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アイヌ神謡集第八話。アイヌ口承文学ではシャチは偉いカムイであり、時にはアイヌラックルの恋敵となったりする。だがクジラはたんなる獲物であり、どうやらカムイ扱いされない。
2010-10-15 02:25:53![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ口承文学においてジャンル分類が主となっているもう一つの理由は、言語学者が研究をしてきたから。そういう意味では、浅井亨が行った大胆な再話の試みはもっと評価されていい。
2010-10-15 06:30:50![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ人作家を論じるときに、その作家のアイヌ語使用について取り上げるのが流行っぽい。でも大抵はピンとこない。論じる側にアイヌ語の知識がないせいだ。でもアイヌ語の解釈違いを指摘するとみんな気を悪くする。その辺が言語学と文学の違いなんだよな。
2010-10-15 16:58:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。カエルが家に入り、男に向かって鳴く。「もっと近くで聞きたい」と言われて近づくと薪で殴り殺される。男の正体はオキキリムイ。「人間にいたずらするな」が教訓。
2010-10-15 20:55:49![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。口承文学中でカエルにマイナスイメージがあるのはアイヌ民族に限らず、ニブフ民族・ナーナイ民族なども同様。だから「なぜ?」の答はアイヌ民族の伝統的世界観にはないかもしれない。
2010-10-15 23:27:15![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。「カエルは民族を超えて口承文学中で嫌われる」というのも答えのひとつだけれど、それだけでは物足りない。アイヌ民族の伝統的世界観の中で整合性を有しているか、つまりどう説明しうるのか、考えてみることにする。
2010-10-15 23:43:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。動物が人間に向かって鳴くのは、人間が人間に向かって声をかけるのと同じことである。それはコミュニケーションなのかもしれないが、ひょっとして呪いでもかけているのかもしれない。だから、声をかけられただけでも警戒すべきではある。で、カエルは要注意の動物なのだろう。
2010-10-15 23:51:33![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。カエルはアイヌ語で「テレケピ」とか「テレケイペ」とか呼ぶ。末尾の~ピ、~イペの意味はよく分からない。カエルは食用にしないからイペ「食事」と呼ぶのは奇妙。前半部は分かりやすい。テレケ「跳ねる」はカエルが跳ねるからだ。
2010-10-15 23:54:37![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。ここからはかなり怪しい推測だが、この「跳ねる」のがまずいのではないだろうか。跳ねる動物といえばウサギだけれど、呪いをかける動物とされる。第一話でフクロウの魂はやはり跳ねながら巫術で人間の家を建てかえ、宝物を降らせる。「跳ねる」のは巫術と結びつくように思える。
2010-10-15 23:58:42![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第九話。跳ねる(巫術を思わせる)動物が、いつもとちがいこちらに寄って来て鳴きかけてくる。これは呪いをかけようとしているのかもしれない。けしからん!ということになる。話中でカエルも自分でイララ「いたずら、悪さ」だと言っている。
2010-10-16 00:13:13![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。第九話はオキキリムイの話だが、前半部の第五話で強大な魔物を倒したのに比べると、カエルを潰すという何ともスケールの小さい化物退治譚だった。そして第十話、第十一話ではポン・オキキリムイ「小さい・オキキリムイ」が主人公。知里幸恵によればオキキリムイの子どもである。
2010-10-16 01:36:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。非常に短い話。神謡(カムイユカラ)は大抵はもっと長い。アイヌ語の勉強を始めたばかりの人が「長い」と感じる程度には長い。入門者にはことわざや謎々のほうが楽。だがこの話はアイヌ語ですぐに読めてしまうだろう。
2010-10-16 08:56:46![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。第十話と第十一話はいわゆる「類話」。ただ、サケヘが異なり、悪役が「おっさん/子ども」と違いがあるので、別の話として記憶されてきたものだろう。つまり類話ではあるがバリアント(同話の別資料)ではない。
2010-10-16 09:26:39![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。この話をアップテンポで歌おうとすると、サケヘ後半「クトゥンクトゥン」がうまくのらない。やはりスローテンポだったのだろうと思う。私がやると7分くらいかかる。
2010-10-16 09:38:33![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。小さなオキキリムイが、アイヌ神謡集第十話。毒杭で鮭の遡上を妨害する化物を発見。化物はあまつさえ「手伝え」と言う。彼は化物を退治し杭を引き抜く。
2010-10-17 15:00:17![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。知里幸恵の地元登別では今も鮭の初漁儀礼が行われている。二話続く鮭の話は「アイヌ民族的」と いう以上に地域色が感じられる。
2010-10-17 15:08:25![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。小さな話だが壮大な宇宙観が語られる。化物が打った杭は六層目の地界(死後の世界、あるいは地獄を指す)の先まで達している。さすがのオキキリムイも杭を抜くのに全身の力を込める。
2010-10-17 15:16:02![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。層状世界はカムイノミ(神への祈り)から昔話まで頻出の世界観。6層ともいう。特に層状の天は名称(リクンカント「上天」など)が言及されることが多い。
2010-10-17 15:24:57![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。地に住むカムイはそもそも天界から大地創造により下った。地のカムイも天界に故郷を持つものが多い。クマや狐は山の遥か奥地に家(帰る先)を持つが、狼や鳥は天にそれぞれの家を持つ。
2010-10-17 15:31:30![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。オキキリムイは天界の出身だが、地上に下り人間の村の指導者として暮らした。そのいきさつに関する道南地方の伝承は萱野茂の紹介で有名になった。
2010-10-17 15:36:40![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。同じような存在としてアイヌラックル「人間・臭い・方」という半神半人の伝承がある。オキキリムイとしばしば同一視されるが、本来は別。伝承も別の系列。もちろん混交した伝承もあるが。
2010-10-17 15:42:09![](https://s.togetter.com/static/web/img/placeholder.gif)
アイヌ神謡集第十話。「アイヌ神話」は統一されたものではなく、複数の伝承群の束にすぎない。しかし一方で、ある程度の体系もある。神話とは本来そういうものだ。
2010-10-17 15:48:33