アカデミックなものとのつきあいかた(その1)
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@otya_uke 一番最初のツイートは、@otya_uke さん自身のスタンスと関心を的確に表現出来ているのだろうか(otya_ukeさんは「近い将来大学院に戻るつもりだが 研究職は目指していない」の?) http://togetter.com/li/56595 #wab
2010-10-05 09:35:59@otya_uke それとも、「職業として研究職を目指さないひと」という規定でもって、otya_ukeさん自身のことを述べているわけではないのかしら。 #wab
2010-10-05 09:37:41@otya_uke 読み返してみた(http://togetter.com/li/56595)。 http://bit.ly/9mw1N5 の「1-2」を、酒井や赤田くんに用意されたものとして受け取ってもよいかもしれない(しかしこのツイートは見逃していたかも)。 #wab
2010-10-05 10:02:12「規範的である」というのは、新しく正しい知見を含まない報告や論文が実際にあるが、そうした場合に我々は、「したがって上記の目標は捨てよう」とは扱わず、むしろ「事実(=そうした論文が存在すること)の方が間違っている」と判断する、というほどの意味です。 #wab
2010-10-05 11:47:10その限りで、この(http://bit.ly/alKWd4)主張に異論を述べる必要はありません。しかし、この主張が私の主張に対立しているわけではぜんぜんないとも思います。以下その点について。 #wab
2010-10-05 11:47:20@at_akada 「そもそも自分で研究をする気はないので、そこら辺誤解ないよう頼む」でだいたいあってるんですが、これでもまだちょっと強い気がする。「研究しているか/いないか」という区別もやはり、我々にとって ほとんど どうでもよいものではないですか? #wab @mskota
2010-10-05 18:52:35@at_akada おそらく、「研究する」という言葉が(酒井や赤田くんにとって)使いにくいものとなってしまう特別な理由が、なにか あるように思われるわけです。 #wab @mskota
2010-10-05 18:54:53@at_akada これとは対比的に、研究会などに参加するときなどには、「自分にも、多少なりとも なにか貢献できることがある筈だ」と、ほとんど留保なく考えていませんか?(私は考えています) #wab @mskota
2010-10-05 18:59:01@at_akada あるいはまた、前掲の「理念」に対して、これまたほとんど留保なくコミットする準備があるのではないでしょうか。(私はあります。) #wab @mskota
2010-10-05 19:00:49@at_akada そして、これらのことについてはむしろ、我々にとって(も)、まったくどうでも良いことではない。(というあたりまでは、私と赤田くんは、かなりスタンスが共通しているのではないか、と想像しています。) #wab @mskota
2010-10-05 19:06:03@contractio そのあたりについてはさかいさんに同意します。というか、わたしにとって自分のかかわり方は重要なのですが、研究者の規定とかはあまり関心ないです。
2010-10-05 22:30:16研究に対するかかわり方というところでは、思うところはいろいろあるのですが、難しいな。ひとまず、今自分が研究にかかわる際の立ち位置は、一般的な語彙でいうと、「ファン」とか「おっかけ」とか「ウォッチャー」にあたるものであると思います。 #wab
2010-10-05 22:35:51ファン活動以上の貢献がしたいとはつねづね思っておりますが、具体的な方法は目下模索中ですとしか言いようがないですね。 #wab
2010-10-05 22:38:45ファン活動以上の貢献がしたいとはつねづね思っておりますが、具体的な方法は目下模索中ですとしか言いようがないですね。 #wab
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