哲学探求フトマニノート2014.07月後半 境地と地平
- sunamajiri
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@sunamajiri わかりました。ちょっと背伸びしてがんばってみます。 もっとも私の根底にあるのは、汎神論への反感とその反動としてのヒューム由来のアトミズムと一神教的態度なんですがw こういうひねくれからの論評でいいのなら、しますお( ^ω^ )
2014-07-31 21:36:28井筒俊彦はなんと今年、英文での禅研究が邦訳されてたんですね。ぜひ読んで、論じていただけると面白いんですが。(^-^)/ 井筒俊彦 禅仏教の哲学に向けて amazon.co.jp/dp/4906791247/… @Nuebsburg
2014-07-31 21:05:39コトバを喋る神より、神がコトバの方が不気味ではないわね。井筒の論文では「存在はコトバだ」という奇妙な命題といっているが。井筒の自炊はさっきアップしといたよ。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta… @LitoSnowfield
2014-07-31 18:34:141985年『意味の深み』所収の、絶対的シニフィアンとしての空海という論旨の井筒俊彦 『空海論集成・意味分節理論と空海・真言密教の言語哲学的可能性を探る』bit.ly/1zyeWpX iPhoneスキャン自炊なのでお見苦しいかも(^-^)/@Nuebsburg
2014-07-31 16:43:04んでも…(*uou)> 神は言葉である…というのは日本人ならば割とスンナリ感ではないのかなぁ〜と思うのでした(*^o^)>
2014-07-31 18:29:59ツイートまとめ@FB 「意味の深みへ」ならぬ、意味の浅みへ。なぜ私達には深さが浅さなのか、という問題のようだ。 facebook.com/kaoru.ohmoto/p… 井筒俊彦のいうセム語の「神はコトバだ」という真言観は、ほんとうに構造主義による深層の発見まで、西欧になかったのだろうか?
2014-07-31 18:00:151985年『意味の深み』所収の、絶対的シニフィアンとしての空海という論旨の井筒俊彦 『空海論集成・意味分節理論と空海・真言密教の言語哲学的可能性を探る』bit.ly/1zyeWpX iPhoneスキャン自炊なのでお見苦しいかも(^-^)/@Nuebsburg
2014-07-31 16:43:04至近の禅宗や、漢字経典なんかより、より根源的に東洋的な言語観(存在を齎す真言)とされる問題で、西欧では構造主義の深層の発見で、やっとコトバを喋る擬人法の神に死刑を宣告できたじゃないか、と見るんでしょうね。パースペクティブがぐるぐるして楽しいですよ。@Nuebsburg
2014-07-31 04:24:26もはや構造主義の深層表層は私は死語だと思っているのだが、イスラムスタディーズの井筒俊彦にとって、東洋が深層的であるのは、西欧にとってコトバは神が世界を作るという措定であるのに対して、神はコトバだという措定だからだという地平。しかしこれはあまり世界的ではない。@Nuebsburg
2014-07-31 04:14:59そうです。井筒俊彦「意味分節理論と空海 真言密教の言語哲学的可能性を探る」という論文は、はじめから「神はコトバだ」という存在命題は東洋では奇異ではない。西欧では神がコトバで世界を作るが、東洋ではコトバが神だ、という真言哲学です。面白いですよ。そろそろ寝る。@Nuebsburg
2014-07-31 04:10:03@sunamajiri あー、言語が「神」といわれているようですね。勉強になりました。なんかやり過ぎな感じが否めないのですが、ちと読んでみます。 おやすみなさい。 ちなみに私はいま起きた所
2014-07-31 03:56:42最近、ゲルマン~アーリアづくしなので、このセム語的な世界、ないしは言語哲学は懐かしいというか、むしろ私にとっては深層でもなんでもなく、アーリア哲学を読む際には、それが表層であったりするので、馴染み深いものというだけだ。ついでなので、当面この話題をするかもしれないが、今夜は眠い。
2014-07-31 03:52:34(続)このように、井筒俊彦の思想は、セム語族的な「東洋」には、西欧にはない深層の言語哲学があり、それはセム語の神や空海の大日如来がコトバであるという独創で、西欧においてはつい最近の構造主義による深層の発見まで顕現しなかった、絶対的シニフィアン=神、に関するものだ。
2014-07-31 03:52:10(続)井筒俊彦「意味分節理論と空海 真言密教の言語哲学的可能性を探る」。そろそろ睡魔なので、簡単に要約するに留める。空海の独創は、荘子の天籟より踏み込み、神はコトバであるという存在命題で、顕教のアトミズムに先立っており、それはイスラムやカバラーと相似的な言語哲学だ、というもの。
2014-07-31 03:51:26(続)井筒といえば90年代にイスラムスタディーを何本か読んだことがある。さらに、空海の大日如来を、イスラムやカバラーなどセム語固有の神=コトバ(真言)という言語哲学で論じた文を読んだのを思い出したのだが、探した所、近所の図書館の閉架にあったので、コピーして再読した。
2014-07-31 03:51:10今、私はあえて、井筒の深層と表層という構造主義の範疇を割愛して換言したのだが、構造主義というのは、もはや用語としても割愛してしまうほど、昔の良い思い出で、今はむしろそうした二項対立を駆使せずに、何でもいうことばかりを考えてしまうほどなのだが、井筒といえば(続)
2014-07-31 03:50:51(続)noblinさんが抜粋した井筒俊彦bit.ly/1u0HPrQ は、繋がっていないようで引用元も不明だが、要は、井筒俊彦が神性という絶対的シニフィアンにおいて、慣習のような世界が顕現する、という命題であるようだ。
2014-07-31 03:25:24(続)井筒俊彦の構造主義の問題に波及。nobline氏から、懐かしい井筒俊彦の構造主義的な深層をめぐる抜粋をツイートいただいたようだ。bit.ly/1u0HPrQ
2014-07-31 03:22:24ハイデガーを読んでいると色々と気が散るのも、それがハイデガー的と思える程なのだが、nobline氏との対話で、実体から言語に転じたスピノザは構造主義に先行し、構造主義によってハイデガーは統覚を構想力とした、という問題twitter.com/sunamajiri/sta… から(続)
2014-07-31 03:21:40知らないふりのお笑いが誘発する対話には書き手があるが、それはフォアゾクラティカーも同じか、というのが一時期のハイデガーのようだが、そこで昨日の、スピノザは構造主義を先取りし、ハイデガーは構造主義に先行された、という話twitter.com/sunamajiri/sta… に戻される。
2014-07-30 16:49:39続) 國分氏はそれを「分かることが分かる」と表現するのだが、言い換えると、知らないふりをしなくても済まされるようになった、という程度のことだ。先ほどの言い方で言うと、プラトニズムの解決ということになる。これは対話の終わりなのだろうか? 私はそうは思わない。
2014-07-30 16:57:20國分功一郎のいう「哲学の解決」とは、構造主義以降の方法で、スピノザの方法を読むと、デカルトの方法論の問題、神要請という問題に解決が得られる、という程度のものだ。それは言語を実体視しないということだ。noblinさんが仰るように、構造主義がなければスピノザは読めないということだ。
2014-07-30 16:52:59知らないふりのお笑いが誘発する対話には書き手があるが、それはフォアゾクラティカーも同じか、というのが一時期のハイデガーのようだが、そこで昨日の、スピノザは構造主義を先取りし、ハイデガーは構造主義に先行された、という話twitter.com/sunamajiri/sta… に戻される。
2014-07-30 16:49:39その点でいうと、國分さんのスピノザの方法では、ソシュールは勿論言及されないものの、エチカの証明自体に構造主義に匹敵する言語の非実体性が備わり、それでスピノザはデカルトの方法論を方法に克服した、としています。その点ではソシュールよりスピノザが先行しますが。@noburin2828
2014-07-29 19:28:59これがプラトニズムかどうかを定義するのは、おそらく容易だ。ここでは、プラトニズムとは知らないふりの謂であり、たしかにそれは対話を誘発するが、そうしたお笑いのようなものには、書き手があるということだ。らつかた氏は症例だが、noblin氏の対話に知らないふりを貫いたのは興味深い。
2014-07-30 16:42:54昨夜、らつかた氏をブロックせざる得なかったが、それは対話がないというより神秘主義やカルトだったからだ。その後noblin氏が対話を引き継ごうとして拒否されたらしい。興味深いのでログbit.ly/1rEUyPd をとらせていただいた。しかしこれは対話の拒否なのか?
2014-07-30 16:30:05~とはいえ、ご存知のように、ソクラテスまでその語り方がなかったかのようにされている、というだけだろう。それならなおさらだが、知らないふりをすればいい。じつは、昨日ブロックしたカルト布教の方は、相手を知らないものと決めつける語り方をしていたのだ。しかし、対話の拒否とはいえない。
2014-07-30 16:13:24