渡邊芳之先生ynabe39の「「学校に行かずになるもの」だった職業が徐々に「学校に行って勉強してなるもの」になっていく過程というのは興味深い。」
千の風になって。
北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39
渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之
渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html
北海道新聞 「教育内容 事前説明と違った」 札幌の元専門学校生ら25人 学費分の賠償求め提訴 http://t.co/OxzOeuwsZH
2014-05-17 07:18:11もともと「○○になれる!」といって学生を集めてほとんど誰も○○になれない、ということ自体が問題にされるとロースクールあたりも危ない。
2014-05-17 07:31:49「学校に行かずになるもの」だった職業が徐々に「学校に行って勉強してなるもの」になっていく過程というのは興味深い。「ジャズミュージシャン」がそうなるのにおよそ100年くらいかかっているだろうか。
2014-05-17 07:35:57俳優でも声優でもコメディアンでも(高卒程度からの)「養成過程」が独立して設置される前には有名大学を出た高学歴者がけっこうな比率を占めてたんだよね。
2014-05-17 07:45:38@ynabe39 すみません.ネタとご存知とは思いますが,うちらの界隈ではよく出回ったネタなんです. http://t.co/VLkMHif1L3
2014-05-17 07:57:37教わることに金払う奴が増えて教える方はそれで生業が立ってしまうようになったからですね。バードも教えて金とれてればマイルズ達からふんだくっていたろう。RT @ynabe39: 「学校に行かずになるもの」「ジャズミュージシャン」がそうなるのにおよそ100年くらいかかっているだろうか
2014-05-17 07:57:43ナベサダがバークレイに留学したのは1960年代だからその頃から徐々に「金を払って学ぶもの」になっていたのだろう。そういえば帰国したナベサダが「モード1個教えると何円」とか取っていたみたいな話を聞いたことがある。
2014-05-17 08:00:42日本のロック界隈ではまずギター修理やギター制作というお道具の学校ができてそこが徐々に「ロックそのものを教える学校」に拡大して行ったようにも見える。
2014-05-17 08:08:56@ynabe39 帰国後しばらくの間生活費を稼ぐため自宅でバークリー・メソッドを取り入れたジャズ理論教室を開く。1967年1月9日 ヤマハ音楽振興会に「ジャズ・アンサンブル・コース」開設。日本初の本格にジャズを教えるスクールだった。(http://t.co/s6OKXP2HYw)
2014-05-17 08:16:43「これナベサダに習った○○モードだ」といって自慢げに吹いているのをナベサダがこっそり「あれはウソを教えたんだ,あんなモードないよ」,みたいな話もあったなあ。
2014-05-17 09:39:27