- misoni_2013
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ポンチとして、圓圓珍聞(マルマルチンブン)=マルチン。 本田錦吉郎による絵の余白を埋めるように文。戯作者なので七五調で音声の言葉遊びが入っている。音読前提。 絵だけで自立せず文章がある。
2013-09-20 19:51:09言葉遊びの表現が絵の表現へ。 絵自体に本質的意味がなく単なるダジャレ。 そして文章が減り、それを読み込まなくても楽しめるようになっていく。
2013-09-20 19:54:40ポンチ絵はもともと余白に書き込まれた文字を読み込み、音読して初めて楽しめるもの。 一コマだが長い時間をかけて楽しむ。 マルチンの読者は、文字が読め、教養があることが前提で、狭いコミュニティーで読まれていた。
2013-09-20 19:56:57ビゴー「TOBAE」 西洋のカリカチュアは絵を見るだけで一発で分かるもの。 しかしある時期にマルチンの影響かコマへ文字が入り始めるが、清水によれば、幸徳秋水が関係したからではという論がある。
2013-09-20 20:00:05浮世絵師の末裔から西洋絵画教育を受けた「画家」による一人で描く形式へ。 余白の文字が吹き出しやコマ外へ。 また七五調から散文へ
2013-09-20 20:01:43時事新報の今泉(が漫画だと思う)の風刺画が掲載されるが、見れば一発でわかる。 まだまだマルチン式の絵と文章が一体になったポンチ絵が主流だった時。
2013-09-20 20:11:31明治20年代になると複数コマポンチが多く出てくる。ここが変わり目かな、と。 今泉一瓢がきっかけか。 時事新報が漫画の「近代化」に重要でそれは、北沢楽天が明治23年に描くからだ、とされるが、その前に今泉がいる。
2013-09-20 20:17:12福沢諭吉は近代の新聞には絵が必要であると言っていたこともあり、今泉は渡米する。 しかし「漫画」は学ぶものでないと現地ではされていて、勉強というほどのことはできなかったようだ。
2013-09-20 20:19:05ジャーナリズムの中に本当に西洋的な文脈を根付かせようとしただけでなく、美術の文脈にも位置づけようとしていた。 つまりそれまでの風刺的浮世絵やポンチ絵とは全然違う、もっとランクの高いものとしていたということ
2013-09-20 20:24:42浮世絵が「美術」で無いというのは、絵が絵として自立していないから。 ファインアートの文脈では絵は絵として、文は文として成立しなければならず、文字も絵もいっしょくたな浮世絵は美術として認められない
2013-09-20 20:27:52今泉一瓢、長原孝太郎が白馬会に出展し、その絵がそれだけで成立する(文章を排する)ものであったことから、絵画のサブジャンルとして漫画が成立
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