「酷将」 花谷正という男

OGAWA kandaiさんの花谷正についてのtweetのまとめ
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畑中章宏@『宮本常一』『感情の民俗学』『関東大震災』 @akirevolution

> 花谷正みたいなタイプの「酷薄」さは日本の「組織」からいまだに失われていないよなあとか。

2013-09-25 11:38:31
大ミハソラシド @megassachaos

改めて検索かけたら、 >花谷中将が師団長時代、かつてプロ野球の大洋ホェールズの名監督、三原氏は、第五十五師団の参謀部に勤務していた。 というブログの記述を見つけた。反面教師にしたんだろうなぁ.@southmtmo.. http://t.co/OcSWuvd61v

2013-09-25 22:15:36
司史生@減量中 @tsukasafumio

昨日の話に出てきた花谷正中将のビルマ戦線におけるパワハラエピソード。 その1) 申告に来た工兵連隊長(階級は大佐)を「貴様それとも連隊長か」と言って連隊員の眼前で殴打した。理由は不明。連隊長は「こんどやってみろ、俺もやってやる」と凄んでいたが、二度と顔を合わせずにすんだ。

2013-09-25 21:50:21
司史生@減量中 @tsukasafumio

その2) 最前線の若い中尉の些細な失敗を聞きつけて自決を命令。上司である連隊長の再三にわたる弁護や慰撫を退けついに自決に追いやった。この中尉は某親王妃の従兄弟だったと言う。

2013-09-25 21:53:38
司史生@減量中 @tsukasafumio

その3) 兵器部長の大佐は集積所を爆撃され弾薬を失ったことを根に持たれ、ことあるごとに青竹で殴打され顔の形が変るほどであった。大佐は毎晩のように男泣きに泣いていたが、自決した。

2013-09-25 21:55:35
司史生@減量中 @tsukasafumio

その4) 軍医部長は花谷師団長に殴打され続けたために怯えきってしまった。花谷に声をかけられただけで失禁するようになり、次席軍医が手配してなんとか後送させたが、正常な精神状態に復帰するのにしばらくかかった。

2013-09-25 21:57:34
司史生@減量中 @tsukasafumio

その5) 若い参謀は花谷の罵詈雑言と殴打に耐えかね、司令部を離れて前線をさまよううちに砲弾が命中し四散、新品の参謀飾緒は付近の立ち木にぶら下がっていたという。

2013-09-25 21:59:24
司史生@減量中 @tsukasafumio

その6) 別の若い参謀もことあるごとに殴打され、倒れれば蹴られ続けて精神が破壊されてしまった。いったん後送され満州の師団に配属されたが、その師団はフィリピンに転出、最後はレイテ島に置き去りとなり行方不明となった。

2013-09-25 22:01:32
司史生@減量中 @tsukasafumio

こうして書くと花谷は自分の師団司令部をたった一人で壊滅に追い込んでいるな。何のためにそうしたのか本当によくわからん。

2013-09-25 22:03:48
司史生@減量中 @tsukasafumio

「酷将」 花谷正という男 http://t.co/5HwdmIZXgi 私が引用したのが『陸大物語』ですが、確かに全く暴力行為のエピソードがかぶってないのがすごいですね。

2013-09-25 22:09:01
司史生@減量中 @tsukasafumio

昭和8年(1933年)ですから盧溝橋事件前ですが、満州事変の関係者として富山歩兵第三十五連隊第一大隊長に左遷されていた花谷は、大隊の兵を率いて軍部に批判的な記事を書いた北陸タイムス社の社屋を包囲して発砲までしています。これで将官になれたのだから尋常ではない。

2013-09-25 22:28:37
遺跡 @kahananium

花谷正さんすげーな…「 1957年(昭和32年)に病で倒れる。 片倉 衷が義捐金を募ったが、過去の悪行から花 谷のことを嫌悪していた部下は一人として これに応じなかった。同年死去。旧満州関 係者が列席して盛大な葬儀が営まれたが、 部下は誰一人会葬しなかった。 」

2013-09-25 10:23:00