外世を読むことについて
- L_O_Nihilum
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好きなことに中毒かってくらいのめり込むとき、そこには大抵、コミュニケーションがある。好きなことが、自分以外の誰かとの関係の架け橋になったとき、それはもう気持良くて仕方がない。好きなことは自分のためだけにやっててもすぐ飽きちゃうけど、誰かのためにやりはじめるともうやめられない。
2014-03-27 00:12:49うーむ、趣味が趣味として当人のなかに立ち現れてきましたーってとき、すでに他者が内側に意識されはじめてるっちゅうことでしょうかねぇ。>RT 例えば東方みたいに一人用の家STGやりまくってて全然飽きない時、その曲の魅力を他人に語りたがるようになっている、とか。
2014-03-27 01:19:49じゃあ逆に言って、自分自身がどんなにその行動が好きだったとしても、他人のためにならない時がきたら、その時が「飽きる」ときだということだろうか。 …また仮にそうだとしても、世界(あるいは社会?)の中で事実誰の為にもならなくなった後、本当に飽きるまでにはラグがあってもいいよねえ。
2014-03-27 01:21:32というかそもそも、誰かのためになるからやめられない、んだったら、 エロいの見て妄想してシコってるのもまたやめられないのは他者性のためだ、他者の欲求を欲求している=欲望があるからだ、とそういうことになるけれども。
2014-03-27 01:22:39でもまあ、所謂「他者」論ってやつが含みたがる「主体の分裂」とか「他者の侵入」的なのはこの部分な気もする。だから気を付けないといかんなとおもうことが―――
2014-03-27 01:23:41っていうのは、他人のためになるから好きなことをやってる自分(主体、と呼べるかどうかw)がいるってことで、あることをたった一人で勝手に好きになっていながら、いつのまにかその時「これを他人にも知ってもらったり感じてもらったりしよう」ってなってくるときの、「他者」ってのと→
2014-03-27 01:25:02→そーじゃなくて、「ああ○○ちゃん可愛いなぁ」とか思って妄想にフケってるときの、まるでどっか自分がいなくなっちゃうような忘我状態とか、相手がどんな奴なのかとか勝手に自分のなかで他人を自己完結して…まあある種、「消費」してる場合と。
2014-03-27 01:26:26それらが、どちらも同じ「他者性」を抱えてるとは思えないのよね。 僕がさやか姉さんやフィーナ姫といった外世他者表象を使って空想をするとき、実際に彼女らに僕を欲求するよう欲望してたわけではないと思うし、これは基本的に僕の一人の勝手な妄想だった。
2014-03-27 01:27:38然しそう考えてみても妄想ってへんなやつだな 外世の人間空想するときには空想として欲求に回収できるのに 実在の人間を空想するとなるとそうはならないことがある とくに自分に身近な人だった場合とかは
2014-03-27 01:28:37その差はなんだろーと思えば、まあ「この人がこの世界にいるはずもないし、いないから私のことなど考えもしないだろう」ということが前提にしたうえで妄想がビジョンとして働いてるからでしょうな、と。外世他者表象はみえても、外世他者それ自体(要傍点)は見えない。まあカントみたいなもんだ。
2014-03-27 01:30:10対して外世他者ならざる現世の…つまり普通の意味での現実の人間相手には、「かれがこうしてくれることを望む」リアリティがあり、その実現可能性が極微小なりとも確約されている。その世界内で出来ることがらでないことがらだった場合を除いて、とくに。
2014-03-27 01:32:02ライプニッツ臭い話よね 現実世界が今いる世界だとすりゃ、「安部晋三が総理大臣やってる」この世界でなくて「安部晋三がアイドル男優だった」世界とか、同じ世界でありながら別ルートの世界である場合。こういうのは「可能世界」っていうけれども
2014-03-27 01:33:43「現世界」にかんする妄想は、あらゆるものが「可能世界」でありうることができる。 たいして、外世に関する妄想や空想とかいうのは、そもそもそれ自体がこの世に存在せず、表象からしか観測できないから、可能世界たりえることもない(あるいは、表面上「可能世界しかない」)。
2014-03-27 01:35:04ん・で、このカッコのなかの「表面上可能世界しかない」事が、まさに一般的にいうところの 「漫画やアニメの世界は”虚構”だ」とか「架空の」とかいう形容詞を付けて認識されざるをえないことの、原因でもあるわけだけど。
2014-03-27 01:36:35んでー、それが「欲望」にもつっかかってる、んでしょうか。欲望というのが、 「他者の欲求を欲求すること」だから。
2014-03-27 01:37:29現世の他者を妄想することは、現世の他者の欲求を欲求することだ。 たいして、 外世の他者を妄想することは、外世の他者の欲求の欲求ってことになる。
2014-03-27 01:38:12ただし、外世の他者の欲求を欲求する、という欲望は、 最初に外世であるという前提から、外世他者表象というどん詰まりを自然に導く。 したがってこれが「外世の他者の欲求なき自分の外世他者表象への欲求」というかたちになる(文字通り「妄想」になる)。
2014-03-27 01:40:09―――それが、えーっとなんだ。 どこぞの批評家が言う意味での「(消費社会的)シニシズム」に該当するかどうか、はここでは考えない。てかそういう意味だったようにも取れるけどそうとれる証拠どこにもないのでここでは扱わない…つもり。
2014-03-27 01:41:35まあこの構図で論理そのまますすめてくと 現世の他者欲求としての他者性の消費があった→欲望があった ↑が消えた→欲望が「喪失」した→「消費における他者性の喪失」みたいな論理を正当化しやすくはなるけれども^^;
2014-03-27 01:43:38ただ、この某どこぞのヒッヒョーな論理を正当化するしないはおいといたとしても、こうした外世の妄想が、享受者自ら判断することによって欲求止まりに回収させてるってのは見えてくるよね それは表象だ、虚構だ、と受け入れる態度によって、(外世他者への)欲望は欲求に「帰される」わけね
2014-03-27 01:47:45で、それはさっきも言ったように「穂積さやかやフィーナ姫など実在するはずがない(⇔外世の他者は表象からしかわからない)」という一種のメタな判断中止によって実現されていた「欲求どまりの欲求」だったわけよね
2014-03-27 01:49:43てことは、このメタな前提を排除すれば、他者への欲求として(というか他者の欲求の欲求)として、妄想を展化させることができるのではないか。 …というか、妄想に限らず、あらゆる個人的・自己完結的な趣味においても、その他者性…欲望の揮発力があると言えるようになるのでゎ、とか。
2014-03-27 01:50:50ぶっ飛び過ぎてるんで1から。外世他者への欲望(たりえるはずのもの)が、表象どまりであるところに諦めを付けて、それが単なる欲求として考えられ、論じられる。 このとき、キャラクターとは、ないし物語や虚構とは、虚構である。架空である。そして、外世でさえない。
2014-03-27 01:52:17