【twitter小説】標本の館#2【ファンタジー】
モアとクレインの二人はスーツとドレス姿で館の前にいた。書類はもう出来ている。新婚夫婦という設定だ。スーツもドレスも安物でくたびれていたが、若い二人にとってはむしろよく似合っているだろう。両方とも生地は黒く上品だ。 33
2013-10-03 15:49:33「ちゃんとできるかなぁ」 「何もしなくていいのよ、アナタ」 たとえそういう設定でも、あなたと呼ばれるとクレインはどこか嬉しくてむずかゆいような心地になった。恥ずかしいので表には出さないが。 34
2013-10-03 15:56:00ドアベルを鳴らすと、屋敷の奥で鳥の鳴くようなキュキュキュという音が響いた。すぐパタパタと誰か来る足音がする。 「はいはい。募集を見てきたのですか?」 しわがれた老人の声が聞こえた。 35
2013-10-03 15:58:41ドアが少し開いた。ドアの隙間からじっと見ているのは温和そうで小柄な老人だ。背筋はしゃんとしていて、高貴な雰囲気だ。表情はすましていてじっとこちらを見ている。 「こんにちは。私たち新婚夫婦で、家を探してるのです。ちょうど募集があったので……」 36
2013-10-03 16:05:39老人はいつまでも黙っていた。その目は水晶のように透き通っていて、モアとクレインの目をゆっくりと交互に見た。 ……魔法だ…… クレインは少し緊張した。明らかに魔術的行為が行われている。 37
2013-10-03 16:08:55だがそれが何なのか分からなかった。クレインは神を信じていた。一般的に魔法は視線から侵入する。だから魔法使いは魔法戦闘に備え視線を隠す。それが最強の防護策だ。しかし神々の信徒は視線を隠さないものが多い。それはリスクと利益の天秤ではある。 38
2013-10-03 16:14:44神は視線を通じて恩恵を与えるのだ。神を視るために信徒たちはいくつもの眼を操る。神の力を手にするためにあえて無防備な目を晒している。視線は秘儀であった。だからこそ、クレインはそれを知っていた。この老人の視線は、魔術的行為であると。 39
2013-10-03 16:21:01クレインの視線は幾度となく魔術的な危険に晒され、その感覚を刻みつけてきた。だが、あまり危険ではないような気がする。この老人が何をしたいのかまでは分からない。ただ、彼が魔法使いだということは分かった。 40
2013-10-03 16:23:59それは一瞬にすぎない時間だっただろう。老人は目を見るのをやめ、笑顔を作った。 「それは良かった。君たちに……この館をやろう」 「えっ、本当にいいんですか!? 嬉しい!」 どうやらモアは全く気づいていないようだった。 41
2013-10-03 16:30:22”モア、彼は魔法使いだよ。ここはどこかおかしいよ” ”何言ってるの、タナボタよ。館が手に入るのよ” 小声で短く会話を交わす。しかしあまりそういう奇妙な行動は見せられない。 「はッは、何を話しておられるのですか」 42
2013-10-03 16:33:30「え、新婚夫婦には大きい声では言えないプライベートなことなんてたくさんありますわ」 モアは笑ってごまかした。老人はにこやかに笑って言う。 「さ、中にお入りください。少し……手続きがありますので」 43
2013-10-03 16:36:22モアとクレインは手続きのことを契約のための書類か何かと思った。警戒せずに館の中へ入っていく。館には大きな窓がいくつもあったが、全てレースのカーテンで遮られ中は薄暗い。一見は普通の豪華な館に見えた。 44
2013-10-04 15:11:04”生物標本の山なんてどこにもないじゃない” ”奥にあるのかも……” 老人に聞こえないよう短く囁きを交わす。館は大分長い間使われていないようだった。どこか埃っぽくかび臭い。玄関のホールを抜け、脇の小部屋に二人は導かれた。 45
2013-10-04 15:16:34小部屋の中は化学実験室のようになっていた。テーブルにたくさん並べられた硝子の実験器具の山、そして謎の液体の入った瓶。この老人の趣味だろうか? 趣味で錬金術を嗜む程度別に変わった趣味ではない。 46
2013-10-04 15:25:26硝子の栓とテープで封されたワインボトルを棚から取り出すと、老人はそれの中身を二つのビーカーに同じくらい注いだ。中に入っていたのは緑色のさらさらした液体で、甘い香りが漂う。目盛を見て正確に同量注いだようだ。 47
2013-10-04 15:29:30「さ、これを飲んでください」 「え、どういうことです? なんでそんな……」 「詳しくは後で話しましょう。とにかく、館を受け渡すための条件のひとつです」 見るからに怪しい。クレインはモアを見た。やはりここはどこかおかしい。 48
2013-10-04 15:34:53「いいよ、飲めば館をくれるんでしょ」 そう言ってモアはクレインの意見も聞かず、ビーカーの液体を飲み干した。そしてクレインに振り返って言う。 「大丈夫、毒じゃないよ」 49
2013-10-04 15:37:57クレインは奇妙に思った。モアはいつも大胆だったが、こんな怪しい液体を何のためらいもなく飲むような人間ではない。やはりさっき目を見られた時心を掌握されでもしたか……? 疑いの心がクレインの中に生まれる。 50
2013-10-04 15:43:20だが、そんな心中とは裏腹にクレインもまた自然とビーカーを手にとって液体を飲んでしまった。 ……しまった……完全に術中にはまった。こりゃ大変なことになった………… 自分の意思と行動が乖離していく感覚を感じる。 51
2013-10-04 15:46:21その後も奇妙な「条件」は続いた。身長や体重を計られたり、採血をされたり、声や会話を録音されたりした。モアは完全に疑いも無くそれらをこなしているようだった。魔法に対する耐性がクレインに比べずっと低いのだから無理もない。 52
2013-10-04 15:51:15いくつかの作業が終わった後、老人は休憩にしようと言ってくれた。老人も長い間魔法を使い続けて疲れたのだろう。それは願っても無いチャンスだった。クレインは老人の水晶のように透き通った目を見て言った。 54
2013-10-05 14:42:44「すみません、休憩はありがたいのですが、僕らこの屋敷をもっと見て回りたいのです。せっかくもらえるんだから、館の中は見ておかないと」 強力な魔法による暗示の攻撃だ。もはや老人も気づいているだろう、クレインもまた魔法使いであることを。 55
2013-10-05 14:48:05