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松永英明@ことのは#ゲニウス・ロキ @kotono8
縄文時代にはアイヌとヤマトとオキナワの先祖の共通の「縄文人」が日本列島を覆っていた、などと考えるのは大間違い。縄文時代の日本列島にいた人々は実に多様だったことが判明している。それをひとまとめにするのは、20世紀以後の国境にとらわれた錯覚。
米元文秋 @yonejpn
分子人類学の成果と合致 RT @kotono8: 縄文時代にはアイヌとヤマトとオキナワの先祖の共通の「縄文人」が日本列島を覆っていた、と考えるのは大間違い。縄文時代の日本列島にいた人々は実に多様だったことが判明。それをひとまとめにするのは、20世紀以後の国境にとらわれた錯覚。
米元文秋 @yonejpn
ただし、律令制国家の拡張以前の東北地方の人々はアイヌ語系の言語を使用していたと推定され、形質、遺伝学上のアイヌとの連続性も解明されつつあるようだ。
米元文秋 @yonejpn
水稲耕作文化を携えた人々の渡来以前にも、数次の移民の波が日本列島に至った。難民の退避地とも言える。チベット人の一部と親戚筋のDNA等々、世界的にも異例な、多様な遺伝子が生き残った。
米元文秋 @yonejpn
西部から拡張した勢力に同化される前の日本列島は、インドネシア群島と似た状況だったろう。一山越えたら、顔も言語も相当違う人びとが暮らしている、みたいな感じ。
米元文秋 @yonejpn
インドネシアのアチェに漂着し海辺でしゃがむミャンマーのロヒンギャ民族難民を取材した時、私の先祖も何千年か前、こうして日本の海岸でしゃがんでいたんだろうなと考えた。多分、恐れ、途方に暮れながら。
米元文秋 @yonejpn
アイヌもオホーツク人との交流を経て形成されており、東北蝦夷と全く同じという話ではないようです RT @itozin: やっぱりRT: @yonejpn: 律令国家の拡張以前の東北の人々はアイヌ語系の言語を使用していたと推定され、形質、遺伝学上のアイヌとの連続性も解明されつつある
米元文秋 @yonejpn
日本列島は包容力のある、まほろばだったと思います RT @kyuhzaemon: この観点は非常に重要だと思うのですが、忘れてしまっている人が多いように感じます。 RT @yonejpn: 数次の移民の波が日本列島に至った。チベット人の一部と親戚筋のDNA等々、多様な遺伝子
米元文秋 @yonejpn
移民、難民のまほろばだった日本列島も華夷思想を背景にする国家の拡張以降、様相が変わったようだ。しかし多様な遺伝子が生き残っていることは、虐殺、「民族浄化」が徹底しなかったことを物語るのかも
米元文秋 @yonejpn
今も身近にインドネシア・スンダ人顔やモンゴル人顔います(^^) @saezuri123 (^・ェ・)ノ未来の地球人の顔は日本人かも RT @yonejpn 一山越えたら、顔も言語も相当違う人びと。数次の移民の波。難民の退避地。チベット人の親戚筋等々世界的にも異例な多様な遺伝子
米元文秋 @yonejpn
そうですね。「モンゴロイド」の範疇に入らないフィンランドの人々と同一のDNAを持つ日本人も @mao3mao3 新旧モンゴロイドのDNA正倉院が日本 RT @yonejpn: 水稲耕作文化を携えた人々の渡来以前にも、数次の移民の波が日本列島に至った。難民の退避地。多様な遺伝子
米元文秋 @yonejpn
日本民族自体が非常に多様な来歴 @biwaud 「単一民族幻想」という色眼鏡では見えてこないですね。QT @yonejpn: 日本列島は包容力のある、まほろばだった RT @kyuhzaemon: この観点は非常に重要 RT @yonejpn: チベット人の一部と親戚筋のDNA
米元文秋 @yonejpn
そうなんです。アテルイを降伏させた征夷大将軍は坂上田村麻呂。百済系渡来人の一族の出身と言われています RT @2avril2010 @yonejpn それで「征夷」大将軍っていうんだ!!
米元文秋 @yonejpn
【サイエンス】ニューギニア高地に約5万年前、木を伐採して土地を開拓し、有用植物を栽培する初期人類がいたことが明らかになった。オーストラリアやニューギニアを含むサフル大陸に人類が到達していたことを示す最古の記録。http://bit.ly/daxfJL
米元文秋 @yonejpn
(続き)現生人類のアジアへの進出により、アジアにおけるネアンデルタール人、あるいは、その近縁種の運命はどうなったのか?
米元文秋 @yonejpn
(続き)この時代に、インドネシア・フロレス島では小人原人が、シベリアのデニソワ洞穴では原人が生き残っていたと最近の研究は指摘する。いずれもネアンデルタール人よりさらに古い起源を持つ人類だ。
米元文秋 @yonejpn
(続き)恐らく現生人類(ホモサピエンス)によって絶滅に追い込まれたのだろうが、どこかの辺境に生き残っていないか、などと夢想する
米元文秋 @yonejpn
古代東北の蝦夷(えみし)はどんな言語を話していたのか。和人の史書は「陸奥蝦夷訳語」「訳語人」「夷語」などの存在を記し、和人にとって通訳が必要な言語だったことが分かる。
米元文秋 @yonejpn
東北には、比内(秋田)、今別(青森)、乙部(岩手)のように語尾に「ナイ」や「ベツ、ペツ、ベ、ペ」が付く地名が多い。稚内や登別など、北海道のアイヌ語地名に似ている。アイヌ語で「ナイ」は「沢、川」、「ペッ、pet」も「川」を意味するそうだ。
米元文秋 @yonejpn
似た地形の場所に、似た読みの地名がある。青森県の下北半島沿岸と北海道南岸に多い釜谷は、アイヌ語の「カマ・ヤ(岩盤の岸)」。下北側の尻労(しつかり)と北海道側の静狩(しずかり)は「シリ・トゥカリ、sir・tukar(山の手前)」とみられる。
米元文秋 @yonejpn
東北と新潟県の狩人「マタギ」が山中で使う「山言葉」も、アイヌ語と類似する。水はワッカ、心臓はサンベ、犬はセタ…といった具合だ。東北蝦夷(えみし)がアイヌ語に近い言語を使い、山間部には長く残ったと考えると、説明が付く。
米元文秋 @yonejpn
地名や山言葉だけではなく、東北地方の言語の発音構造などにも、アイヌ語と古代蝦夷(えみし)語の類似性の痕跡があるかも知れない。
米元文秋 @yonejpn
西日本の和人が列島を制圧する以前は、各地で多様な言語が話されていたと推測 @arait9343 ものすごく興味があります。RT @yonejpn 古代東北の蝦夷はどんな言語を話していたのか。和人の史書は「陸奥蝦夷訳語」「訳語人」「夷語」などの存在を記し、通訳が必要な言語だった
米元文秋 @yonejpn
下北の尻労(しつかり)と北海道の静狩(しずかり)は「シリ・トゥカリ、sir・tukar(山の手前)」だとすると、「津軽」という地名もtukarからかな?
米元文秋 @yonejpn
江戸時代の記録によると、下北、津軽両半島には「狄村(えぞむら)」が点在。アイヌ民族独特の文様入りの樹皮織物「アトゥシ」を着て、北海道アイヌと言葉が通じた。
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