- moroshigeki
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#東ア仏研 石井「厩戸王という名前が教科書に載るようになり、聖徳太子は( )に入れるようになったが、厩戸王は学者による仮の名前であり資料に一度も出てこないものである。嘆かわしい。」
2013-12-07 14:17:25#東ア仏研 石井「名著・森博達『日本書紀の謎を解く』に感銘を受け、以前からやっていたコンピュータによる文献分析を使いながら、変格漢文の各国の研究者とともに研究プロジェクトを進めている。再来週に国際シンポをやる。」
2013-12-07 14:20:19#東ア仏研 石井「厩戸王の用例は文献にない。聖徳太子も『日本書紀』にはないが、「東宮聖徳」とか「〜太子」というのはある。80年前の我が国においても、天皇を現人神と神格化していた。聖徳太子の時代であってもそのようなことはあり得る。」
2013-12-07 14:22:57#東ア仏研 石井「日本書紀の仏教伝来記事は下手な漢文。留学して中国語に堪能な道慈が書いたとは思えない。しかも漢文の下手な人が複数いるので、それを分析しないといけない。」
2013-12-07 14:26:47#東ア仏研 石井「日本書紀における聖徳太子の呼び方は非常に多様である。普通に考えたら、複数の文献を寄せ集めた可能性。『法華経』提婆達多品の影響をはじめ、日本書紀には仏教経典の影響が多く見られるのでそれを洗い出す必要がある。森博達先生の先の本は名著だが、仏教漢文が抜けていた。」
2013-12-07 14:31:31#東ア仏研 石井「推古2〜28年は皇太子に統一されている。統一しようと思えば統一できるのに、全体としてはしていない。」
2013-12-07 14:35:43#東ア仏研 石井「日本書紀は文章として読まれておらず、単語を拾って研究しているというのが現状。先行研究があるから今、読めるわけではあるが。仏教漢文との比較がこれまでなかったのは仏教学者の怠慢ではないか。」
2013-12-07 14:57:09#東ア仏研 前川健一氏のコメント。聖徳太子と日本書紀をめぐる研究状況のサマリー。森氏は大山氏を批判しているが、大山氏はそれに答えていないので論争になっていない。そこに割って入ったのが石井氏。石井氏のブログ http://t.co/s6s4VMoMHy の紹介。
2013-12-07 15:00:44#東ア仏研 前川「聖徳太子の事跡とされるものに粉飾が多いことは先行研究がある。石井氏の研究は、大山氏の言う道慈撰述説は否定しているが、捏造の問題までは踏み込めていないのではないか。」
2013-12-07 15:03:13#東ア仏研 前川「聖徳太子が当時から神格化されていたであろうことは、一般論としては言えるだろうが、なぜ聖徳太子が神格化されるのか、と言う問題については残されているのではないか。また『古事記』との関係も気になる。」
2013-12-07 15:04:51#東ア仏研 石井「道慈でないことは確実だろうが、それ以外のことについてはこれから別の論証が必要だろう。日本書紀に先行する資料があったことは間違いないと思うが、遡るためには資料的な問題がある。」
2013-12-07 15:06:56#東ア仏研 岡本「資料の問題について教えて下さい。古事記の段階で神格がはじまっているとのことだが、日本書紀より古事記のほうが古いというのは定説か」石井「そうだろう」
2013-12-07 15:09:20#東ア仏研 伊吹「慧思七代記は日本撰述と思うが、語法の点ではどうか」石井「元になる資料は中国だろうが、現在の形になったのは日本ではないか」
2013-12-07 15:10:41#東ア仏研 法華義疏の撰者と、大工の信仰との関係について。石井「法華義疏は聖徳太子と言っていいだろうが、今残っている写本は別の人の手であろう。大工の信仰は後の時代なので、中国の民間信仰との関係はないのではないか。」
2013-12-07 15:12:48#東ア仏研 (先ほど、後半の司会をするように言われましたので、後半の実況はできません (^_^;;)
2013-12-07 15:17:36船山徹「『梵網経』下巻の最初期の形態をめぐって」
#東ア仏研 後半の2発表について簡単に。船山徹先生「『梵網経』下巻の最初期の形態をめぐって」。写本等の調査を元に『梵網経』下巻が2系統に分類でき、法蔵あたりを境にこの2系統の交代?が起こったであろうこと、中国の仏教制度を反映した記述が実は古い系統にはなかったことなどを論証。
2013-12-07 20:08:47#東ア仏研 伊吹先生のコメントは、船山先生の発表にほぼ全面的に賛同しつつ、以下の4つのコメント。①系統ががらっと変わった背景がわかるような資料はあるか(船山「まだ見つけてない」)②今回の発表では第15・47軽戒のみ検討しているが、他の部分は検討したか(船山「した。同じ結論」)。
2013-12-07 20:13:53#東ア仏研 伊吹先生のコメント③第47軽戒は写本間の異同がたくさんできれいに分類できないようだが?(船山「ここについては現時点ではお手上げ状態」)④船山先生の研究で望月信亨以来の通説が崩れたわけだが、ではどのような背景でこの経典はできたのか?
2013-12-07 20:17:18#東ア仏研 船山「確かに望月説は一部成り立たなくなったが、当時の仏教界を背景に持っていることは変わらない」伊吹「初期禅宗が梵網経を重視したのはその非僧非俗的な内容からではないかと思うがどうか」船山「禅宗についてはよくわからないが、梵網経が出家在家の区別をなくそうとしたのは確か」
2013-12-07 20:20:08