科学が寄り添える正しさとその正しさを信じることを、他の分野と比較して考えると
0-1 科学が寄り添える「正しさ」
哲学的な話を考えるのは好きだけど、それを現実に当てはめて落とし所を探す作業はあんまり好きじゃないというか萌えない。正しくないという自覚のもと行うことほど寝覚めの悪いものはない。
2013-12-30 12:47:57その点、工学や理学はいい。突き詰めれば「正しさ」を共有できるから。理学での正しさは「公理から始まる論理」だし、工学の正しさは「より安く、より確実に」であるのだ。
2013-12-30 12:51:12だから私は、寄り添える「正しさ」を持たない職業に付いている人は本当にすごいと思う。その極めつけは法学だろう。法学徒はすごい。世の中で最も難易度の高い学問の一つは法学だ。
2013-12-30 12:54:21考えると、世の中に宗教がはびこるのは当然なのだ。みんな寄り添える「正しさ」が欲しいだけなんだ。私の場合はたまたまそれが科学だったわけだけれど、科学に触れてこなかった人間ならもれなく何かの宗教を信じずにはいられないのだ。
2013-12-30 12:56:370-2 「科学を信じる」ということ
「科学を信じる」にも二段階あるでしょうね……一つ目は「科学的に示されたとされる事象を信じる」二つ目は「科学的な思考プロセスを信じる」。本当の科学者、科学愛好者は後者であり、前者はただの狂信者でしかない。
2013-12-30 13:05:201 「音楽を信じる」ということ
@otherasea 音そのものを信じる、ですか。相当レベル高いことのように聞こえます……聴覚から得た情報とそこから導かれた感情を重視するってことですよね?うーん……(きっとそんな厳密なもんじゃあない)
2013-12-30 13:16:41@syura1357 それに近いものはあるね。TPOにもよるけど、ある種の音が自分の感情にどのように働きかけて、その結果どうなるのか。そういう科学的な手続きも含んでいるけど、究極的にいけば音楽さえあれば大丈夫。まあ単純なことで大したことじゃないよ。
2013-12-30 13:21:13@otherasea その話でぱっと思い浮かぶのは、古代ギリシャのデュオニソス教団から始まるハルモニアの宗教文化でしょうか。「音が奏でるハーモニーは霊的な向上を促す」というものですが、だとするとやはり音というものがある種の正しさとして扱われることには無理は無いのかもしれませんね。
2013-12-30 13:23:392 宗教における正しさと、科学における正しさとの関係
「科学を信じる」にも二段階あるでしょうね……一つ目は「科学的に示されたとされる事象を信じる」二つ目は「科学的な思考プロセスを信じる」。本当の科学者、科学愛好者は後者であり、前者はただの狂信者でしかない。
2013-12-30 13:05:20@syura1357 後者を愛好しますが、あえて科学的でない思考プロセスも採ります。自然を説明するには科学が一番手っ取り早くて正確だろうけど、宗教もまた自然を説明している(敬愛・畏怖してもいる)し、自身もまた自然の中に存在している。僕にとっての正しさとは「納得できる」ことです。
2013-12-30 13:08:10@kousakiscorpion まあ、そんなところですよね。結局正しさというのは個人の中にしかなく、普遍的な正しさというものはない。一人で生きていくのならそれでもいいけれども、他者と関わりを持つ以上、自身の正しさを周囲に認めてもらわないといけない場面がある。ここで苦悩が生まれる
2013-12-30 13:14:19@syura1357 そういう場合は「他人を納得させる自分を理解する理屈」か「他人に合わせることを納得する理屈」辺りを探します。落とし所というやつですね。医薬系は人間社会との繋がり(と影響力)が特に深いのでどこかで納得(ときに妥協)せねばならないと思っています。
2013-12-30 13:18:01@kousakiscorpion それは「妥協」というフィルターによって「正しくないもの(納得しづらいもの)」を「正しいもの」に変換している、ということですよね?本当に自分の寄り添える価値観が絡む場合は、そこに妥協が差し込めないと思うのです。折り合いがつかなくなり軋轢が生まれる。
2013-12-30 13:31:17@syura1357 妥協というか選択ですかね。目的は「多くの人を救う」ことでも、薬学だけで多くの選択があります。多くの人を対象にすると珍しい病気の人などは疎かになりがち、とか。実務レベルだともっと沢山あると思います。目的は同じでも方法や対象が違う場合、どれを選ぶかということです
2013-12-30 13:39:37