キリシタン弾圧、キリスト教禁教令等についての歴史教育問題
- suzutuki1980
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一神教に比べ多神教は寛容で平和的だから、これからはみんなで多神教的な価値観を共有しよう、みたいな主張を聞くと、混浴の露天風呂で、「おじさんたちは寛容なので全然気にしないから、君たちも一緒に入りなさい」と女子に声をかけているおじさんを連想する。
2012-10-03 21:39:48断られると、私は気にしてないのに、君たちは不寛容だ!と逆切れする。寛容と言いつつ、自分の価値観を押し付けていることに気づいていない。おじさんが気にするかどうかはおじさんの問題であり、私が気にするかどうかは私の問題なのだ。
2012-10-03 21:40:50この中にクリスチャンの子供がいたらと思うといたたまれないな。 http://t.co/vKcAXoXifU 子供たちが主張した新政策をまとめると、次のようになった。 1.キリスト教は日本の伝統には合わないので禁止する。
2014-03-24 22:25:22現在から過去を裁いてはならないという意見に一定程度の理はあるものの、しかしながら「一応の現在の価値観の由来の合理性」も教えなければ片手落ちなわけです。その辺には日本の所謂保守派というのは近現代の価値観の形成過程に対する関心が低過ぎます。またさらに、かなり恣意的な傾向も続 RT言及
2014-03-25 12:40:31承前)若衆宿制度、夜這い、混浴とか、江戸時代まで「当たり前」とされていた価値観を、歴史教科書において「当時は合理的だった」と擁護して子どもに教えるべきだとか、日本の保守派が言っているのを聞いた事無いのですよね(少しは言われているかもしれませんが)。続
2014-03-25 12:43:38承前)繰り返しますが「当時の価値観を尊重」に一定の理がある事は認めましょう。その上で。 「秀吉の禁教令が擁護されるべき合理的な政策」として「学校歴史教育で教えるべき」とされる一方で、「夜這い、混浴」については「教えるべきとはされない」のは、どのような根拠があるのでしょうか。続
2014-03-25 12:45:08承前)江戸しぐさ批判のネタでは、「こんなもの認めるくらいなら混浴を伝統として復活させてくれw」という冗談が言われる位でして、「混浴」は、「当時の価値観を尊重」という文脈ではよく言われる事例です。続
2014-03-25 12:47:10承前)もっと言えば、おそろしい事に、「江戸時代までの価値観では『合理的』だった」と言われてしまいかねない風習に「(子どもの)間引き」があります。これも(小中学生に対する)歴史教育において「当時は合理的だった」云々と教えることは、肯定され得るのでしょうか。続
2014-03-25 12:48:29承前)結局、「キリシタン禁令は当時の価値観では合理的」と小中学校で教える事を是とし、「夜這い、混浴、間引きは当時の価値観では合理的」と小中学校で教える事は否定される。その差異を生み出すものとしては、ハッキリと「現代の価値観」が基準にあることは明白です。欺瞞ですね。
2014-03-25 12:51:32承前)高校生相手の日本史位でなら、「当時の政策として合理的だったかどうか」という議論の視点を導入するのもアリだとは思います。しかしそれは所謂保守派が避ける性倫理等にも同様の視点を導入しなければ恣意的になります。そのような視点導入は、小中学生には早過ぎるとするのが常識的感性でしょう
2014-03-25 12:53:40島原の乱って、「迫害して重税取り立てたら一揆おこされちゃいました」っていう領主の失敗をごまかすために、キリスト教の団結怖いという話にしただけじゃないのかと
2014-03-25 12:55:36秀吉のキリシタン対策にしても、神社仏閣の破壊なんて秀吉はとうに把握していたと考えるのが普通じゃないかな。 それをこえるメリットがあったから見逃していただけで(何より領国の事は領主の采配だし)
2014-03-25 12:57:15承前)そもそも「価値観の相対化」のロジックで「過去の価値観を見直す」という、すぐ限界にぶつかる手法で禁教令を扱うことに無理があります。近代の戦争犯罪については純粋に「有罪か冤罪か」といった論理構成で議論もし易くなりますが、近世以前については気を付けないとすぐに粗さが出ますね。
2014-03-25 13:07:44「多神教は一神教に比べて寛容。一神教は異質に不寛容。だからローマ帝国は一神教を弾圧したのだ」と仰る方は少なくありませんが、「皇帝(俺)を神として崇拝しないんなら弾圧するわー(怒)」のどの辺を評して「寛容」と言えるのでしょうか?首を傾げる所でもあります。
2014-03-25 20:40:54承前)つまり先に紹介しました授業例には「現代の価値観で過去を裁いてはならない」という議論の粗雑さだけでない問題があるのです。「寛容」とは何なのか、本当に「多神教の方が寛容」なのかどうか?という問題です。(続
2014-03-25 20:53:04承前)勿論私も「キリスト教・キリスト教国は寛容です」と主張する積りはありません。それよりも「前近代社会は、どこでも、概して支配者が選んだ宗教(単数とは限りません)以外の他宗教に不寛容であった」と述べた方が中立的であり、かつ史実にも合います。続
2014-03-25 20:55:50承前)結局、先の授業の意図としては、「キリスト教は日本には合わない」という結論を導き出させるだけの誘導しか感じられませんでした。確かに現時点で少数派である事は事実ですし、これからもそのままかもしれません。ただ安易かつステレオタイプな文化論というのは、思考停止をもたらします。(続
2014-03-25 21:00:22承前)十中八九、件の授業を企画した方は、「キリスト教は欧米の宗教」と思って居るのでしょう。それこそ、「キリスト教の発祥は西アジアであり、最古のキリスト教国はアルメニア、グルジア、エチオピア等である」という歴史に無知な、西欧中心主義に他なりませんが。良く無い思考停止の再生産です。
2014-03-25 21:02:50