《或るものをみて、そこに「何かがない」ということが分かる》というのは、エスノメソドロジーにとってだって、ずっと付き合ってきた、みんながいろんなやり方で取り上げてきた 本質的な事態なのです。
2013-12-21 01:41:28@n_akiya @contractio 酒井さんにはぜひ引率を…ww いや単身でももぐりこみます!w よろしくお願いいたします!!
2013-12-21 02:17:47@junko_fujita 「洩れ」について、発話をあつかうHCD調査手法は、「人間は意志を伝えたい生き物である」という暗黙の前提が往々にしてあります。発話者は、最初の発話で「洩れ」を感じたとき、次の発話で補おうとする。この繰り返しを集めると、全体像がおおまかに見える、という。
2013-12-21 09:34:35@junko_fujita あーでも、ここまでポストして思いましたが、HCDでは「調査の範囲で、言えそうなことはここまでだよ」と偏りの可能性を認めた上で対象をまず定義してしまいますが、フジタさんの疑問はその偏りを許してしまうことへの違和感もあるのですよね・・・?
2013-12-21 09:42:11@storywriter @junko_fujita その暗黙の前提ってすごく危険だし、本当にそれがHCD調査手法の前提ならHCD関連が逃げ出したいレベルなのですが、次の発話で補おうとする/補える「洩れ」が羽山さん自身が考える「洩れ」なんですよね。
2013-12-21 09:42:20@storywriter @junko_fujita 自分も咀嚼できてない部分ですが、思考と他者との関係性、その手段/結果としての発話における「洩れ」だと読んだので、あくまでHCD調査における洩れや限界を議論の対象とされているのであれば、既にズレているように思います。
2013-12-21 09:49:57@chachaki @junko_fujita うーん、まず補足すると、発話を繰り返しても、その発話ごとに「洩れ」はおこります。調査としては、その発話のひとつひとつをつぶさに追うことで、背景にある伝えたいものの輪郭が、おぼろげに見えることを期待しています。
2013-12-21 09:51:02@storywriter @junko_fujita で、私がリプライした理由としては、HCDに片足突っ込んだ身として「人間は意志を伝えたい生き物である」という前提があるなら、私は全否定したいのです。そのように意志を伝えられる/伝えようと思う人は一握りで(続
2013-12-21 09:52:54