仏シャルリー・エブド社襲撃テロに関するツイート
1月10日
_(´ㅅ`_)⌒)_ 状況の推移を見ていた仏新聞社テロ事件だが、事件そのものより、それを挟んでのありとあらゆる言論というか叩き合いに嫌気が差してきてしまった。
2015-01-10 04:52:28_(´ㅅ`_)⌒)_ あるテーマについていわゆる「全員が当事者」状態になったら、“翻訳者”がいなくなってそれ以上の(当事者の自覚のない方面への)広まりがなくなる、というのを強く感じた事件でした。どっとはらい。
2015-01-10 04:54:05_(´ㅅ`_)⌒)_ “翻訳者”がいないという表現は、昔(2005年頃)に“巫女がいない(または、巫女が必要)”という言い回しで表現していたもののこと。
2015-01-10 04:56:38
_(´ㅅ`_)⌒)_ そういや仏テロの件でもう一つ思ったこと。ヨノナカには、「下を諭して上に合わせようとするモノゴト」と、「上を諫めて下に合わせようとするモノゴト」とがあるように思った。これらは明確に分類出来るものなのだろうかな。
2015-01-10 05:06:43_(´ㅅ`_)⌒)_ 例えば、差別とか人権に関わるモノゴトはおおむね前者(下諭)の理屈で処理され、政策面での金銭(収入所得とかそんな)は後者(上諫)で語られてるって感じ。
2015-01-10 05:08:361月11日
_(´ㅅ`_)⌒)_ 仏テロ。『たとえバカでも、ただバカであることを理由にして、抑圧されることがあってはならない』といった具合で自分を納得させている。
2015-01-11 04:43:44_(´ㅅ`_)⌒)_ 「バカをバカと認識すること(認識、内心)」と「バカをバカにすること(行為、差別)」と「バカをバカだから粛正する(不法行為、非人道)」とは、それぞれ別の人間の有り様で、別個のものだと思ってる。だからそれぞれへの賛否は別になりえる。
2015-01-11 04:48:41_(´ㅅ`_)⌒)_ 自身としては、「認識、内心」は許容、「行為、差別」は緩やかな拒絶(バカさ加減と行為、それぞれの程度問題)、「不法行為、非人道」は拒絶。ってなところ。真ん中の『ゆるやかさ』って難しくて、厳しいと息苦しくて窮屈だし、緩すぎると野放図で下品になる。
2015-01-11 04:52:12@plummet 丸腰の一般人が「剣より強い凶器」を振り回される時に感じる恐怖と言ったら(´・ω・`) 私も厳密には手ブラってわけじゃない商売なので、いろいろと考えさせられます。
2015-01-11 11:44:24@nns_blackhand _(´ㅅ`_)⌒)_ そうなのよねぇ。自分自身が、好きな作品の記述を信頼する程度には、読者から信頼を寄せられる身ではあるわけで、モノカキというのは。どうせなら「上手な嘘」で煙に巻いていきたい所存 ←ダメな例
2015-01-11 11:48:57「権力に対峙することそれ自体が正義ということはない」 「弱者であることそれ自体が正義ということはない」 「正義でないからといって意見表明していけないということはない」
2015-01-11 11:35:441月12日
1月13日
また人間爆弾……。どうにかならんのか? どうにもならんのか?『女が自爆、「恐怖で走り出した」少女も爆発 : 国際 : 読売新聞』(YOMIURI ONLINE) yomiuri.co.jp/world/20150112… @Yomiuri_Onlineさんから
2015-01-12 22:09:32何億人でデモすれば子供が人間爆弾にされる悲しみを止められるんだ? デモがだめなら何をすれば良いんだ?
2015-01-12 22:10:53