儀狄 @giteki 先生の中国貨幣史講義~『中国嫁日記』の「小銭問題」の原因は歴史にあり
たまたま目にした『中国嫁日記』のネタで、「中国の南方の人は硬貨を嫌い、北方の人は紙幣を嫌う」というのがありました。これはきっと、歴史的背景があるに違いない!と思い、中国貨幣史を専門とされる儀狄 @giteki 先生に振ってみたところ、丁寧に解説していただけました。せっかくの講義なので、まとめてみた次第です。
儀狄@パブリックエネミー
@giteki
@HoryuM 流石に7倍とまではいかなくなりましたが、明でも万暦通宝を発行するときに「鋳造する方が高い。銅銭5枚を鋳造するのに7枚分の費用がかかる」と言われていた程度には銅原料が不足していました
2013-12-07 01:52:46エピローグ的な何か
墨東公安委員会
@bokukoui
@giteki 席を外してて済みません。解説ありがとうございました。差し支えなければ、あとでまとめようかと思いますが、宜しいでしょうか?
2013-12-08 20:47:57
儀狄@パブリックエネミー
@giteki
@bokukoui 墨東さん、日清戦争頃の日本における「日雇い労働者一日の日当」って大体いくらだったか知っていたら教えてください
2013-12-08 20:56:02
墨東公安委員会
@bokukoui
@giteki ありがとうございます。ちかいうちにまとめておきます。日清戦争頃の史料は直ちには出てきませんが、まあ3、40銭程度かなあと思います。1円とれるようになったのはずっとあとだったはず。ちょっと探してみます。
2013-12-08 21:03:57
墨東公安委員会
@bokukoui
.@giteki 横山源之助『日本の下層社会』によると、明治30年ごろで道路人足36銭、工場人足34銭内外、石工手伝人足50銭、左官手伝45銭、大工手伝33銭、車力平均50銭、屑拾い15銭内外、芸人は20銭以下といったところです。 #ところで艦これ厨は滅ぼされねばならない
2013-12-08 22:11:57
儀狄@パブリックエネミー
@giteki
@bokukoui ありがとうございます。御礼としてこちらも知識を提供しますと、明末16世紀に王朝が治水のために募集した労働者の日当が20~30文で家族での消費も同程度、片田舎の農民が年末に薪や干し草を売る代金が50~70文で、それで正月用の酒、野菜、塩などが買えたそうです
2013-12-08 22:32:05
儀狄@パブリックエネミー
@giteki
@bokukoui 生徒「お金の歴史ってなんでこんなことになったんですか?」 僕「理屈は僕にも分かりませんが、とりあえずこうなりました」
2013-12-08 23:03:16- 解説ありがとうございました。まったく、お金の歴史とは、即物的なようでいて実は「信用」という形而上的なことがらをめぐる、まことにややこしいものです。それだけに研究のしがいもあるのですね。