屋代 聡さんによる「竹富町教科書採択問題」をめぐる教育に関する考察

教科書問題から読み解く「教育」の在り方についての提起。
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屋代 聡 @yashirosatoru

このように、本来、多様な子どもを「国民」化するための代表的装置、それが「学校」です。近代国家は、国家に従順な労働者と兵士を多く抱えたいわけですから、そういう価値観になるように、全員に画一的教育を施したい。全体主義というのは、国民国家の(ある意味)理想像なのです。

2014-03-28 13:15:24
屋代 聡 @yashirosatoru

それゆえ子どもたちを国民化装置=学校へ誘導しなければいけない。となれば、近代国家が学校にメリトクラシーの原理を持ち込んで優秀な成績をおさめた者に高いインセンティヴを与えるようにするのは、当然の帰結です。

2014-03-28 13:16:11
屋代 聡 @yashirosatoru

そして親は、かわいいわが子に社会的上昇を得させんがために、教育熱心にならざるを得ないのです。 もうわかりますね。 親が教育熱心になるのは、まず公教育が整備され、そこでの成績が社会的に有用な文化資本になることが欠かせません。

2014-03-28 13:17:14
屋代 聡 @yashirosatoru

さて、ここで問題となるのは、親のこの行為が、子供を慈しみ大事に育て、逸脱しないように願う彼らの心性に支えられていることです.しかしその感情は200年~300年ほどの歴史しかありません。(もちろん、これには階層・地域に伴う差がありますから、およその傾向と考えてください。)

2014-03-28 13:18:43
屋代 聡 @yashirosatoru

さて、ここで問題となるのは、親のこの行為が、子供を慈しみ大事に育て、逸脱しないように願う彼らの心性に支えられていることです.しかしその感情は200年~300年ほどの歴史しかありません。(もちろん、これには階層・地域に伴う差がありますから、およその傾向と考えてください。)

2014-03-28 13:18:43
屋代 聡 @yashirosatoru

どういうことかといえば、 端的に言って、200~300年前の民衆は、子どもを我われのように可愛がらなかったのです。

2014-03-28 13:19:29
屋代 聡 @yashirosatoru

どういうことかといえば、 端的に言って、200~300年前の民衆は、子どもを我われのように可愛がらなかったのです。

2014-03-28 13:19:29
屋代 聡 @yashirosatoru

もちろん子どもを全く愛さなかったというのではありません。ただ私たちが思うような感情にはほぼ無縁だったのです。少しだけ歴史人口学の成果およびアリエスの所論を紹介しましょう。

2014-03-28 13:23:13
屋代 聡 @yashirosatoru

もちろん子どもを全く愛さなかったというのではありません。ただ私たちが思うような感情にはほぼ無縁だったのです。少しだけ歴史人口学の成果およびアリエスの所論を紹介しましょう。

2014-03-28 13:23:13
屋代 聡 @yashirosatoru

17世紀から18世紀欧州において夫婦1組の子どもは平均して5名弱。乳児死亡率は30%前後、20歳における生存率は50%弱です。これが何を意味するか。赤ん坊の3人に1人は1歳の誕生日を迎える前に死に、成人できるのは子ども5名弱のうち2名ということです。つまり人口の再生産はギリギリ。

2014-03-28 13:23:58
屋代 聡 @yashirosatoru

17世紀から18世紀欧州において夫婦1組の子どもは平均して5名弱。乳児死亡率は30%前後、20歳における生存率は50%弱です。これが何を意味するか。赤ん坊の3人に1人は1歳の誕生日を迎える前に死に、成人できるのは子ども5名弱のうち2名ということです。つまり人口の再生産はギリギリ。

2014-03-28 13:23:58
屋代 聡 @yashirosatoru

子どもは普通、死ぬものなのです。大きくならない方が当然だったのです。そして大人も(特に女性は産褥で)バタバタと死んでいきます。 当時の平均寿命は35歳ほどです。皆、自分が生きるのに必死です。子ども?そんな生きるか死ぬかわからない存在に、構っている余裕はありません。

2014-03-28 13:24:27
屋代 聡 @yashirosatoru

しかも、これは平均です。実際には平年では出生率が死亡率を上回ります。つまり人口は緩やかに増加してゆくのです。 しかし数年~十数年に1度発生する飢饉が、この増加した人口分を一気に食いつぶします。

2014-03-28 13:25:08
屋代 聡 @yashirosatoru

一度飢饉が発生すれば、その年に生まれた新生児はもちろん、幼児までもが全滅に近い有様で亡くなります。これを「大量死亡」といいます。この飢饉によって共同体にはある年齢層の子どもたちがほとんどいなくなります(陥没年齢層)。 こんな風に死神はいつも隣のベッドに寝ているのです。

2014-03-28 13:25:37
屋代 聡 @yashirosatoru

これが人生で幾度も襲ってくるのです。大人たちも明日が知れない命です。そういう時に、子どもを慈しんで、愛情をかけ、教育を与えて、立派になってほしいと思う感情は残念ながら起きません。子どもの死は当たり前。 そして、これが数百年、ヨーロッパでは続いたのです。

2014-03-28 13:26:47
屋代 聡 @yashirosatoru

それゆえ近世ヨーロッパに我われの知る「子ども」はいませんでした。6歳までは(死ぬかもしれないので)いないも同然であり、7歳になれば労働力として働く「小さい大人」です。 子供らしい感情-好奇心や無邪気な発想―を大事にしてあげようという配慮があまり存在しないのです。

2014-03-28 13:30:53
屋代 聡 @yashirosatoru

だから子ども服も、靴も、玩具も、人間の子どもをモチーフにした絵画も、墓石もほとんどないのです。日記などに子どものことが描かれることも、ごく稀です。それが変化してくるのが17,18世紀なのです。つまり子どもを可愛がるようになります。が、これは長くなるので省略します。

2014-03-28 13:31:27
屋代 聡 @yashirosatoru

そして18世紀後半になり子どもたちが死ななくなります。同じ頃、産児制限が広まり、子どもを少なく産んで育て、彼らに愛情と資本を投入しようという考えが生まれます。 そしてちょうど同時期、近代国家の側も、民衆を労働者・兵士として動員するための装置として学校を整備しはじめたのでした。

2014-03-28 13:31:58
屋代 聡 @yashirosatoru

そして日本では、明治期~昭和前期がこの変化にあたっています(速水融、鬼頭宏の一連の業績をお読みになると良いでしょう。新書・文庫でも出ています)。またこれに合わせて新しい男性観、女性観、家庭観、子ども観、教育観が生まれるのです。

2014-03-28 13:33:01
屋代 聡 @yashirosatoru

まとめておきましょう。

2014-03-28 13:33:21
屋代 聡 @yashirosatoru

かように親が子供を愛し、その成長を願い、教育によって心身ともに成長してほしいと思うその心性―母性でも父性でもーは、つい最近生まれたものなのです。そして国家はその親たちの願いを絡めとって国力を強化するために、学校に特別の地位を与えてきたわけです。

2014-03-28 13:33:59
屋代 聡 @yashirosatoru

現実に学校は人的資源を育成し、その能力に応じて社会の各所に分配する機能を有しています。それゆえに市民が学校という機関の存在を否定するのは難しいものです。まして、ここから完全にドロップアウトすることは非常に勇気が要ります。

2014-03-28 13:34:57
屋代 聡 @yashirosatoru

逆に国家の側は学校がそういう機能をはたしている限り、市民に否定されないことをわかっていますから、折々、学校のイデオロギー装置としての側面を強化しようとします。今、安倍政権がやろうとしていますね?

2014-03-28 13:35:46
屋代 聡 @yashirosatoru

実際のところ市民は日本という国民国家で生きており「国民」にならざるを得ません。それゆえ全体主義を原理的に目指す国民国家の教育に対して市民が行使できる対抗手段は、せいぜい教育のイニシアティヴー教科書選定、教師管理、教育に直接関わらない儀礼の実施内容などを保持することくらいです。

2014-03-28 13:37:30
屋代 聡 @yashirosatoru

安倍内閣は、まさしくこの市民の最後の対抗手段を粉砕せんとしているわけです。教科書の強制・偏向化、教育委員会権限の改正、教育庁の設置、国旗・国歌の強制。枚挙に暇がありません。 繰り返しになりますが、だからこそ市民は、最前線、現場の教師を支えなければならないのです。

2014-03-28 13:39:11