- Eric_Ridel
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@muto_lfa
Open movement や Open Course Ware については高校2年生の時だったか、強く関心をもつことになりそれ以来それなりに情報を追っていたつもりなのですが実際に高等教育に触れるなかで感じたのは情報へのアクセスを開こうとその利用法の習得なしでは無意味ということ。
2010-10-24 08:17:37
@muto_lfa
ではそうした利用法の習得は容易か、といえば容易ではない。児童生徒を対象とした教育においても、学習主体として自己形成することの困難を重くみるか、潜在的にある「学習能力」がそなわっている、として「子どもの可能性」に強調を置くかは大きな違いになるだろう。
2010-10-24 08:20:28
@muto_lfa
といって二択ではない。「子どもはそもそも学習主体としての可能性があり、自発性を尊重すべき」という言葉が、教育者や周辺の制度を整える者の逃げ口上に使われてはならない。
2010-10-24 08:21:56
@muto_lfa
「教育者」としたが、これも既存の教師-生徒関係を前提とした用語であり、「児童生徒の学習を支援しつつ、かつ共に学習する者」としての教師像を対置したいとする向きもあるだろう。これもまた二択ではない。陳腐な結論だが両者の緊張関係のなかでその都度その都度決断を積み重ねていくだけだろう。
2010-10-24 08:24:16
@muto_lfa
現場中心主義、実体験中心主義には全力で抗いたい。無論、「現場」「実体験」の重要性や魅力を貶めるつもりはない、が、一冊の本に世界を旅することが、そもそも本を読む、という経験の事実。経験主義でいう「経験」において空想と現実とに質的違いは存在しない。
2010-10-24 08:34:41