ところで昨日計算して気付いたんだが、年間180万-200万を安定して調達できるなら、大卒の人はいつでも修士・博士課程に行くことができる。もちろんそれ以外にも、専用の学力と研究用disciplineは必要。実はこっちの調達の方が非常に難しいんだけど。特にdiscipline。
2010-10-10 12:43:42ちなみに今の数値は、生活費込み・免除ナシで計算した場合。学費単体では54万/年あればよいので、生活維持や家賃に一切心配がないなら修士2年・博士5年(オーバードクターで2年残るケース想定)の7年でもまあ、378万あれば居続けることができる。(居ることが目的ではないけど、もちろん)
2010-10-10 12:46:02無収入に突入しても{生活維持費+400万円}があれば、アカデミック・キャリアに挑戦できるわけだ。さらに実力のある人はこれに加えて民間奨学金や国費・財団等からの助成金を獲得して、有利な学問研鑽を積むことができる。当然、書類作成や研究計画書の推敲はとても大変だけど、不可能事ではない。
2010-10-10 12:49:15ところで僕に対してに限った話でなく、「一度就職してから学問に戻ったらいいよ」という助言を学部生・修士院生に言う人がいる。この助言を数字にパラフレーズするなら「{生活維持費+540,000*(x)}円の貯蓄を稼いでから望みの大学院に再受験せよ」という意味合いを持つ。
2010-10-10 12:52:01計算結果を並べるとバリエーションが多すぎるし、学費免除・助成金・パートタイム労働・奨学金・留学補助・家族支援等のオプションを加えると変動幅が大きくなるけれど、そうした諸々のオプション抜きでも、5-6年で博士取るつもりで真剣にやれば、多くとも1200万円程度で博士号は取れると思う。
2010-10-10 12:58:41つまり博士号は(その後の人生にそれが何の役に立つかはその人の勝手だが)生活維持費込みで1200万円で買えて、その取得までに自己アピールやマネジメントをすればとしてはその半額以下で修了できる、ということだ。 もちろん、研究業を続ける上で、この支払いには一定の意味がある。
2010-10-10 13:02:036年間(博士課程までには色々と困難があるので、最短修業年限2年+3年に+1している。個人の卓越に関係なく、身体を壊したり、論文提出が間に合わなくて5年で出られない人は多い)で1200万円、1年あたり200万円。これにどういう価値づけがあるのかが、大学院入学の際の吟味の対象になる。
2010-10-10 13:04:47正直なことを言うと、偏差値の高い大学でも指導教員選びに失敗すれば、その1200万円はむだになる。逆に無名の大学院でも、優秀かつ熱心で関心領域の知識に長けた指導教員に出会えれば、無駄にはならない。「6年間で1200万円も支払う価値のある指導者」を見つけるのがベスト。
2010-10-10 13:11:34アカデミック・キャリアで、英語やその他の外国語を学ぶ意味は、「師匠を日本語圏以外の大学院に求めることができる」というのが実は一番大きいかも知れない。たとえばアメリカの大学院でなら、TAやRAに支払われる給与が優遇されており、計算がまるで違ってくる。
2010-10-10 13:13:19さらに日本という限定された研究潮流を離れて、その言語圏で熱く議論が戦わされている分野で、予算を獲得してその最先端の研究を進める指導教官のもとで、最前線を見せてもらうこともできるだろう。そこまで考えて「師匠選び・研究環境選び」を考えないと、院のために貯金してもさして意味がない。
2010-10-10 13:15:05ところが幸いにして(というか、なんというか)僕は師匠に恵まれたので、今の日本の大学院に居る。もし、師匠選びに失敗していたら、もっと早くに英語力を高めてDからは海外の大学院に行っていたかもしれない。「師匠選び」というのは多分にミスマッチを含む問題なので、こういうのは運が関わる。
2010-10-10 13:17:02国内の院にも、熱心で、他言語圏の最先端を追っている世界水準の智者は確実にいる。だがその割合は、残念だが極めて低い。だからぼんやりと研究者の進路を考えている人には、「自分の研究したい領域に最も役立つ言語・専門分野に通暁して、その言語圏の達人へのアクセス制限を解除しろ」と進言したい。
2010-10-10 13:20:27学問というのは、どこかの言語圏にたまたま住んでいる、たまたま“どこか頭のネジが外れてしまった人”が、人知れず人類の最先端を突っ走っている、というものである。そうした人が、たまたま国や財団や個人的パトロンから資金を調達して、研究を進めている。その達人が、日本語を解さないとしたら?
2010-10-10 13:22:47「最強の格闘家」とか、「最強の音楽家」とかであれば、それは単に技術を鍛えて出会えばわかりあえるものだ。ところが、学問という領域では、達人が利用している言語体系(自然言語・数学・統計・計算モデル構築・専門的理論・調査方法論)を知らなければ、相手にもされないのだ。最強と、戦えない。
2010-10-10 13:25:23(しばしばインテリの振舞いがムカつくのは、「その分野ではどうも最強らしいが、戦おうにも戦う足場がない」感じの卑怯さに由来するかもしれない。そうしたインテリのダメさについては、ツッコミどころ満載である。が、それはまた別の話。)
2010-10-10 13:27:19学問とは、research questionに挑む方法論の雑多な集成である。ここでいうRQ(Runequestじゃないよ、リサーチ・クエスチョン)とは、「始点の風景と終点で得られる(だろう)風景、ともに明瞭なかたちで記述されるに至った、具体的な作業課題」のことだ。
2010-10-10 13:30:16そして、「あるRQに嵌っちゃった人」というのは、日本語圏に限らず、世界のどこかにいるかもしれないのだ。そして、「母語の文化圏だけでどうしても到達できない“のびしろ”を、どこかのだれかが教えてくれる」可能性が、常に・どこにでも存在する(人類学者の言葉に耳を傾けよ)。
2010-10-10 13:32:28言語や学問の専門知識を学ぶことは「世界のどこかのだれかが、自分と同じことを、自分より最先端の水準で考えている(いた)かもしれない」という期待、そして「その彼(彼女)の知る風景(perspective)には、掛値なしの価値がある」という2つの期待を現実に変えるための路程になりうる。
2010-10-10 13:36:43自分より凄いことを考えているなら、その人の見ているだろう風景を自分もみてみたいなら、その人がどこの国の人だろうと、会ってみてどんなにムカつく奴だろうと、何が何でも盗み出してやる、乗越えて自分のものにしてやる。そういう気概を、日本国内だけで燻らせるのは、あまりにもったいない。
2010-10-10 13:38:36学問とは、そういう風に、本質的にコスモポリタンなものである。ここでいうコスモポリタンとは、「俺より強い奴に会いに行く(ストIIのリュウ)」みたいな、ある種の楽天さ、もっと率直に言えば「ほんまもんのバカ」であることを全肯定して、快調にその道を突っ走る気風のこと、と考えてほしい。
2010-10-10 13:40:29大学院とは、そういう「ほんまもんのバカ」が集って、「誰もやりたがらないことを代行することで辛うじて社会に貢献する組織」である。このことを理解した上で「うん、それいいね!」とバカ面で言えないと、年間200万円(助成がなければ基本パート労働でしか稼げない)で研究する意味なぞない。
2010-10-10 13:45:51あっはっは。難しい質問ですね。(師匠選び)RT @simoji: @tricken どうやって見つけるんですか?
2010-10-10 13:46:59コスモポリタンな価値観を持っている人間は、「こんなに面白いことが価値がないはずないじゃないか!」ってバカづらして言える(あるいは恥ずかしいことくらいは知ってるから黙ってるけど、本心ではマジでそう思ってる)ので、そういう人に「貧乏するのになぜ……」と言っても無駄です。
2010-10-10 13:48:39