名将言行録まとめ2

毛利元就、吉川元春、小早川隆景、細川幽斎、細川藤孝、細川忠興の頁まとめ。
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宇治丸 @uzi_unagi

隆景は徐々に後退し、元春が一挙に押しかかったところに伏せていた二人を横からけしかけた。これに撃ち負けた元春はとうとう退いた。この結果から元就は剛強さを旨とした北国に元春を、船・人の往来が多く計策を好む南国に隆景を太守としようと考えた。というおはなし。

2014-08-14 23:05:34
宇治丸 @uzi_unagi

「一年雨が降らなかった国で元就が自ら身を清めて天に祈り、戦死者を弔い、忠臣には禄を加増し、軍功あった家には物を贈ることを三日間実行した。すると二日後大雨が降った」 人間じゃない(確信) pic.twitter.com/DBSQBEpHxU

2014-08-14 23:18:30
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宇治丸 @uzi_unagi

元就:世の愚か者は元旦に恵方を向き、昆布や勝栗を肴に屠蘇を汲み、寿命長久子孫繁栄などと祝って遠慮がない。本来は年中に起きた事を思慮するものだ。東国は豊作だが、西国は干ばつであるからと安堵せず、家臣らに布告すべき事や国事に関わることはないかと思慮することを年始の祝いというものだ。

2014-08-14 23:37:25
宇治丸 @uzi_unagi

わからないとこ省いた。長いし( 原文 pic.twitter.com/BFxRd2iA8q

2014-08-14 23:38:42
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宇治丸 @uzi_unagi

又親しく自書して曰く、技藝を嗜むこと勿れ、傲楽すること勿れ、逸豫すること勿れ、猥りに事を為す事勿れ、唯武略を調練し、慎みて遺失すること勿れと。

2014-08-15 09:36:56
宇治丸 @uzi_unagi

(元就が)自筆して言うには、「技芸を嗜んではならない、寛いで驕ってはならない、気儘に楽しんでいてはならない、唯一武略のみを調練し、慎んで忘れぬようにすることだ」と。 この前の文章に「元就は芸者を呼んでは芸をさせたが、自身は芸に耽ることはなかった」とある。

2014-08-15 09:38:11
宇治丸 @uzi_unagi

「智、萬人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用ふる者は、世に眞の友は一人もあるべからず、千載の上千載の下に、眞の友は一人もあるべきなり。是人時を同うして生れなば、彼を害するか、彼に害せらるゝかの二つなり。→

2014-08-15 09:53:03
宇治丸 @uzi_unagi

→若し二人志を同うして世を治めんには、萬民安堵、四海太平と稱すること、又何の難きことか之あるべき」と。 これ!無双演武で隆景と話していた部分だ!!!

2014-08-15 09:53:31
宇治丸 @uzi_unagi

訳いらなそうだけど 「知恵が誰より優れ、乱世を治め主家の盛衰に心血を注ぐ者に、真の友はいない。その千年前後に真の友がいるものだ。こういった者が同じ時に生まれれば、殺し殺される関係となる。もしこの二人が志を同じくすれば万民安堵、四海太平も唱えられようが、なんと難しいことだろう」

2014-08-15 10:08:00
宇治丸 @uzi_unagi

元就は雪が好きで、普通の老人ならば炬燵にいるところを、「雪が降った!嬉しいものだな。私はもう歳だから座敷で雪合戦しよう。さあ雪をもってきておくれ」というので近習らは「とうとうボケたか…」と思いつつ器に雪を盛って来てみれば寒そうにもせず雪をもてあそび侍たちに雪合戦させた。

2014-08-15 10:39:28
宇治丸 @uzi_unagi

童心に戻ったのかと思いきや、そうではない。元就の心には、この頃弓を鍛錬するものが減り、若者まで寒さに負け炬燵にばかりあたっている。私が齢七十になっても雪合戦しているのを見れば、寒さにも慣れ息切れも霜焼けも起こすまいと考えたのである。

2014-08-15 10:45:47
宇治丸 @uzi_unagi

頗る書を讀み、和歌を好み、秀逸の作多し。

2014-08-15 12:48:34
宇治丸 @uzi_unagi

元就は和歌を好んでおり秀逸な作品が多いとあるから単に長文がへたってだけなのかな(無双では

2014-08-15 12:45:16
リンク Wikipedia 吉川元春 吉川 元春(きっかわ もとはる) / 毛利 元春(もうり もとはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利元就の次男。母は吉川国経の娘・妙玖。同母の兄弟に兄の毛利隆元、弟の小早川隆景、その他異母の兄弟が多くいる。 父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続した。以後、毛利両川の一人として、弟の隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げ、主に山陰地方の司令官として貢献した。 享禄3年(1530年)、毛利元就の次男として安芸吉田郡山城で生まれる。
宇治丸 @uzi_unagi

元就「井上、元春を連れて帰りなさい」 元春「酷い、年上の臣らに負けない自信あるのに(´;ω;`)」 井上「泣かないでください、さあ帰りますよ」 元春「なにをー!連れて行かんというのか!!\(#`Д´)/(刀抜き」 元就「小さいながら恐れ知らずなことだ。仕方ない、ついてきなさい」

2014-08-18 16:45:07
宇治丸 @uzi_unagi

大内義隆とその家臣が元就と元春について語る。≪元春當年十九歳、風骨人に越え、勇烈智謀、元就にも劣る間敷良将なり≫ 風体は抜き出ており、荒々しい勇ましさと智謀は元就に劣らない。陶隆房に兄弟の契りをさせることは当家永遠の遠謀である。 pic.twitter.com/J4BEOVoEQG

2014-08-18 17:01:51
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宇治丸 @uzi_unagi

情欲にとらわれて美しい妻を選ぶではなく、たとえ醜くとも、その父である直忠の信頼を得て家のため、父(元就)のため忠考をなしたい。って話いい話だろうが現代女性にはえーという話。 pic.twitter.com/XdeP6KSKCu

2014-08-18 17:08:48
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宇治丸 @uzi_unagi

尼子國久が子に語るには「元春は二十歳前後の若者ゆえ勇猛さ一辺倒で戦闘を第一にし策謀を軽んじ、欺くのは容易いかと思っていたが、合戦の駆引き、兵馬の配置、西国に比肩しうるものはいない」「元就は子にまで才能が受け継がれていて羨ましい」 pic.twitter.com/7FsdOjR65p

2014-08-18 18:15:10
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宇治丸 @uzi_unagi

毛利勢が立花との戦場を退く時、大友の諸将が追跡しようとした。戸次鑑連(立花道雪)が毛利勢の旗に乱れがないことを見て追わせなかった。殿軍を率いた元春はそのまま引き揚げた。その顛末を聞いた元就は新田義貞の矢師が橋を渡る話のようだといった。 pic.twitter.com/FyyvqCQuBJ

2014-08-18 18:54:16
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宇治丸 @uzi_unagi

新田義貞の矢師が橋を渡る話:足利尊氏との戦闘で敗走した義貞が橋を渡る際、兵士が橋を落とそうとしたのを「橋を落としても容易く架けられる。我らは橋を切り落とし慌てて逃げたと言われ恥となる」といったという。元春が敵を前にしても悠然と立ち退いたことにたとえた?

2014-08-18 18:57:20
宇治丸 @uzi_unagi

これ有名な話のやつやー TERUに「攻戦の話は事の大小問わずすべて元春に任せなさい」と遺言したやつ pic.twitter.com/esukLcMbD5

2014-08-18 19:09:19
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宇治丸 @uzi_unagi

これも聞いたことある。山中鹿之介が元春に捕まった際、病を得たと偽り隙をついてぼっとん便所から脱出した話。 pic.twitter.com/xzB3yBs0HQ

2014-08-18 19:13:16
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宇治丸 @uzi_unagi

元春と隆景の喧嘩要約 「元春は若武者のようだ。戦ってかなわんければ討ち死にするまでなどという。そのように短慮で勇のみ語っては秀吉に大敗するぞ。そういう心得は尼子勝久などに通用するものだ」

2015-09-30 14:26:00
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