@Reah_Asakura 0系にしても枯れた技術の集成ですし、200系も耐雪構造とそれに伴うアルミ車体採用以外は0系ベースみたいなものですからねぇ。
2014-03-11 20:46:37@Atsasebo 当時の新幹線は全てに於いて0系が基本形だったのは明らかで、同時に当時の労使問題を背景に見ると100系は極力0系に併せることが必要だったのではないかとも見れますしねぇ…
2014-03-11 20:50:56@aim120d @Atsasebo 951, 961, 962と来て200系は240km/h(275km/h)で営業運転したじゃないですか。その次の量産車はアレだけど。
2014-03-11 20:53:48@suna_usagi @Atsasebo 200系は最初の数年こそ210km/hでしたが240km/hまで上げましたしねぇ そう考えるとなぜ100系は改良しても230km/h止まりだったかが不思議です
2014-03-11 21:03:20@aim120d @suna_usagi うぃきぺさん情報ですがグランド様は270km/hまで上げる目論見があったとか http://t.co/a5YOizDsfL 500系もですが騒音さえクリアできていればですね…
2014-03-11 21:08:35@Atsasebo @aim120d 100Nは当時から270km/h運転目標なのは周知の事実だったけど、240km/h運転すらできなかったのは謎ですねぇ。
2014-03-11 21:10:18@Reah_Asakura EF64の1000番台やらDD51の800番台やらが別形式に近いのに番台区分で対応されたご時世でしたしね…(実際100系が就役した頃には緩和はされつつありましたが)
2014-03-11 21:10:46@Atsasebo EF64-1000やDD51-800といったあの辺と大筋は似てそうですよねぇ、実際200系登場まで0系は「0系」って呼称も存在せず単一の「新幹線電車」でしたから、ある意味では100系は「0系100番台」みたいなものでもあったんじゃないかと。
2014-03-11 21:13:17@suna_usagi @aim120d 275km/hを目指す試験が行われたのが1990年だったそうで、その年には300系量産先行車(先行者と変換されおった…)が姿を現してますし、そのあたりですかねぇ…。
2014-03-11 21:16:39@emesh @suna_usagi @anpan_2634 @kazu_1991 @JDSDE214 @aim120d @Reah_Asakura 進行中ですがまとめてしまいました…。 http://t.co/1mVhjjMQ2B
2014-03-11 21:19:16@Atsasebo 1次車というか試作編成が0系譲りの狭窓だったのも、広窓→狭窓に変化した0系からの流れをそのまま受け継いでいるので、量産編成で広窓になったのはなかなかに衝撃でした。 いつかは広い窓に戻して車内を明るくして眺望を良くしたいって思いがあったのかも。
2014-03-11 21:25:04@Reah_Asakura 東北でも400系・E1系は広窓ですね。E2系と300系から狭窓に戻っているのはやはり高速化が念頭に置かれるようになったのと関係あるということでしょうか。
2014-03-11 21:31:33@Atsasebo 200系の場合ボディマウント構造や耐寒耐雪構造を採用したゆえの重量増を抑えるためのアルミ車体という意図が強くてそれらがない100系には必要がない、ということですかねぇ…
2014-03-11 21:32:19@Atsasebo そんなE2系も1000番台で中桟があるとはいえ広窓になっている辺りも面白いところです。 300系のそれは車体設計上の強度確保と軽量化の観点から必要だったのではないかと、その流れで300→700→N700と窓が小さくなっている辺りにも現れている気がします。
2014-03-11 21:35:17@Atsasebo 西武でも6050系(6000系アルミ車)で軽量化のために後期製造分で戸袋窓を無くしてますし、ガラスの重量って結構バカに出来ないみたいですねぇ。
2014-03-11 21:56:32