- super_haka
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終戦時の日本海軍航空隊が保有していた零戦の機数は800機以上。これは開戦時の三倍程度の兵力。 戦時中の航空兵力拡大はそれだけの規模だったということで、帳簿上の兵力を見て「もうひと戦さしたい」と考えるのも無理はない。大型軍艦が軒並み沈んでも海軍にまだ発言力があった理由もこれだ。
2014-08-16 21:35:34日本の軍用機生産で一番誤解されているのが「規格化」「標準化」の分野だ。戦時中になってから部品の標準化が強調される様子を「遅すぎる」と「こんな時期に」と批判する語り口は、意図的であれ何であれ勘違いも甚だしい。 そもそも飛行機を兵器にするには規格化、標準化しなければ始まらないのだ。
2014-08-17 15:36:19民間の冒険用具でしかない飛行機を兵器にするためにはあらゆる構成品を規格化しなければ立ち行かない。「規格」と「制式」は同じ言葉で、制式採用するとは規格化した、ということ。 近代兵器は規格品なので航空部隊の黎明期から航空基本部品は制式が定められ、使用する材料、寸法も定まっている。
2014-08-17 15:40:30陸海軍が部品の規格化を重視したきっかけは第一次大戦終了時に大量に持ち込まれた各種軍用機の補用部品が揃わず次々に廃却を余儀なくされたこと。 車輪でもペラでも鋼管でも、とにかくひと通り規格を作らないと大変な事になる、と実感できたのが欧州からの余剰軍用機の流入だった。
2014-08-17 15:43:57当初は陸海軍の基本部品の制式は別に定められていたけれども太平洋戦争開戦の遥か前に陸海軍は部品の統一規格化に動き始める。なぜなら、プロペラは住友、エンジンは中島、三菱と事実上、共用していたため。
2014-08-17 15:46:26陸海軍航空材料規格といったものが生まれたのは飛行機を軍用に使うための必須の制度だったからで、これを制定しないと出来上がった飛行機は一品モノの実験機械にしかならない。 ネジだろうが鋲だろうが、とにかく規格が無いとどうにもならない。有名な沈頭鋲の規格統一などでは米国より進んでいる。
2014-08-17 15:53:08また航空分野だけ標準化しても意味が無いので、航空機材料、部品の規格化は日本標準規格の充実と連動している。 大正時代後期から殆ど平行して歩んでいたと言って良い位に進み、戦時中にはJES準拠の日本航空規格として再編される。零戦の緑色だって航空規格に含まれ、中島色も三菱色も無い。
2014-08-17 15:57:33では何で戦時中に標準化が改めて求められるのか、と言えば、1930年代後半からの航空技術の躍進期に必死に採り入れた新技術が未消化だったから。 規格化、標準化が容易な「枯れた技術」だけで高性能の新鋭機が作れない、という事情は、実はアメリカ航空機業界も大して変わらない。
2014-08-17 16:02:13技術の進歩が規格を追い抜いてしまう、といった現象は大戦中の軍用機製造に限ったことではなくて、例えば1980年代になれば陳腐化したJIS規格の材質は民間の乗用車製造工程をまったくカバーできなくなっていたはずだ。
2014-08-17 16:06:57零戦の部品が隼に使えない、といった話は1940年代の軍用機では少しも珍しくない。例えば、カーチス、ベル、ダグラス、グラマン、ノースアメリカン、各社は機体外板に使用する鋲が全て専用で、互換性が全くない。 日本軍用機でこんな事実があったら、鬼の首でも取ったように喧伝されるのにねぇ。
2014-08-17 16:11:52