外世を読むことについて
- L_O_Nihilum
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想ったけどこれ②=④ぢゃね?…しいて微妙にさをつけるなら④は②とちがって同じ世界(を描いた原作)のキャラだけいないバージョン
2014-03-27 02:31:05②の場合は自分という現実の人間を向こうにいるとしている点で、メタ臭いところがあるが、これは要は「その自分はいましがた妄想してる自分ではない」ということも込めてのもの。つまりこの場合自分もキャラ化してる(キャラ化する日本って本があるけどあの定義のものではない)。
2014-03-27 02:32:32もちろんキャラ化というのは外世他者化である。正しく言えば「その外世の可能世界における現世他者化」だろう。自分がそっちの登場人物であり、他者(化?)されてて、その自分の行為も、その影響をうけるそっち側の世界の他人も、欲望の対象である。
2014-03-27 02:34:07(こんどは、こうすると岡田著「オタクはすでに死んでいる」における「岡田なりの萌えの(いちおうの)定義」に近づく。つまり萌えとは「それが好きでかわいいなどと嗜好を発している自分への愛を同時に持っている状態」だから、他者化しつつも自分が欲望の対象になってるあたりこれに近い構造がある)
2014-03-27 02:35:43…まあ岡田の場合アレを「自分の気持ち中心主義」の論拠にするために使っちゃってるけども。
2014-03-27 02:36:17勿論デスノートやこち亀等のように実際に舞台が現実のこっちと同じで、という④の逆をやったパターンな作品もあるにはあるが、そういう「設定」を考えてるかぎりは外世論のエリアではない。それを「設定ではなく世界内の実存」と要請してから始まってるからです。
2014-03-27 02:38:44んでこの③のタイプはまさにそういうこち亀のような舞台設計を妄想者が行った場合だとすればいい。つまり妄想されてる現実世界(のようなもの)全体がひとつの外世であり、この世界をモデルにした二次創作の作品のなかでの、その当の実存世界だ。
2014-03-27 02:40:29いずれにせよ今の説明の仕方のどれも共有してるのが ◎想像している世界が現実ではないと認めている ◎同時に、その想像してる世界内部では事実(かつ現実)だと認めている という点。特に二つ目がポイントで、これがあることによって外世をイメージすることがしやすくなっているわけです
2014-03-27 02:45:56そもそもこの発想なしに――というか、そういう言語化を必要なく見れるお話は多いと言うか、お話ってそういうくらいに曖昧なものなんですよね で、その曖昧さが浮き立ってきたあたりで言語哲学や記号論からのアプローチが来ちゃったんで、そっち側からの分析は目立つわけで
2014-03-27 02:47:22ただ、それだとどうしても疎外されるのが読むときの―――というよりも、「読んだなかの」目線。作者の死や記号のメタ性から来たキャラ=本質のみ的な見方の一般化が、覆い隠してしまった目線も多く…あー、こういうことが言いたかったんじゃねぇよお
2014-03-27 02:48:36今日の所は此処まで。まとめ。 外世の他者も欲望可能である。 …で、ここから問いとして出てくるのは、『じゃなんで表象越しにそんな超越的な事が出来るんだよ?なんか魔術的なアクロバティックなものでもあるんじゃないの?(社会的な機能、言語によるもの…かどうかも怪しいし)』
2014-03-27 02:50:45そこをもし「言語のお蔭だ」って言うのなら、Ryuseiさんも言ってたように、今の話の全部を記号論の内部に回収できる。
2014-03-27 02:51:21