない。確信犯とは、信念を持って行う愉快犯乃至故意犯のことであるからだ。信念無き信念、変転そのものを言い訳にする信念には、無自覚な確信犯という表現がふさわしい
2013-09-08 18:30:11そして、流通のなかで無毒(だと偽装)化されたタコヤキを、学生も普通に食している。これが現在の語り否騙りの現状である。
2013-09-08 18:30:50騙りを学んでいる人たちは、その毒性に気付かない。プラトンの「洞窟の比喩」のようだ。虚妄な現実という洞窟に縛り付けられた囚人は、外の真実の世界の影を見せられ、それを本物だと思い込んでいる、この状況。
2013-09-08 18:31:45今日の黒子さんとのお話は、根源という言葉、痕跡という言葉を使ったけど、まさにタコヤキを通して行ったイデア論であった。
2013-09-08 18:32:11わたしたちが求めているのは強度としてのタコヤキであり、毒性と戦い、よりおいしくなったたこ焼きであり、カレーであり、とんかつであり、定食なのだ。
2013-09-08 18:32:47それは恐らく、場に依拠せず人を理解させる。全く無名の者が語っても、同じ効力を持ちうる、そういう言葉である(だからこそ議論が成り立つ。ギリシャのアゴラとはそういう場所だったんだ)
2013-09-08 18:33:37ハーバーマスの言う公共圏の失敗、をタコヤキ屋(!)は嘆くふりをし、そして自らの店の間口を広げようとする(これがゲーミフィケーション論の悪用した形である―――勿論元来のゲーミフィケーション論の使い方ではない、毒入りのコピー品である)。
2013-09-08 18:34:42だが、屈してはならない。今そのアゴラはアゴラという場を失ってくれた。本当の意味でアゴラ(公園、広場)となったのだ。そのなかで、哲学を、語りを、惑ってなどいられようか。
2013-09-08 18:35:31日本には今、料理をおいしく作る場所が、あまりにもなさすぎるのだ。 美しい飛行機を、飛ばす場所があまりにもなさすぎるのだ。
2013-09-08 18:35:59