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蓑輪顕量「中世南都の僧侶に与えた禅宗の影響」
東アジア仏教研究会 第12回年次大会なう。司会は青山学院大学の陳継東先生。最初の発表は蓑輪顕量先生の「中世南都の僧侶に与えた禅宗の影響」 #東ア仏研
2013-12-07 13:10:41#東ア仏研 蓑輪「中世初頭に大陸から禅宗が伝えられると、禅宗を学ぼうとした僧侶がいた。法相宗の良遍はその中の一人。東大寺の復興に尽力した円照も、円爾弁円に学んだという記録がある。」
2013-12-07 13:12:42#東ア仏研 蓑輪「法相と禅と異同を明らかにしようとした良遍『真心要決』については、先行研究が少ない。これについて検討したい。」速疾成仏・本来成仏を良遍がどのように見ていたかを『真心要決』を引用しながら分析。
2013-12-07 13:18:17#東ア仏研 蓑輪「良遍は心に認識の作用が本来的に備わっていることからすれば「本来成仏」と言える、という。これは禅宗で述べるところの「作用即性」と同じ。禅宗はこれを「速疾成仏」に結びつける。良遍はこれをどう解釈したか。」
2013-12-07 13:21:17#東ア仏研 蓑輪「良遍は、理としての成仏は速疾、事の成仏は漸次である、と述べる。これは『宗鏡録』において衆生の機根として現実に設定する「頓悟漸修」の立場と同じ。また良遍は、『成唯識論述記』に見える「廃詮の観」を引くが、これは不立文字に相当するのではないか。」
2013-12-07 13:26:13#東ア仏研 蓑輪「禅宗における本有仏心を、良遍は理仏性とみて、五姓各別の立場を守る。三性門からみれば五姓各別、三無性門からみれば一切皆成。ただしこの一切皆成は一乗家のそれとは異なる。」
2013-12-07 13:28:58#東ア仏研 蓑輪「東大寺円照について。東大寺の戒壇院を作った鑑真は天台宗なので、戒壇院で実習される修行は天台の止観がふさわしい、という興味深い記述が『円照上人行状』にはみえる。また、真言は長男、禅法は三男、次男に及ばない、というような記述も。」
2013-12-07 13:31:58#東ア仏研 蓑輪「円照が円爾と交渉があったことはいくつかの資料から知られる。建長三年に円爾の門室に入ったことはほぼ間違いない。円照経由で凝然にも影響したか。」
2013-12-07 13:34:46#東ア仏研 蓑輪「今回は、代表作とされる『華厳法界義鏡』を踏襲したと考えられる、凝然75歳の著作『華厳宗要義』を中心に、凝然の禅理解を探りたい。延寿が推奨した頓悟漸修を、凝然も最も適切なものとしたと考えて良いだろう。」
2013-12-07 13:40:16#東ア仏研 蓑輪「凝然は頓悟がまず最初に来るものであるとし、どのあり方でも是認する方向性を打ち出している。 人間の心を清浄なるものとして捉え、妄心を強調しないところは、禅宗の項目を設けて解説している『内典塵露章』などの他の著作にも確認できる。」
2013-12-07 13:46:13師先生による東アジア仏教研究会のツイートが流れてくる。ありがたやありがたや。そして自分のツイートと交錯して大変カオスなTLになっているw
2013-12-07 13:49:38#東ア仏研 コメンテータ岡本一平さんのコメント。岡本「蓑輪先生の戒律復興の研究は、中世南都の前半を明らかにしたものと言えるのではないか。それに対して、今回の禅宗との関係は、中世後半を明らかにしようというものではないかと推察する。」
2013-12-07 13:51:13#東ア仏研 岡本「質問3点。一番目は『真心要決』の読み方に対する疑問。乳と水の如しという喩えは、文脈的には会通の喩えだと思うが、乳と水では会通にならないんじゃないか。」
2013-12-07 13:54:19#東ア仏研 岡本「二番目は円照の発表について。円照らが禅を学んだというが、東大寺戒壇院ではできなかったのではないか。円爾らのところで修行をしており、南都ではやりきれなかったのではないか。」
2013-12-07 13:56:21#東ア仏研 岡本「三番目の凝然についての質問。蓑輪先生の引用していないところで、延寿と異なるようなことを言っているように思う。蓑輪先生は凝然が妄心を重視しなくなったというが、昔の凝然から変わった、と言う意味か、延寿とくらべて、と言う意味が」
2013-12-07 13:58:48#東ア仏研 蓑輪「一番目は会通の意味だろう。二番目は南都でもやっていたと思われる。興福寺での実践、具体的な行法の資料がある。東大寺戒壇院の資料の例は見つけていないが。三番目について、凝然が妄心を言わなくなっていくのは、今後検討してきたいが、華厳宗の傾向ではないか。」
2013-12-07 14:00:44#東ア仏研 岡本「延寿の用語は地論宗のものと思われ、その影響が見られる。妄識の修行を一定程度認めている。凝然はそれが見られない。」蓑輪「凝然の晩年の文献で、妄念とか妄心とかがなくなっていくように思う。」
2013-12-07 14:02:54#東ア仏研 岡本「蓑輪先生の発表に関して新しい発見があったので、発表させて下さい。」『法界義鏡』の真筆本があり、別の奥書がある、という情報。会場からの質問。前川健一さん質問3つ。①真心要決の読み方について。
2013-12-07 14:05:06#東ア仏研 前川「②円照上人行状の読み方について。禅宗は目鼻がない、というのは心しかない、ということではないか。③宗密『都序』の読み方について。」蓑輪「①は前川さんの言うとおり。②は自分の読みでいいと思う。③は再検討したい。」
2013-12-07 14:08:25#東ア仏研 東洋大の伊吹敦先生「根本的な問題で聞きたいのだが、良遍は法相の中に禅を位置づけようとしたのだと思うが、全面否定、対決しなかったのはなぜか。そういうのがはばかられるような状況があったのか。」蓑輪「中世には三学の復興がなされていったと思う。」
2013-12-07 14:11:26#東ア仏研 蓑輪「院政期から禅の修行者が増えてきて、学侶にも影響をあたえるようになってきた。良遍の著作には行の体験を踏まえていると思われるものがあるように思う。太田久紀先生もそう言っている。中世は学侶がそのような取り組みを始めていった、というのが特徴と言えるのではないか。」
2013-12-07 14:12:47@moroshigeki 南都における禅の実践の広がりを歴史的にもっとおさえる必要があるが、興味深い指摘。
2013-12-07 14:22:43石井公成「『日本書紀』の仏教関連記述から見た聖徳太子 欽明紀から皇極紀までの変格漢文と仏教漢文の語法を手がかりにして」
#東ア仏研 石井公成先生の「『日本書紀』の仏教関連記述から見た聖徳太子 欽明紀から皇極紀までの変格漢文と仏教漢文の語法を手がかりにして」 大山誠一氏らの聖徳太子非実在説などに対する批判。
2013-12-07 14:15:47