形式主義と後期クイーン的問題

法月論考『初期クイーン論』『一九三二年の傑作群をめぐって』を中心に、後期クイーン的問題をめぐるあれこれをまとめました
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@quantumspin

この事は、フェア・プレイ原則を逸脱した作品(アンフェアな作品)が、後期クイーン的問題を生じさせる核心であるという事を、笠井が正しく自覚していた事を意味する。後期クイーン的問題は、実推理小説におけるフェア・プレイ原則の不成立性を示唆するものではなく、アンフェアと不可分の関係を持つ。

2014-12-15 11:05:24
@quantumspin

後期クイーン的問題は、フェア・プレイ原則の極点として立ち現れるわけでは決してない。作者がフェア・プレイに徹する事、即ち完全かつ無矛盾な手掛かりを配置する事は、少なくとも原理的には可能である。実推理小説においてこの理想が実践困難である事と、後期クイーン的問題とは、異なる問題である。

2014-12-15 11:26:55
@quantumspin

笠井が後期クイーン的問題を論じる際に、『シャム双子』ではなく『十日間』を選んだ理由もここにある。笠井にとって、『シャム双子』は本格探偵小説のルールから逸脱した作品ではなく、従って『「本格推理小説」の根拠の不在(=後期クイーン的問題)』を正面から主題化した作品ではないと見ていたのだ

2014-12-15 12:06:47
@quantumspin

笠井は『探偵小説と20世紀精神』の中で『シャム双子』を、「『ゲーデル的帰結』の方法的な自乗化が、本格探偵小説における「ゲーデル的帰結」の必然性を超え、あらためて謎の論理的解明を可能ならしめている」と評している。同作から、フェア・プレイ原則の不成立性を主張する法月とは対照的である。

2014-12-15 18:35:48
@quantumspin

つまるところ偽の手掛り問題は、フェアな探偵小説では問題ではない。フェアな探偵小説においては、手掛かりは犯人の恣意性を含まないそれに最初から限定されているのだ。そして、作者が手掛かりを全て真としても、それでも探偵はその手掛かりの真偽判断ができない。これが、ゲーデル的帰結の核心である

2014-12-15 18:50:07
@quantumspin

あらためて、ゲーデルの不完全性定理とは、『形式系が無矛盾であるという事実は、(その事実が本当である限り)その形式系自身の中では証明できない』事を示した定理である。しかしこれを後期クイーン問題にあてはめる際、()の部分が忘れられたばかりか、()が偽であるかのように前提されてしまった

2014-12-15 19:34:15
@quantumspin

後期クイーン的問題は従って、『手掛かりが無矛盾であるという事実は、(その事実が本当である限り)その手掛かり自身の中では証明できない』問題と規定し直されるべき問題ではないだろうか。

2014-12-15 19:48:14
@quantumspin

問題であるべき問題とは

2014-12-15 19:53:47
@quantumspin

まとめを更新しました。「"後期クイーン的問題の正面突破"が何を意味するか」 togetter.com/li/760081

2015-06-07 11:06:18