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町山智浩「サマーウォーズ」映画評をめぐって

ニコニコ動画 町山智浩の「サマーウォーズ」評 http://www.nicovideo.jp/watch/sm8268746 よりぬき文字おこし http://d.hatena.ne.jp/benitomoro33/20090906/p1 続きを読む
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河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

例えばある文章について、それが何を意味するのか、どういう意図を持って書かれたのか、全ての場合に唯一の、確かな答えがあるということはあり得ません。 @TomoMachi

2010-10-13 01:03:24
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

必ず、書き手の思い自体が曖昧で、書き手自体が半ば無意識に、幾種類かの意味を込めた曖昧な文章を書いてしまうことがある。文脈や書き手の背景を詳細に追っていくことでいくつかの推論に辿り着くことはできるけれど、 @TomoMachi

2010-10-13 01:03:51
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

それはあくまで推論であり、大まかな腑分けでしかない。意識、無意識の様々な感情や欲望の衝突や混濁を、すべて見通し、(それが自分自身のものであってさえ)整理できると考えるのは、理性を過信する性急な傲慢だと思います。 @TomoMachi

2010-10-13 01:04:13
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

勿論、これは極論であって、それ以前のディティールの積み重ねが無意味だとは全く思わないし、そう言ってしまうのは(町山さんも批判されている通り)無恥な傲慢に過ぎない。けれど最後の最後は、すべての批評は印象批評であるという逆説に耐える、謙虚さが必要だと思います。 @TomoMachi

2010-10-13 01:04:34
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

現実というのは物質だけで出来ているわけじゃない。人の欲望の所在や正否まで、ディティールの分析で見通せると考えたがるのは、実は客観でも何でもなく、逆に個が肥大したエゴイスティックな迷妄だと思います。 @TomoMachi

2010-10-13 01:04:59
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

最終的な逆説を受け入れない場合、真実の証拠として提示されるディティールの量は脅迫や暴力になるし、結局自身の論の留保や揺れ幅の自由をも奪って硬直させてしまう。そうして罠に、町山さんの批評態度はしばしば嵌りがちではないかとの危惧を、自分は感じるわけです。@TomoMachi

2010-10-13 01:05:21
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

申し訳ないのですが、このことを町山さんのこれまでの仕事に当たって、具体的に論証する時間と余裕が、今自分にはありません。また、単にこれ以上町山さんのお仕事の正否に話を集中することも、自分の本意ではありません。 @TomoMachi

2010-10-13 01:05:38
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

ほぼ、前回のやり取りの繰り返しになってしまいましたが、おそらくここから先は現時点では平行線になりそうな気がします。取り敢えずここで区切りをつけて、後は読まれた方各々に議論を委ねたいと思うのですがいかがでしょうか。不充分と言うことであればお付き合いしますが。 @TomoMachi

2010-10-13 01:06:07
町山智浩 @TomoMachi

そうですね。ご自身が理想とする作品を作るほうが大事だと思います。@hitokirigoro

2010-10-13 02:09:36
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

一つだけ補足します。全てが印象批評だということを引き受けた上で、印象批評の魅力と説得力を戦わせること。そこにはまた別の厳しさがあると思います。そして、最終的に表現(文学)が引き受けるべきは、実はそちらだと僕は思っています。 @TomoMachi

2010-10-13 08:25:09
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

ただ、現実と言うのは無理にでも「割り切らなければ」回って行かないし、その厳しさに耐えることもまた重要だと思います。初めから「真実そのものには辿り着けない」とだけ言っていると、町山さんの指摘される蓮実エピゴーネンの批評のような、→ @TomoMachi

2010-10-13 08:25:39
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

→明らかにある送り手の意図を無駄に弄ぶだけの言葉遊び的退廃や、「人それぞれ」の底なし沼状態を生む @TomoMachi

2010-10-13 08:26:09
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

しかし一方現在、自分の好きな雑文の自由さと振り幅が、分かりやすく(社会科学的な統計や分析等に)エビデンスを求め過ぎる風潮によって、殺されかかっている状況がある。これに反発し、抵抗したい、あるいはそこから自由で居たいという気持ちが、今自分には強くあります。 @TomoMachi

2010-10-13 08:26:33
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

要は、「これが真実だ」という傲慢にも、「真実には辿り着けない」という前提に甘えることも共にまずい。概念に寄りかかって現実の振舞い方の(それは当然「書く姿勢」を含みます)バランスと緊張感を意識する事こそが重要なんだと思います。ありがとうございました。 @TomoMachi

2010-10-13 08:26:57
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

丁寧な返信ありがとうございます。上田市の歴史のお話、面白いですね。自分の育った岡山の田舎は、子供の頃は閉鎖的な田舎そのもので、今やそれが偏狭ささえ失って孤独に限界集落化しつつあるんですが、祖母の思い出話を聞いていると、→ @cargo2009

2010-10-13 11:43:27
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

→昔は近所に映画館があって賑わっていたり、教師だった祖父は毎晩縁側で近所の人と碁を打ったり、俳句の会を楽しんでいたりしていて、時代は前に進んでるはずなのに、昔の方が開けた印象なのは何故なんだ?と、→ @cargo2009

2010-10-13 11:43:48
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

→(まだ世の中に進歩のイメージの一体感があった頃だったので)不思議に思ったことを思い出しました。家族にしろ地域共同体にしろ、元々は労働と生活の単位だから、核が無くなるとバラバラに形骸化して葛藤も起こる。映画の話から少しずれちゃいましたが(笑) @cargo2009

2010-10-13 11:44:11
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

依存とか迎合とかいったことには勿論負の側面もあり、淀みや呪縛を生むこともあるけれど、例えばそれがある程度頓珍漢であっても「あなたならできる」と無償の信頼を受け、それに応えたいと思うこと(時には負い目を感じることも)は、一概に否定されるべきことじゃないと思う @cargo2009

2010-10-13 11:44:55
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

特に、家族や地域の解体した今は、世代を超えて日常的に深く接する機会が無いので、お互いが持つ骨がらみの思いのようなものに触れ、それに肌で愛情を感じる機会が少ない。あるいは、それが不合理や間違いだとしても、→ @cargo2009

2010-10-13 11:45:18
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

→そこに血の通った斟酌があるかどうかで受け取り方は大きく変わる。サマーウォーズは、ある意味負の匂いと抵抗感を消すために、優等生的に要素を押さえ過ぎて逆に窮屈なところはあるけど、ともかく世代の雑多さへの懐かしさみたいなものは喚起されますね。 @cargo2009

2010-10-13 11:45:42
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

また映画から離れちゃうけど、学校や地域の児童センターを、老人の施設と併設するなどして、日常的な交流を深めることは、今、凄く重要な気がします。一方、この映画を極端に嫌悪する声には、自身の狭い世代意識への固執が散見されるのも、象徴的だと思います。 @cargo2009

2010-10-13 11:46:05
町山智浩 @TomoMachi

著書を読んだうえで批判しているのかと思っていたのですが…。お忙しいところ恐縮ですがまず私の実際の作品を読んでいただけますと幸いです。 RT @hitokirigoro 町山さんのこれまでの仕事に当たって、具体的に論証する時間と余裕が、今自分にはありません。 @TomoMachi

2010-10-14 00:35:31
河田拓也(三文文士) @hitokirigoro

町山さんの著作すべてを読んだわけではありませんが『映画の見方がわかる本』2冊ほか、別冊宝島や映画宝島以来のお仕事の多くを愛読してきました。今回は個々の事例を挙げながらの具体的な指摘をする余裕が無く、急いだ話になってしまったことに対するお詫びでした。@TomoMachi

2010-10-14 01:06:40
町山智浩 @TomoMachi

印象だけではソムリエになれません。もしあなたが創作や随想ではなく、評「論」を職業とするなら、細部の分析、作者の発言、社会的背景の調査、前提となる映画や文学、宗教の知識などの調査取材研究は「論文」の必要最低条件です。「そういった事実に縛られて(続き)@hitokirigoro

2010-10-14 01:12:52
町山智浩 @TomoMachi

続き)「事実に縛られると自由に書けない」とおっしゃますが、調査取材知識分析で集める事実はそれを踏み台にして自分の考えをより高く飛び立たせるためにあるべきだと思います。研究とか論文とはみんなそういうものです。(続く)@hitokirigoro

2010-10-14 01:16:19
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