@ynabe39 大学生が相手の場合は、小中高で「みんなみんな幼児プレイ」の調教をされて自分のことを「こども」と言っている恥ずかしい大人のひとたちに、「あんたたち、大人なんだよ」と毒づきながら、大人として扱う仕事ですけどね。そうすると「先生らしくない」と問題になりますが
2014-10-22 12:16:21@hideo_ogura 私は逆に「いじめられる側には原因はない」論こそが「原因のある人はいくらいじめてもいい」論の根拠になっていると思います。端的に言ってそういうことです。
2014-10-22 12:22:36そこが違うんです。原因というのはどちらか一方だけにあるのではない。いじめる側が持っている要因といじめられる側が持っている要因,そして環境や状況の要因が複雑に相互作用していじめが発生している。「原告と被告のどちらが正しいか」を決めればいい話ではないんです。
2014-10-22 12:25:42「いじめられる側に原因がある」という発言をした人が、だからいじめをしてはいけないなんてことを言い出す例は、先生以外にはおられないようには思います。RT @ynabe39: @hideo_ogura 私は逆に「いじめられる側には原因はない」論こそが「原因のある人はいくらいじめて
2014-10-22 12:29:10生徒を退学させることができる私立中高であれば、いじめられる側に原因ある論に基づけば、いじめられた側を退学させるべきということになりまづね。RT @ynabe39: @hideo_ogura 私は逆に「いじめられる側には原因はない」論
2014-10-22 12:31:30「その人に原因があるなら退学させてよい」のならいじめっ子もいじめられっ子も退学,しかし私は原因があっても退学させるべきではないと考えるので誰も退学にはならない。
2014-10-22 12:36:12そもそも構造的システム的な原因と規範的責任的な原因を分けても同じことで、私はその人にたとえ規範的責任的な原因があったとしてもいじめられてはいけないし、私的制裁の対象になるべきではないと思っている。
2014-10-22 12:54:46ウソつきな子がウソをつくという理由でいじめられるのはいいのか。盗みをする子が盗むという理由でいじめられていいのか。私はよくないと思いますよ。そこが根本的なところ。
2014-10-22 12:56:36@ynabe39 一言で言うと、より上位の集合的生命の価値は個の生命よりも尊いという秩序感覚です。「みんなで楽しむ」は個を超えた集合的生命のように感じられ個の命が軽視されます。またこの秩序感覚から、この橋本徹大阪市長の発言が出てきます→togetter.com/li/263167
2014-10-22 13:03:18いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書) 内藤 朝雄#アマゾンポチ と入れて@返信でカートに追加・後で買う amazon.co.jp/dp/4062879840/… @amazonJPさんから
2014-10-22 13:44:35いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体 内藤 朝雄#アマゾンポチ と入れて@返信でカートに追加・後で買う amazon.co.jp/dp/4760120882/… @amazonJPさんから
2014-10-22 13:45:45