前近代における天文や占術の重要性
そういう「天意」をあの頃の人は自然に重視していたわけですよ RT @gokutubusi354: @sweets_street @Jiraygyo @Golden_hamster 家庭裁判所みたいなのを想定してました。法律外の案件ならもっと別なものですね(汗)失礼しました
2014-01-25 19:46:12@gokutubusi354 @Jiraygyo @Golden_hamster 当時は「天」という超越者が存在すると信じられていました。だから、判断に困ることがあった時は占いをしたり、天文を見たりして、「天はどう考えているのだろうか」とお伺いを立てたんですよ
2014-01-25 19:49:35@sweets_street @gokutubusi354 @Golden_hamster 演義よりもむしろ正史の方がそういう天意や占いや予言などの結果で人が動いているよー。なのでそういうものを「科学的に」説明しようとすると実はかえって不自然になってしまうのね。
2014-01-25 19:52:35@Jiraygyo @gokutubusi354 @Golden_hamster 当時の天文や占術は今で言えば理系学問みたいなものなんですよ。正確な結果を出すには緻密な計算が必要だから。科学技術と天文や占術の関係は密接でした。後漢最高の科学者張衡も太史令を務めた天文の専門家でした
2014-01-25 19:55:34@Golden_hamster @Jiraygyo @gokutubusi354 易には過去の人の経験則が詰まっていますからね
2014-01-25 20:06:29@sweets_street @Jiraygyo @Golden_hamster なるほど。そう考えると予言とかが自然に受け入れられて史書にも記録された時代背景が良く分かりました。有難う御座いますm(_ _)m
2014-01-25 19:58:02@sweets_street @gokutubusi354 @Golden_hamster 当時の数学なんかも天文観測が元に発達していて魏の劉徽などはアルキメデスよりも正確な円周率の計算などを行い、日光の観測などをして正確な天文観測や測量ができるようにしたりしてました。
2014-01-25 20:01:25@Jiraygyo @gokutubusi354 @Golden_hamster 天文観測は暦の作成にも関わります。暦が不正確だと農業のスケジュールが狂ってしまうので、天体の動きを正確に計算して正確な暦を作れるか否かは社会全体の死活問題だったんです
2014-01-25 20:09:45@sweets_street @Jiraygyo @Golden_hamster 閏月がある宣明暦なだと判断が大変そうですね。
2014-01-25 20:16:51@gokutubusi354 @Jiraygyo @Golden_hamster 日本でも律令制の陰陽寮、江戸幕府の天文方などの暦作成機関がありました。農業社会においては、暦の作成(とそれに必要な天文の計算)は国家が専門機関を置かなければならないほど重要な仕事だったんです
2014-01-25 20:22:34@sweets_street @Jiraygyo @Golden_hamster 戦国時代にカレンダー作る家が跡継ぎがいなくて絶えてた時があったって聞いた事がありましたが、あれ実はかなりの重大事だったんですね。
2014-01-25 20:30:31@gokutubusi354 @Jiraygyo @Golden_hamster 暦作成は統治の根幹ですからね。その専門家はものすごく貴重ですよ
2014-01-25 20:32:19@gokutubusi354 @Jiraygyo @Golden_hamster 当時の天文や占術は自然の動きから天の意思を読む技術だったんです。自然現象が政治経済に及ぼす影響を考えると、天文や占いによって天意を測るのは当時の科学技術の水準ではそれなりに合理的ではあるんですよ
2014-01-25 20:04:09@sweets_street @gokutubusi354 @Golden_hamster あとは五行説の相生と相克に当てはめて他人を納得させることができるので、人心の掌握に便利というのもありますわね。「納得のできる理屈」「腑に落ちる解釈」というものは人を動かすのに大変便利です。
2014-01-25 20:06:17@Jiraygyo @sweets_street @Golden_hamster 漢王朝は火徳だったから次は土徳の王朝というやつですね。
2014-01-25 20:10:56@gokutubusi354 @sweets_street @Golden_hamster なので袁家などは土徳である証拠を預言書から探していたって記述あったと思います
2014-01-25 20:12:58@Jiraygyo @gokutubusi354 @Golden_hamster 五行説は西洋の四大元素説と同様に当時においては科学のようなものでした。五行説を根拠に人を説くのは、現代人が科学的な根拠で人を説得することに近いと思いますよ
2014-01-25 20:16:53@sweets_street @Jiraygyo @gokutubusi354 @Golden_hamster 加えて、中国の暦(太陰太陽暦)は冊封体制に入っている国にとっては、朝貢するタイミングを正確に知るのに必要だったとのこと。
2014-01-25 20:22:30@tigercaffe @Jiraygyo @gokutubusi354 @Golden_hamster 冊封を受けたら中国の暦を使わないといけないんですよ。暦を作るのは支配者のみに認められた仕事だから。実際は表向き中国の暦を使って、国内では独自の暦を使うことも珍しくないですが
2014-01-25 20:27:50@sweets_street 東洋史の講義でそういう風に確かに言ってました。自分の習慣を捨てるわけにもいかないので、両方併記して使う国が多かった記憶です(もう10年以上前の講義なので、うろ覚えですが)。
2014-01-25 20:32:37@tigercaffe 暦の作成は支配者の資格を示す行為なので、やめてしまうと国内での威信に関わるという問題もあったでしょう
2014-01-25 20:34:31